サンフランシスコ 19782010/08/09

 78年の9月から10月を、一人サンフランシスコで過ごした。
滞在したのは、The Harcourtという名前の下宿 guest house だ。机、ベッド、クローゼットのある個室で、バスルームは隣りと共用、朝食と夕食がついていた。
 午前中はコミュニティ・センターの英語クラスに出て、午後は毎日町をぶらぶら歩き回った。ビート関係の本を出版したシティライツ書店、ブローティガンの『鱒釣り』表紙にあったワシントン・スクエア、、、バスに乗ってゴールデンゲート公園へも足を伸ばした。
 下宿屋に住んでいたのは、数十人のアメリカ人と十数人の外国人だ。食堂で知り合ったチリ人のカルロス(やぶにらみの元兵士)と夜のフィッシャーマンズ・ウォーフへ出かけたり、隣りの部屋のキャシィと顔見知り数人で深夜にチャイナタウンを歩いたりした。
 英語クラスにはベトナムや香港からの移民、旧ソ連の中年婦人などがおり、ビルマ人(当時)のフィリップとは時折漢字で筆談した。市庁舎前の広場で行われたフリーマーケットに、クラスみんなで出かけたこともある。
 マーケット・ストリートで買ったラジオからは、ビリー・ジョエルの"She's always a woman"が流れていた。

 きのうようやく映画『ミルク』を見た。ゲイの人権活動家を演じ、ショーン・ペンが2度目のオスカーを取った映画だ。
私が滞在したまさにその1978年、あの市庁舎でハーヴェイ・ミルクとマスコーニ市長は暗殺されたのだった。11月には既にNYへ移動していたし、インターネットのない時代に入手できる情報は限られていたからか、そのことを全く知らずにいた。

 宿の近くのポーク・ストリートは、その頃にぎやかになり始めて、北へあがって行くと本屋やコーヒーショップが並んでいた。今も私の本棚にあるヒッピー・ムーブメントの本は、確か2ブロック先の本屋で買ったものだ。
 街角で何回か、キスしている男性カップルを見かけたことがある。自由の意味が、今より重い時代だったかもしれない。

harcourt78

 古いアルバムにThe Harcourtを見つけたので、貼付けておこう。
検索してみたら、今も(安)ホテルとして営業中のようだ。

コメント

_ yummy ― 2010/08/09 07:57

『ミルク』観ました!続けて、題名は忘れましたがミルク本人のドキュメンタリーも観て、映画が忠実に作られていたことに感激しました。
ミルクの若い恋人や、その次の甘えん坊ボーイフレンドまで本当にそっくり。

以前は第一の趣味は読書だった私ですが、本で読んだ場所へ行くのが大好きでした。あぁ・・・あの頃の私は何処へ・・・
あの時代のニューヨークは危険はなかったですか?
最近は女性の夜の一人歩きも平気な安全な街になりましたが、78年はまだまだ危ない時代だったのではないですか?
私がグレイハウンドでアメリカなんちゃって一周をした時は、80年代にグレイハウンドで旅行したという先輩に、日本人は狙われるから絶対にバスの後部座席には乗るな!といわれたのに、NY行きは満席で一番後ろしか空いていなくて
すごくドキドキして眠れない10時間を過ごしたのを覚えていますw

_ dragonfly ― 2010/08/09 21:13

yummyちゃんはバスで一周したことがあるんだね。それは素晴しい経験だったでしょう。行けども行けども変わらない、茫漠とした風景が私は好きです。
当時のNYもあまり危険は感じなかったような。ものすごい安ホテルで、独居老人の巣みたいでした。

はい、『ミルク』ドキュメンタリーも絶対に見なきゃ、と思っています。

本は読んでも、どんどん忘れちゃうんだけど。Google Earthのピン状態で、本に出てきた場所が頭に残っているのは楽しいよね。

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_ Tombow Notes - 2013/04/24 02:47

 シェイクスピア&カンパニー書店(パリ)→シティライツ書店(サンフランシスコ)という流れのキーワードは、もちろんビート・ジェネレーションだ。記憶にある1978年のシティライ