夏休みの子供レッスン2016/08/24

 夏休みの間だけ、週に2回各90分子供たちを教えている。
7月初旬に日本へ来て都内の小学校と幼稚園に入ったところで、すぐ夏休みになってしまった。ひらがな/カタカナと基本表現を教えてほしいという依頼だ。
 今日が8回目。日常のあいさつ、簡単な自己紹介、数字は100まで、色、天気、時間など練習し、ひらがなは濁音まで終わった。ノートに書くだけでなく、アクション、iPadのKeynoteで作ったプレゼン・ファイル、カードなど工夫しているが、順番に並んでいないと字が読めない。カルタ取りゲームは張り切ってするのに、どうも定着しないなあ。
今日は付箋のひらがなを読んで、家の中に見つけ、貼り付けるゲーム。
とけい、まど、つくえ、いす、かばん、はこ、ぼうし、えんぴつ、ほん、みず、かさ、はさみ、れいぞうこ、そうじき、、、
いつの間にか読めるようになったお母さんに助けてもらいながら、楽しく飛び回って練習した。残りは2回。動詞でコマンドゲームでもしようか。
カタカナ全部する時間はないなあ。うーむ。

summerkids

カール・マイって誰?2016/05/11

 ハドソン湾クエストの悪筆メモを解読しなくてはいけないのだが、今日聞いた話も書いておきたい。

 カール・フリードリヒ・マイ(1842-1912)というドイツ人作家の書いた小説が大変面白く、中でも『アパッチの酋長、ヴィネトゥ』はとびきり痛快で血湧き肉躍る冒険譚であるらしいこと。

 カール・マイ? スロバキア人学生に教えてもらうまで全く知らなかった作家だ。よく読まれているんだろうか。「ヴィネトゥ」が書かれたのは1893年だから、作品は19世紀、西部開拓時代の話だろう。日本語の資料はわずかで、取りあえず図書館に筑摩書房版をリクエストした。

 ドイツ東部の小さな町に生まれ物語を描く才能に恵まれたものの家が貧しかったため師範学校にしか進学できず、そこでの厳しい規律への反抗から禁固刑を受け更生施設や刑務所に送られたが、不自由な生活の中で想像の世界を広げ文筆を仕事にすることを決意し編集者を経てフリーの小説家になり、やがて当代随一の人気作家となったカール・マイの冒険小説はオスマントルコ帝国やアンデス山中、アマゾン流域、またアメリカ西部などを舞台としており、その地名地形風俗描写の綿密さもさることながら民族宗教を語る比較文化/文化人類学的視点は確かで、変化に富む奇抜で見事なストーリー展開に読者たちは息を呑んで夢中になり、70代になったアインシュタインとシュバイツァーとヘルマン・ヘッセでさえ少年時代にその魅力の虜になったことを膝を叩き合いながら語り合ったという。(wikiを一文にまとめてみた)

 そんな世界大冒険物語を書いたにもかかわらず、カール・マイは一度もアメリカへ行ったことはなかった。そして、ネイティヴ・アメリカンは白人の無法者の犠牲者として描かれている。って、へえ、面白そうですよね。

 春学期は上級文法を受け持っているのだが、このレベルの学生たちとは本の話ができるのがとても楽しい。日本ではあまり知られていない作家や翻訳が出ていない作家について、他では得られない新鮮な情報が入ってくるのだ。最近では、それがこの仕事の魅力の一つになった。

つま、うま、くま2016/01/19

 問題
熊にあってしまったら、どうすればいいだろう。死んだ(ふりをする)とか、木に登るのは正しい方法ではない。あわてずに、熊と目を(合わせたまま)静かに後ろに下がったほうがよい。
でも一番正しいのは、熊にあったらどうするかではなく、あわないようにすることである。

(   )の答えを選択肢から選ぶ文法問題をしていた。全員ほぼ正解だったが、
答え合せが終わった後、カタカ君から質問
「先生、くま は 何ですか?
 つま と うま は 知ってるけど、 くま は 知らない」
どういう光景を思い浮かべて問題を解いたのかな。つま?
説明した。

久しぶりに、愉快な教室の話。寒くてうへ〜と思いながら出かけるが、笑いながら帰宅する。1月期はY校が新入生クラスと中級クラス、K校は初級N4漢字とN2文法を担当している。今日は中級だったんだけど。

2015春学期2015/06/07

 4月初旬のスタートから数週間たち、欧米系・アジア系どちらの学校のクラスも皆すっかり仲良くなった。休み時間に日本語で会話しているのがいいですね。

KUDAN2015_1

YIEA2015_1

 超初級クラスもすでに漢字練習が始まった。ひらがな・カタカナが頼りない学生もいるけれど、こうして較べてみると、日本語表記が一番簡単だと思うなあ。

YIEA2015_2

日本語学校、流転す2015/04/25

 2002年に二つの日本語学校で教え始めた。非常勤で週二日ずつ出かけて行くのは、現在も「同じ」学校なのだが、

 この4月総武線の亀戸駅から浅草橋駅に移転したY校は、通い始めた頃習志野市にあり、その後中央区へ移転して学校名が変わり、社長が多角経営に乗り出して同じ地区の別校舎へ引っ越し、それから横浜の日本語学校の東京分校になって亀戸へ移転したわけで、数えてみたら今回5回目のお引越しなのだった。
K校のほうも、かつては英語学校Gの関連校で九段下にあったが、経営者が代わり現在の水道橋校舎に移転している。

 その間に震災の影響で外国人学生が激減した時期があり、一年間新大久保の韓国人留学生の学校で教えた。またどの学校でもスタッフが数回入れ替わり、学期ごとに常勤非常勤の先生方が何人も出たり入ったりした。日本語能力試験に変更があり、教科書副教材も変わった。教授法にもコミュニカティヴからcan-doやピア・ラーニングなど、変化/流行の波が押し寄せた。やって来る学生たちの国籍も欧米系は以前から様々だが、アジア系は中国/韓国からモンゴル、ネパール、ベトナム、スリランカ、ミャンマーへと地域が広がった。

 日本語学校、流転す。言うまでもなく、どの業界も絶えず変化しているに違いないが。そして移り変わるからこそ、その時そこに居合わせる人々との関わりはなかなか刺激的なわけだが。

1月の日本語教室2015/01/29

Y校 初級クラス
  「なんさいですか
  「うるさいです」

  「どこの人ですか」
  「おとこの人です」

  注:音の合う答えを言っただけ。意味は考えていない、たぶん

K校 中級クラス
 「時は止まることなく流れる、、これはたとえば、誰がどこで言っていますか」
 「わたしが、鏡の前で」

 彼は両親と離れ(   狼   )のもとで育てられた。


 1月期はY校で週3日、K校で週2日、つまり毎日午後クラスを教えている。講師が足りないとのことで、予定外に金曜日も担当することになった。楽しいT書店通いはしばらくお休みだ。
 とは言え、教室に行けばなかなか愉快なことが待っている。ネパール、ベトナム、スリランカなどの非漢字圏学生が増えて速度はぐんと緩くなったが、中国人学生たちとは違う発想に笑わされている。

2014秋学期もうすぐ終了2014/12/11

 2014年後半は、K校、Y校どちらも午後クラスを週2日ずつ担当した。
秋学期のK校は上級文法と超初級の漢字クラス、Y校では初級前半と後半クラス。教えた学生の出身国は、今数えてみると18カ国だった。

 分刻みの綿密な教案は性に合わず作らない(作れない?)が、それでも毎回流れを考えながら練習用プリントを作成するなど、日本語を教えるのは、下準備も含めなかなか気を抜けない仕事だ。長く教えているからと言って、必ずしも楽になるわけではない。学生のレベルと構成を考えながら、できるだけup to dateな話題でその日の項目を理解してもらおうと無い知恵を絞っている。

 K校の担当クラスは今日まで、Y校のほうも残り一週間で冬休みだ。ヘンテコリンな人たちと笑い合いながらの10週間が終わるのは、寂しいけど解放感もあるよね、正直なところ。

fall2014