2018秋の旅行(3) サンクトペテルブルク2018/09/30

 8月半ば、中国人卒業生と会ってエルミタージュ美術館の話をしたら、
「おそロシア〜」と忘れかけていた駄ジャレがかえってきた。あはは、だけど実際にどんな街なんだろう?地下鉄に乗れる?と内心心配していたのだ。
 それが、行ってみれば何てことはない。ロンドン、ローマ、ニューヨークと同じようにバスや地下鉄で移動し、道がわからなければ通行人に尋ね、疲れればコーヒーショップに入ればよい、ごく普通の都会でありました。

 日曜夜8時、プルコヴォ空港に到着。あらかじめ頼んでおいた送迎車でホテルに着き、(キリル文字看板に迷ったけど)近くの店で夕食を取った
 翌月曜日は美術館がお休みのため市内を散策(午後から雨)、火曜日が念願のエルミタージュ・デイだ。短いけれど、充実した(3泊)2日間だった。備忘用写真をアップしておきたい。

 聖イサク大聖堂。サンクトペテルブルクはロマノフ王朝初代ピョートル大帝(1672-1725)の命を受けて、ネヴァ川デルタ地帯(沼地)に建設された人工都市だという。軟弱な地盤上の建設がいかに難工事だったか等々を、旅行前サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』小野文雄(中公新書)で読んだ。(池田理代子「女帝エカテリーナ」コミック3巻も。)
もちろんドームの展望台に登り、市内を見晴らす。
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 ネフスキー通りを歩く。「ズドラーストヴィチェ」こんにちは
今回使ったのは、これと「スパシーバ」ありがとう
それ以上は頭に入らない。
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 血の上の救世主教会、見事なモザイクの壁面と天井を見上げた。
アレクサンドル2世(1818-1881)はこの場所でテロに倒れた。農奴解放など改革の皇帝だったが。
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 ネフスキー通りの文学カフェに座る国民作家プーシキン(1799-1837)、決闘で命を落とすなんて。
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 カフェ壁面に飾られた作家の肖像画、ロシア的な色彩だ。
小学生のための世界文学全集で「スペードの女王」「大尉の娘」を読んでから半世紀。今では、あの3つの数字しか覚えていない。
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 ランドマークのひとつ、アールヌーヴォー様式のシンガー社ビル
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 さあ、火曜日。ついにエルミタージュへ。写真でよく目にする薄緑色の冬宮は横に長い建物だと思い込んでいたが、あにはからんや、ほとんど正方形なのだ。気の遠くなるような広さ!
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 行列の続く冬宮入口でなく、事前購入者専用口で開始時間を待った。ところが、旧参謀本部の新館を先に観たいなら、直接入ってもよかったのだ。(オンラインチケットのバーコードで入場。)
 朝の新館は人が少ない。印象派、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、カンディンスキー、、、そして、このマティスの部屋にたった一人で。
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 新館で贅沢な2時間余りを過ごし、本館に来ると、そこは別世界/俗世界だった。大混雑のヨルダン階段。ポチョムキンの孔雀時計をぐるりと取り囲む人々。各国のツアー客がガイドに連れられ、名画から名画へと団体で大波のように移動してゆく。
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 まあわたしも物見高い観光客だけど、人波の隙間をぬって、部屋番号を確かめながら館内を巡った。イタリア絵画はダヴィンチの聖母、ティツィアーノ、そしてラファエロの聖家族。カラヴァッジオは貸出中。オランダ絵画、スペイン絵画、、
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 本館も3時間歩いた。黄金の客間、真紅の間、、どの部屋も素晴らしいが、延々と続く人混みと豪華絢爛きらびやかな宮殿の装飾に疲労が溜まってゆく。古代ギリシャ、ローマ、東洋美術の区画はもう諦めよう。
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 地の底のように深いところにある地下鉄に乗って、ドストエフスカヤ駅へ行った。そこで文豪が待っているから。
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 ドストエフスキー(1821-1889)作品は父の愛読書だった。父の青年時代に、新潮社などから「ドストイェーフスキー全集」が出版されたようだ。それは例えば、わたしがサリンジャーを読むようなものではなかったかと想像する。作風は完全に異なるが、目を開かせる海外文学という意味合いで。
 ドストエフスキー博物館として公開されているのは、晩年の住まいだこの部屋で「カラマーゾフの兄弟」が書かれた。(不肖の娘は半分で挫折しました。ごめんなさい。)
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 参考までに(一人旅でも入りやすい)レストランのメモ
 ネフスキー通り周辺
 mamanadache カジュアルなロシア料理店 ママ・ナ・ダチェ
 Marketplace カウンターで選び作ってもらう、ロシア料理もパスタも
 Pelmenya ペリメニ ロシア風水餃子、飲茶もある
 

文化的かつ気楽な読書2018/07/28

 今週末は持ち帰り仕事が多いし、授業準備もしなくちゃ。さて、とテーブルに資料を広げたところへ本が届いた。台風接近の風をおしてお届け下さった郵便屋さん、ありがとうございます。
 たちまち仕事を忘れ、黄色い本のページをめくる。誘惑に弱い。うれしくてこんなものまで書き出している。まあ、明日もあることですし。


シンシナティ市内で(第17次遠征隊#6)2018/07/07

 市内に戻り、『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人の家へ行った。ここでもボランティアが丁寧に、シンシナティ時代のハリエット・ビーチャーと家族について説明してくれた。旅行前に読んだ村岡花子さんの『ハリエット・B・ストー』が著名な作者への理解を深めてくれたように思う。"Uncle Tom's Cabin"が南北戦争直前のアメリカに与えた影響は測り知れない。リンカーンがストウ夫人に言った言葉
 "so you are the little woman who wrote the book that started this great war."

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 坂を下って、市中心部にある国立地下鉄道博物館 National Underground Railroad Freedom Center に向かった。パブリックパーキングを探してウロウロするが、やけに車が多い。赤いTシャツの人々が大勢通り過ぎる。メジャーリーグの試合があったのだ。この日はレッズカブス、11対2で大勝(でもナショナルリーグ中部地区、現在までの結果はレッズ最下位らしい)。
 数ブロック離れた所に何とか駐車場を見つけ、博物館内をゆっくり見て回った。地下鉄道の最強コンダクターだった「女性モーゼ」ハリエット・タブマンは、再来年20ドル紙幣に肖像画が描かれるはずだ。フレドリック・ダグラス、ジョン・ブラウン、ローザ・パークス、さらに modern slavery の展示もあった。隷属状態に置かれる同時代の人々がいる。自由は未だ我々全てに保証されているわけではないのだ。

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 フリーダムセンターからオハイオ川方向を見る。
NYCのブルックリン橋と同じ構造/設計者のJohn A. Roebling Suspension Bridgeが架かっている。

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 翌日は日曜日、規模は小さいが美しいタフト美術館へ。折よくアンセル・アダムスの写真展が開かれていた(撮影不可)。ネバダの一本道でファンになってから何年たつだろう。今回ヨセミテのギャラリーを見てから来ることができたのは、とても好運な流れだった。
 エデンパークの丘を上ってシンシナティ美術館にも行った。1880年代に創られた古い博物館で、ヨーロッパ絵画もアメリカ絵画も上質の作品が多数収められている。ウォーホルのピート・ローズが何ともシンシナティ!外ではなぜかピノキオ像が大きく手を広げ、空を仰いでいた。

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 その町を知るにはマーケットへ行かなくちゃ。シンシナティには歴史ある市場Findlay Market があるらしい。野菜・肉・魚売り場をぶらぶら歩き、レモネード(2ドル)を飲み、キッシュとキャロットケーキを買った。

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 帰国前日は月曜日、残念なことに博物館・美術館は全部休館だ。仕方なく(でもないけど)アウトレットやショッピング・モール、スーパー、ドラッグストアなどを回り、一気に荷物が増える。知り合いのいない町で一人、いつも通り右往左往の3日間だった。
一つ付け加えると、1930年代に建てられたアールデコ建築のシンシナティ・ユニオン駅にも興味を持ったのに、併設の歴史博物館を含め長い改築工事に入っている。2018年夏リオープンという表示のサイトを何度もチェックしていたが、旅行期間には結局間に合わなかった。

 これで第17次遠征隊の記録完了。残りはノース・カロライナとアラスカの2州になります。いや、行きたい所はまだまだありますが。

オハイオ川に沿って(第17次遠征隊#5)2018/07/07

 シンシナティに行ったのはもうひとつのテーマ、数年前から興味を持っている 地下鉄道 Underground Railroad のためだった。ケンタッキー州にある空港でレンタカーを借り、川を超えてオハイオの州道52号線沿いにリプリーという町へ走った。

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 この町には、かつての奴隷廃止論者 abolitionist の家が2軒あるのだ。19世紀、奴隷州から逃亡する黒人たちを秘密裡に北へ誘導する地下鉄道組織において、駅(ステーション)と呼ばれた家だ。逃亡した乗客(パッセンジャー)を次の車掌(コンダクター)が現れるまでかくまって保護した。それは無論駅長にとっても、非常に危険な行動だった。
コルソン・ホワイトヘッド作『地下鉄道』は1850年の逃亡奴隷法以降にジョージアから逃亡する少女を中心として描かれた小説で、2016年のピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞している。

 John Parker House 様々な展示物があり、地域ボランティアが当時の様子を話してくれた。
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 丘の上にあるもう一軒のRankin House
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 石段からオハイオ川を見下ろす。対岸のケンタッキーは奴隷州、こちら側は自由州だった。
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 長田弘さんのエッセイ『アメリカ61の風景』(みすず書房)に「オハイオのユートピア」という章がある。村とも呼べないような小さな集落をユートピアと名付けた人々がいたのだ。「長田先生、来てみましたよ」
全米ドライブを支えてくれる本を、帰国後また開いている。

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サンフランシスコ・カルチャー散歩(第17次遠征隊#4)2018/07/07

 行かなければならない場所がいくつもあった。Uが帰国した後の2日間半、MUNI ClipperカードとGoogle Mapでサンフランシスコ市内を歩き回った。


 ビート・ジェネレーションのCity Lights Books、横の小道は今ジャック・ケルアック通りと呼ばれている。階段を上ると2階はPoetry Roomだ。窓辺にpoet's chairがひっそり置かれている。Nikki Giovanniを一冊買った。

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 そこから徒歩でワシントン・スクエアへ。ブローティガンがこのちょっとほっそりしたベンジャミン・フランクリン像の横に立ってから、もう半世紀以上たつのだ。後ろにコイット・タワーが見える。この前ここへ来た20代の頃には(大昔ですが)、塔まで歩いて行ったっけ。

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 坂の上のグレース・カテドラル内部に小さなエイズ・メモリアル・チャペルがあり、キース・ヘリングの"Life of Christ"が両翼を広げるように置かれている。

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 美術館にも行った。SFMoMAではルネ・マグリット展が開かれていた。数枚集められた光の帝国が圧巻だった。正面の作品はヴェネチアのペギー・グッゲンハイムから来ていた。

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 バスを乗り継いで、ゴールデン・ゲート公園内のデ・ヤング美術館へ。Cult of Machine展には、ジェラルド・マーフィの作品も並んでいた。最上階展望室から、カリフォルニアらしく明るい公園を見晴らした。

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 今回のテーマのひとつ、ジャック・ロンドンゆかりの場所が、対岸のオークランドにもある。フェリーに乗って、ジャック・ロンドン・スクエアに出かけた。『野生の呼び声』に登場するような小屋と狼の像がある。その横には(これは本物の)Heinold's First and Last Chance Saloon 1880年に開店し、若いジャック・ロンドンが店のテーブルで勉強したという。店主のジョニー・ハイノルドはジャックにカリフォルニア大バークレー校の学費を(中退してしまったが)援助した。
アラスカのゴールド・ラッシュ時代には、この港から大勢の男たちが「最初で最後のチャンス」に賭けて、船で北へと向かったものだ、と解説されている。

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ナパとソノマ(第17次遠征隊#2)2018/07/07

 サンフランシスコに直接戻らず、ソノマ地区のグレン・エレンに1泊した。その後もタイヤショップ巡りやレンタカー交換で手間取ったパンク事件のため、予定は押せ押せになってしまったが、これだけはしなくちゃ。

 ナパバレーの早朝熱気球ツアー
谷間に着くまで濃いもやがかかっていたのに、この素晴らしい天気!
眼下に広がる一面のブドウ畑


  ソノマ地区のグレン・エレンにはジャック・ロンドン歴史公園がある。100年以上前の作家だが『野生の呼び声』や白い牙』、鋭い印象を残す短編がわたしは好きだ。Happy Wall、コテージ、山道の先にあるウルフ・ハウスと墓地まで歩いた。Wolf House完成間もないある日、(恐らく放火によって)全焼してしまった、ジャックの夢の家だ。彼の心の何かはこの出来事で永遠に失われてしまった、と解説にある。また伝記にはしばしば、ジャックの(荒削りで骨太な)短い生涯が自殺で閉じられたとあるが、実際は病死だったとの研究もある。

石造りのHappy Wall
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木造のコテージに置かれた執筆用の机
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Wolf Houseの跡
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(無料で読める)旅の本2018/05/20

 Lonely Planetの旅の本が、最近はAmazon Primeに置いてある。これらが無料で読めるとはありがたいことです。
紙の本も購入できるようだが、Kindleでも十分に楽しめる。ド・セルヴィ方式の仮想旅行に、またはいつか行くための参考に。