シンシナティ市内で(第17次遠征隊#6)2018/07/07

 市内に戻り、『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人の家へ行った。ここでもボランティアが丁寧に、シンシナティ時代のハリエット・ビーチャーと家族について説明してくれた。旅行前に読んだ村岡花子さんの『ハリエット・B・ストー』が著名な作者への理解を深めてくれたように思う。"Uncle Tom's Cabin"が南北戦争直前のアメリカに与えた影響は測り知れない。リンカーンがストウ夫人に言った言葉
 "so you are the little woman who wrote the book that started this great war."

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 坂を下って、市中心部にある国立地下鉄道博物館 National Underground Railroad Freedom Center に向かった。パブリックパーキングを探してウロウロするが、やけに車が多い。赤いTシャツの人々が大勢通り過ぎる。メジャーリーグの試合があったのだ。この日はレッズカブス、11対2で大勝(でもナショナルリーグ中部地区、現在までの結果はレッズ最下位らしい)。
 数ブロック離れた所に何とか駐車場を見つけ、博物館内をゆっくり見て回った。地下鉄道の最強コンダクターだった「女性モーゼ」ハリエット・タブマンは、再来年20ドル紙幣に肖像画が描かれるはずだ。フレドリック・ダグラス、ジョン・ブラウン、ローザ・パークス、さらに modern slavery の展示もあった。隷属状態に置かれる同時代の人々がいる。自由は未だ我々全てに保証されているわけではないのだ。

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 フリーダムセンターからオハイオ川方向を見る。
NYCのブルックリン橋と同じ構造/設計者のJohn A. Roebling Suspension Bridgeが架かっている。

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 翌日は日曜日、規模は小さいが美しいタフト美術館へ。折よくアンセル・アダムスの写真展が開かれていた(撮影不可)。ネバダの一本道でファンになってから何年たつだろう。今回ヨセミテのギャラリーを見てから来ることができたのは、とても好運な流れだった。
 エデンパークの丘を上ってシンシナティ美術館にも行った。1880年代に創られた古い博物館で、ヨーロッパ絵画もアメリカ絵画も上質の作品が多数収められている。ウォーホルのピート・ローズが何ともシンシナティ!外ではなぜかピノキオ像が大きく手を広げ、空を仰いでいた。

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 その町を知るにはマーケットへ行かなくちゃ。シンシナティには歴史ある市場Findlay Market があるらしい。野菜・肉・魚売り場をぶらぶら歩き、レモネード(2ドル)を飲み、キッシュとキャロットケーキを買った。

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 帰国前日は月曜日、残念なことに博物館・美術館は全部休館だ。仕方なく(でもないけど)アウトレットやショッピング・モール、スーパー、ドラッグストアなどを回り、一気に荷物が増える。知り合いのいない町で一人、いつも通り右往左往の3日間だった。
一つ付け加えると、1930年代に建てられたアールデコ建築のシンシナティ・ユニオン駅にも興味を持ったのに、併設の歴史博物館を含め長い改築工事に入っている。2018年夏リオープンという表示のサイトを何度もチェックしていたが、旅行期間には結局間に合わなかった。

 これで第17次遠征隊の記録完了。残りはノース・カロライナとアラスカの2州になります。いや、行きたい所はまだまだありますが。

オハイオ川に沿って(第17次遠征隊#5)2018/07/07

 シンシナティに行ったのはもうひとつのテーマ、数年前から興味を持っている 地下鉄道 Underground Railroad のためだった。ケンタッキー州にある空港でレンタカーを借り、川を超えてオハイオの州道52号線沿いにリプリーという町へ走った。

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 この町には、かつての奴隷廃止論者 abolitionist の家が2軒あるのだ。19世紀、奴隷州から逃亡する黒人たちを秘密裡に北へ誘導する地下鉄道組織において、駅(ステーション)と呼ばれた家だ。逃亡した乗客(パッセンジャー)を次の車掌(コンダクター)が現れるまでかくまって保護した。それは無論駅長にとっても、非常に危険な行動だった。
コルソン・ホワイトヘッド作『地下鉄道』は1850年の逃亡奴隷法以降にジョージアから逃亡する少女を中心として描かれた小説で、2016年のピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞している。

 John Parker House 様々な展示物があり、地域ボランティアが当時の様子を話してくれた。
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 丘の上にあるもう一軒のRankin House
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 石段からオハイオ川を見下ろす。対岸のケンタッキーは奴隷州、こちら側は自由州だった。
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 長田弘さんのエッセイ『アメリカ61の風景』(みすず書房)に「オハイオのユートピア」という章がある。村とも呼べないような小さな集落をユートピアと名付けた人々がいたのだ。「長田先生、来てみましたよ」
全米ドライブを支えてくれる本を、帰国後また開いている。

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サンフランシスコ・カルチャー散歩(第17次遠征隊#4)2018/07/07

 行かなければならない場所がいくつもあった。Uが帰国した後の2日間半、MUNI ClipperカードとGoogle Mapでサンフランシスコ市内を歩き回った。


 ビート・ジェネレーションのCity Lights Books、横の小道は今ジャック・ケルアック通りと呼ばれている。階段を上ると2階はPoetry Roomだ。窓辺にpoet's chairがひっそり置かれている。Nikki Giovanniを一冊買った。

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 そこから徒歩でワシントン・スクエアへ。ブローティガンがこのちょっとほっそりしたベンジャミン・フランクリン像の横に立ってから、もう半世紀以上たつのだ。後ろにコイット・タワーが見える。この前ここへ来た20代の頃には(大昔ですが)、塔まで歩いて行ったっけ。

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 坂の上のグレース・カテドラル内部に小さなエイズ・メモリアル・チャペルがあり、キース・ヘリングの"Life of Christ"が両翼を広げるように置かれている。

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 美術館にも行った。SFMoMAではルネ・マグリット展が開かれていた。数枚集められた光の帝国が圧巻だった。正面の作品はヴェネチアのペギー・グッゲンハイムから来ていた。

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 バスを乗り継いで、ゴールデン・ゲート公園内のデ・ヤング美術館へ。Cult of Machine展には、ジェラルド・マーフィの作品も並んでいた。最上階展望室から、カリフォルニアらしく明るい公園を見晴らした。

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 今回のテーマのひとつ、ジャック・ロンドンゆかりの場所が、対岸のオークランドにもある。フェリーに乗って、ジャック・ロンドン・スクエアに出かけた。『野生の呼び声』に登場するような小屋と狼の像がある。その横には(これは本物の)Heinold's First and Last Chance Saloon 1880年に開店し、若いジャック・ロンドンが店のテーブルで勉強したという。店主のジョニー・ハイノルドはジャックにカリフォルニア大バークレー校の学費を(中退してしまったが)援助した。
アラスカのゴールド・ラッシュ時代には、この港から大勢の男たちが「最初で最後のチャンス」に賭けて、船で北へと向かったものだ、と解説されている。

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F.L.ライトも見よう(第17次遠征隊#3)2018/07/07

 サンフランシスコ周辺の有名建築と言えば、フランク・ロイド・ライトのマリン郡シビックセンターだろう。フリーウェイを南下し、広々と広がる庁舎に着いた(解説多いため「美の巨人たち」にリンク)。
映画『ガタカ』の撮影などにも使われた宇宙船のような建物は、ライト晩年の作品だ。資料室を見学し、回廊をぐるりと歩いた。

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 この2日後になるが、サンフランシスコ市内にあるFrank Lloyd Wright Spiral Interiorも訪ねてみた。ユニオンスクエアのすぐ近くにあるビルは現在、紳士服の店舗になっている。快く写真を撮らせてくれたものの、ちょっと場違いな雰囲気(わたしが)。スパイラル構造はもちろん、NYCのグッゲンハイム美術館と共通のものだ。

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 今回のカリフォルニア・ドライブは、3日間で約750マイル(約1,200km)だった。レンタカー会社が途中で交換してくれたトヨタの赤いランドクルーザーで、ひゃあひゃあ言いながら渡ったゴールデン・ゲートの写真も置いておこう。慣れないその大型四駆で市街地に入り、坂道を上り下りしてホテルに横付けし、空港へ車を返却に行ったのだ。よくやったね。

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ナパとソノマ(第17次遠征隊#2)2018/07/07

 サンフランシスコに直接戻らず、ソノマ地区のグレン・エレンに1泊した。その後もタイヤショップ巡りやレンタカー交換で手間取ったパンク事件のため、予定は押せ押せになってしまったが、これだけはしなくちゃ。

 ナパバレーの早朝熱気球ツアー
谷間に着くまで濃いもやがかかっていたのに、この素晴らしい天気!
眼下に広がる一面のブドウ畑


  ソノマ地区のグレン・エレンにはジャック・ロンドン歴史公園がある。100年以上前の作家だが『野生の呼び声』や白い牙』、鋭い印象を残す短編がわたしは好きだ。Happy Wall、コテージ、山道の先にあるウルフ・ハウスと墓地まで歩いた。Wolf House完成間もないある日、(恐らく放火によって)全焼してしまった、ジャックの夢の家だ。彼の心の何かはこの出来事で永遠に失われてしまった、と解説にある。また伝記にはしばしば、ジャックの(荒削りで骨太な)短い生涯が自殺で閉じられたとあるが、実際は病死だったとの研究もある。

石造りのHappy Wall
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木造のコテージに置かれた執筆用の机
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Wolf Houseの跡
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ヨセミテで救われる(第17次遠征隊#1)2018/07/07

 今年の遠征隊の目的地はヨセミテ、サンフランシスコ、そしてシンシナティだった。天気に恵まれた10日間、毎日楽しかったが、旅行をいっそう忘れられないものにしたのはヨセミテ山頂近くのパンク騒動だろう。

 6月16日サンフランシスコ空港で車を借り、翌日旅の仲間Uが合流してヨセミテ国立公園へ出発した。順調に東へ進み、午後2時過ぎにエル・ポータルのホテルに到着。公園内に入ってブライダルベール滝とトンネルビューの美しい景観を眺め、ヨセミテ・バレーのビジターセンター近くに駐車して、シャトル・バスで付近をゆっくり一周した。

写真で見慣れたトンネルビューだけど、現実の雄大な眺めに息をのむ。
左にエル・キャピタン、奥にハーフドームの頭が見えている。

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 次の日は標高2,199mグレイシャー・ポイントへ。英語も運転も上手なUだが、実はこの日がアメリカ初運転、いきなりの山道ドライブは、今思えばハードル高かったよね。小一時間ほど登った時、頂上近くのカーブで路肩(の岩場)に脱輪してしまった。ガッタンゴットンと数秒。のためポイント一つ手前の駐車場で確認したところ、助手席側後輪のパンクを発見した。ぎゃっ。ど、どうする?
 レンタカーに載っているスペアタイアに交換すればいいのはわかっているが、我々にそんな技はない。思い切って、近くで休んでいた女性ライダーに声をかけた。あのー、すみません...

 30分後のイージーライダーズ。何と大らかで親切な人々だったことでしょう。わいわい言いながら、協力しあって手際よくタイヤを交換して下さった。ありがとう!
スペアタイヤでは50マイル(80km)以上のスピードを出さないこと、できるだけ早くパンクを直して元のタイヤに戻すことなどのアドバイスもいただいた。
「ますますアメリカ人が好きになった」高校留学経験のあるUがつぶやいた。


 ホッとして眺めるグレイシャーポイントからのハーフドーム
神々しいほどの壮大さだ。きっと忘れないね。

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迷い込んだ家(プレーリー・ホーム)2017/07/23

 アイオワ州のメイソンシティでフランク・ロイド・ライト設計の Stockman House を探している時、2ブロックほど手前の角に似たような造りの家を見つけた。Google Mapのナビはまだ先を示していたものの、いつもの早とちりで「あー、あった」と道路ぎわに車を止め敷地に入り込んだのがこの家だ。
後で調べて判ったことだが、そこは(無名の)サミュエル・デイヴィス・ドレイク邸だった。中西部に数多く建てられたプレーリー派建築の一つだ。

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 博物館にしては荒れた建物だとすぐ気づきそうなものなのに、"hello, hello."と言いながら裏まで回って無人の家のドアを叩いたのは(普段と全く違う大胆な)旅行人格によるものとしよう。本物のストックマン・ハウスを見つけた後(ただし既に閉館時間)、 Historic Park Inn に入って持ち帰ったリーフレットに気になる説明があった。メイソン市には他にもプレーリー派の家々が幾つもあるらしいのだ。
 検索してゆくと、プレーリー派建築を訪ねる旅サイトThe Prairie School Traveler に辿り着いた。2005年から12年にかけてパニング氏 J.A.Panning が協力者と共に集めた、プレーリー派関連の膨大な資料サイトだ。そしてそのデータの中に、旅先で迷い込んだ家があったというわけだ。

 上記PST「プレーリー派の家を巡る旅行サイト」(現存する家の索引)にはアメリカ39州と海外6カ国の建物地図と詳細リンクがあり、日本をクリックすればフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの建築に関わったアントニン・レイモンドの設計リストが現れる。できれば、遠藤新氏の自由学園明日館ヨドコウ迎賓館なども付け加えたいところだ。

 ドレイク邸発見の経緯:
PSTアイオワ州索引には200を超える建物リストが並んでいる。そして、特に数の多いメイソン市には地図リンクが張られている。
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西のインターステート35N線からこの地区に入り込み、どこをどう通ったのか、6月24日の午後を思い出しながら地図を移動して行くと、お、見事的中!
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 Stockman Houseの資料には建築家 Einar Broaten の解説もあり、幸運なことに彼の作品例としてこの家が取り上げられていた。
教師、電報技師、駅職員として働いたドレイク氏がここに土地を購入したのは1915年のこと。建築にまつわる話には、さらに他のプレーリー派建築家名が書かれている。Walter Burley Griffin, Barry Byrne, ...
広大な中西部に文字通り水平に広がったプレーリー派について、もう少し読み解いてみるとしよう。よく知られた建築家リストは以下のページに。