肩パッド外し2017/08/10

 「肩パッド外し」という言葉のリズムが「騎士団長殺し」に似ていると思いながら、古いジャケットの裏地を剥がした。右側から出てきた分厚いパッドは2枚、肩の縫い目の上下をがっちり補強していた。さすが80年代。ボン・ジョヴィの歌が聞こえそう。you give love a bad name...🎵
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 この古いジャケットは、30年ほど前ネットショッピングなど想像できなかった時代に、L.L.BeanのUS通信販売カタログを取り寄せて注文したものだ。何年もクローゼットの奥に眠っていたのを、ライト断捨離中に掘り出した。形が変なのは、明らかに堂々と張り出した肩のせいだ。資源ゴミに出すか古着引取りカウンターに持っていくか、しばらく迷ったが、手放すには忍びない。かと言って、リペアショップに肩バッド外しを頼めば少なくとも数千円はかかってしまう。そんな余裕ございませんわ。いっそのこと自力で直してみようと、手仕事を開始した。

 真夏の部屋で文字通り汗水たらし、足掛け3日で肩幅狭いジャケット完成。やみくもに裾と袖の裏地までほどいたので、余計に時間がかかったのだ。不要な作業だったね。でも縫い直したのは裏地だから、不器用さも目立たない。アクロンでザブザブ大胆に水洗いして、柔軟剤仕上げをした。Y校の夏休みを有効に使ったなあ(と自己満足)。実はもう一着あるんですが。

迷い込んだ家(プレーリー・ホーム)2017/07/23

 アイオワ州のメイソンシティでフランク・ロイド・ライト設計の Stockman House を探している時、2ブロックほど手前の角に似たような造りの家を見つけた。Google Mapのナビはまだ先を示していたものの、いつもの早とちりで「あー、あった」と道路ぎわに車を止め敷地に入り込んだのがこの家だ。
後で調べて判ったことだが、そこは(無名の)サミュエル・デイヴィス・ドレイク邸だった。中西部に数多く建てられたプレーリー派建築の一つだ。

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 博物館にしては荒れた建物だとすぐ気づきそうなものなのに、"hello, hello."と言いながら裏まで回って無人の家のドアを叩いたのは(普段と全く違う大胆な)旅行人格によるものとしよう。本物のストックマン・ハウスを見つけた後(ただし既に閉館時間)、 Historic Park Inn に入って持ち帰ったリーフレットに気になる説明があった。メイソン市には他にもプレーリー派の家々が幾つもあるらしいのだ。
 検索してゆくと、プレーリー派建築を訪ねる旅サイトThe Prairie School Traveler に辿り着いた。2005年から12年にかけてパニング氏 J.A.Panning が協力者と共に集めた、プレーリー派関連の膨大な資料サイトだ。そしてそのデータの中に、旅先で迷い込んだ家があったというわけだ。

 上記PST「プレーリー派の家を巡る旅行サイト」(現存する家の索引)にはアメリカ39州と海外6カ国の建物地図と詳細リンクがあり、日本をクリックすればフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの建築に関わったアントニン・レイモンドの設計リストが現れる。できれば、遠藤新氏の自由学園明日館ヨドコウ迎賓館なども付け加えたいところだ。

 ドレイク邸発見の経緯:
PSTアイオワ州索引には200を超える建物リストが並んでいる。そして、特に数の多いメイソン市には地図リンクが張られている。
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西のインターステート35N線からこの地区に入り込み、どこをどう通ったのか、6月24日の午後を思い出しながら地図を移動して行くと、お、見事的中!
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 Stockman Houseの資料には建築家 Einar Broaten の解説もあり、幸運なことに彼の作品例としてこの家が取り上げられていた。
教師、電報技師、駅職員として働いたドレイク氏がここに土地を購入したのは1915年のこと。建築にまつわる話には、さらに他のプレーリー派建築家名が書かれている。Walter Burley Griffin, Barry Byrne, ...
広大な中西部に文字通り水平に広がったプレーリー派について、もう少し読み解いてみるとしよう。よく知られた建築家リストは以下のページに。

ベランダ菜園20172017/05/12


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 苗を買ったのは連休前の週末だから、かれこれ20日ほどになるのか。今年のトマトも順調に育っている。冬野菜のほうれん草は、やっぱり季節に合わないようだ。寒い時期の葉はゆっくり伸びて柔らかいサラダになったのに、今は中心の茎が力強く花が咲きかけている。春菊も同様。バジルは今回、種から始めてみた。説明には発芽させて少し伸びたら植え替えると書いてあったけど、このまま何とかなるんじゃないかと、いつもながらいい加減だ。某所からやって来た新しいローズマリー、どうかしっかり根付きますように。

 午後クラスだけ週に4日というペースが程よい。出かける前にのんびりとベランダに出る時間もある。子供たちがまだ学生で家にいた頃は午前も午後も教えていたなんて、一体どうやっていたんだろう。思い出せば、あの頃ベランダにはゴムの木と花の咲かないグレープフルーツと初代ローズマリーしかなかった。つまり、いつも身の回りに何か手をかける対象が欲しいのかもしれない。
 昨日ベランダ園芸中の教師仲間何人かと、水やりのタイミングについて話していた。朝になるとつい水をあげたくなって根腐れさせるY先生。だって構いたいんだもん、犬みたいに首輪つけて散歩させたくなるよね、と笑い合った。寂しいわたしたち、、?

星空を見上げて帰宅2017/02/22


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国立天文台 今日のほしぞら

 午後クラスを教えて電車に乗り駅に着くと、午後7時過ぎになる。冬学期が始まってから、駅と家の間にある公園を歩く時にはいつも白いシリウスが見えている。そのシリウス(おおいぬ座)とプロキオン(こいぬ座)、オリオン座のペテルギウスが冬の大三角と知り(遅いけど)「今日のほしぞら」について書いたのは、今確認したら3年前のちょうど今頃だった。
 寒い、寒いと思いながら、大きく上を見上げて帰る。年のはじめ東の空に見えていた3つの星は少しずつ南に動き、今週オリオン座はほぼ真南に高く位置している。帰宅後、小学生用星座早見盤をくるくる回してみると、5月の連休を過ぎる頃、シリウスはすっかり西の方へ移動して見えなくなるようだ。天空は動く。いやもちろん動いているのは地球だが、動いて季節が巡る。

 ずいぶん前からの知り合いと、最近文通を始めた。しばらくお年賀のご挨拶だけだった80代の元新聞記者KH氏が、メールではなく手紙をやり取りしませんか、とご提案下さったのだ。話がかみ合っているのかいないのかわからない文面が、遠慮がちに行き交っている。
動く天空の下で、確実に歳をとっていくわたしたち。だからこそきっと、見ること読むこと聴くこと、人と関わることは大切なのだ。星の時間からすればほんの一瞬の自分の時間を、できるだけよいもので満たしたい。近ごろ特に、そう考えるようになった。
 

まだブランケットの話2016/07/16

 19世紀末のイギリスから送られた大量のポイント・ブランケット写真を見ると、その背景にもちろん18世紀半ばからの産業革命があったことを思い出す。機械化でまず綿織物が発達したのは大西洋の三角貿易によるもので、毛織物が工業化されるのは18世紀末になってからだ。先住民族との毛皮交易 fur trading に、記憶の中で断片になっていたヨーロッパ史が繋がっていく。
ポイント・ブランケット研究のこんなサイトもあった。The Point Blanket Site
写真はハドソンベイ・カンパニーの歴史サイトから(1898年バンクーバー島フォート・ルパートのトレーディング・ポストクワクワカ'ワク族の人々)
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  ウールリッチ Woolrich は1830年イギリス移民のジョン・リッチがペンシルヴァニアに作った毛織会社であり、ペンドルトン Pendleton はイギリスの毛織技師トーマス・ケイが1863年にオレゴンで始めた会社だ。
それらの大きな会社以外にも、woolen mill と呼ばれる毛織物工場が各地にある。

 わたしの知る限りでは、ミネソタ州のベミジが有名だ。Bemidji Woolen Mills はポール・バニヤンと青い牛ベイブで知られるベミジの町で、1920年に創業された。木こり lumberjack が着る赤黒チェックのウールシャツと聞けば、あ、あれ?とイメージが浮かぶだろう。そう、それです。
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 また、同じミネソタ州にはファリボールト Falibault Woolen Mill もある。南北戦争が終わった1865年にドイツ移民が(馬力の、ってどういう仕組みなのか想像できない)小さな毛織工場を作り、川沿いの水力利用工場を経て1892年「新工場」機械が導入されたそこでは今でも高品質のウール毛布や、軍隊用の丈夫な毛布が生産されている。地味だが、アメリカ中西部らしい質実剛健なミルだ

 旅先で woolen mill を見かけたこともある。ずいぶん前だが、カナダのプリンスエドワード島で小さな MacAusland's Woolen Mill に入ってみた。マコースランド MacAusland はスコットランド移民だろうか。1870年に製材所を始め、1900年頃から毛糸を1930年代から毛布を作っているという。こちらも年季の入った織機が堅実に、暖かく柔らかい毛布を作り続けていた。

 土地の作り出すものはそこで暮らしていた人々に代々受け継がれた文化を語ってくれるから、旅行は楽しいのだと思う。
 布類と言えば、プエブロ族の村チマヨの人々が織るラグ類や、モン族の刺繍布、サンプルの10cm角だけ買って額に入れたトルコ絨毯、瀕死のヴィネトウが肩にかけていたサルティヨ毛布(カール・マイの冒険小説)などもあった。サルティヨ毛布って何?と思ったら、よく見かけるメキシコっぽい明るい色合いのストライプ毛布でした。そして、きっと憧れのまま終わるであろうナバホ族の美しい手織りラグ、、、
これからもいろいろなものに出会い、ため息をつくんだろうなあ。

ハドソンベイの毛布(第15次遠征隊おまけ)2016/07/15

 春に見た『レヴェナント』と『ハドソン湾クエスト』から、マウンテンマン、トラッパー、ヴォエジャー、ポーテージ、ペミカンなど気になるキーワードについて読み散らかし、旅先のヴィクトリアで関連項目を見つけて喜んでいたわけだが、何のことはない、バンクーバー空港出発30分前、ゲートのすぐ横に Hudson's Bay Company Trading Post なる店を見つけた。あら、こんなに有名な店だとは。

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 店内モニターが、会社の歴史画像を次々と映し出している。アジア系の店員さんに断って写真を撮らせてもらった。どの映像も興味深く20枚ほど撮っていると「本もあるけど」とカウンターの上に、大きな本をドンと置いてくれた。お礼を言って、せっせ、せっせと写真をさらに20枚ほど。
一番目を引いたのがこのページだ。

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 イラスト地図に、先住民 First Nations とハドソンベイ・カンパニーとの交易の様子がわかりやすく描かれている。HBCはチャールズ二世の勅許状を得て、1670年に設立された。トレーディング・ポストが極寒カナダの土地に広がっている。

 そしてこんなページもあった。HBCのブランケットでできたコートを着て馬に乗るFirst Nationsだ。毛布は白地に緑、赤、黄色、黒のストライプが入っている。空港の店内には同じストライプの、毛布だけではないセーター、トートバッグ、マグカップ、帽子などがたくさん並んでいた。
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 その後調べたこと:
 先住民がビーバーの毛皮と交換したものの一つが良質な毛布だった。注文を受けてストライプの毛布を初めて作ったのはイギリス、オクスフォードシャーの毛織業者トーマス・エンプソン、1789年のことだった。ストライプ毛布の人気は高く、毛皮との交換ポイント・システムが作られた。横に小さくつけられた黒い線の数でビーバーの毛皮との交換レートが決まるというものだ。例えば黒線3本なら毛皮3枚と交換された。毛布は縮みを考慮し2倍の大きさで織られてから圧縮され、厳しい冬の寒さにも十分に耐える質の高いものだった。
 その伝統は今も受け継がれ、カナダのアイコン的存在になっている。現在製造しているのはイギリスの AW Hainsworth だが、アメリカの WoolrichLLBean などでもライセンス生産され、また Pendleton も同じパターンのストライプ毛布(Gracier National Park Blanket 国立公園シリーズの一つ)を作っている。

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参考:
The Canadian Encyclopedia Hudson's Bay Company

革靴とバッグの染め直し2016/05/03

 左利きは器用だという一説に反して、絶望的に破壊的に不器用だ。未だに野菜の千切りはできず、針仕事すれば何か所も指に針が突き刺さり、プリントの切り貼りすれば手にセロテープがまとわりつく。
 革靴の染め直しを始めたのは、単に必要に迫られたからだった。ついでに古いバッグも持ち出した。すると、、見よ、遠目とはいえ、この美しい仕上がり!
思わず写真を公開したくなった。作業前の写真も撮っておけばよかったなあ。

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 ブーツは去年ミズーリ州で買った40ドルほどのバース、元は茶色だったのに、しばらく履いているうちになぜか茶色と黒のまだらになった(スエード部分が擦れてしまった。)G.H.BassはClarksやCole Haanと同じカジュアルな靴メーカーで、アメリカのTangerやPremium Outletにほとんど必ず入っている。
小さいバッグは25年使用のコーチで、色落ちし悲しげにうらぶれたグレーになっていたとは言うものの、かつては厚みのあるこの革こそCoachというファンが多かったように思う。セルフ・ヴィンテージとでも言いますか。
 予想以上にうまく染まったのは、革の種類が適していたおかげだろう。クラフト社の染料と仕上げ剤を使い、乾燥時間を含め二日で染め直した。古いラグの上に新聞紙を広げてのお手軽作業、だったが、実はもう少しで終わるという時に容器をひっくり返して、ラグに黒い染料が流れたことも正直に書いておこう。一番大変だったのは、そのラグのシミ抜きでしたよ。

 革の染め直しそのものはとても簡単です。どうぞお試しください。