アメリカの家のスタイル2017/08/14

 プレーリー建築を調べる時、ずいぶん前に入手した本が役立った。『フィールド・ガイド』にはネイティヴ・アメリカンのテント tipi や、鉄道が走る以前大草原に建てられた一部屋だけのログ・キャビン、ローラたち家族も住んだ dugout( 半分土手に埋まっている、塹壕様式?!)、サンタフェで見たアドビの家などの説明もある。シャーロッツビルにあるT.ジェファーソンのモンティチェロ、ホワイトハウスにも取り入れられたギリシャ・リバイバル様式、ゴシックやチューダー、スペイン風ミッション様式、そしてもちろんプレーリーなど、パラパラめくっているうちに半日が過ぎてしまった。すぐ忘れちゃうけど。
 『ハウス・スタイル』はカラー写真が美しい。クイーン・アン様式(ヴィクトリアン)の家々が並んだサウス・カロライナのチャールストンやニュージャージー州のケープ・メイを思い出した。ケープ・メイは5年前のハリケーン・サンディの被害から立ち直っただろうか。


肩パッド外し2017/08/10

 「肩パッド外し」という言葉のリズムが「騎士団長殺し」に似ていると思いながら、古いジャケットの裏地を剥がした。右側から出てきた分厚いパッドは2枚、肩の縫い目の上下をがっちり補強していた。さすが80年代。ボン・ジョヴィの歌が聞こえそう。you give love a bad name...🎵
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 この古いジャケットは、30年ほど前ネットショッピングなど想像できなかった時代に、L.L.BeanのUS通信販売カタログを取り寄せて注文したものだ。何年もクローゼットの奥に眠っていたのを、ライト断捨離中に掘り出した。形が変なのは、明らかに堂々と張り出した肩のせいだ。資源ゴミに出すか古着引取りカウンターに持っていくか、しばらく迷ったが、手放すには忍びない。かと言って、リペアショップに肩バッド外しを頼めば少なくとも数千円はかかってしまう。そんな余裕ございませんわ。いっそのこと自力で直してみようと、手仕事を開始した。

 真夏の部屋で文字通り汗水たらし、足掛け3日で肩幅狭いジャケット完成。やみくもに裾と袖の裏地までほどいたので、余計に時間がかかったのだ。不要な作業だったね。でも縫い直したのは裏地だから、不器用さも目立たない。アクロンでザブザブ大胆に水洗いして、柔軟剤仕上げをした。Y校の夏休みを有効に使ったなあ(と自己満足)。実はもう一着あるんですが。

迷い込んだ家(プレーリー・ホーム)2017/07/23

 アイオワ州のメイソンシティでフランク・ロイド・ライト設計の Stockman House を探している時、2ブロックほど手前の角に似たような造りの家を見つけた。Google Mapのナビはまだ先を示していたものの、いつもの早とちりで「あー、あった」と道路ぎわに車を止め敷地に入り込んだのがこの家だ。
後で調べて判ったことだが、そこは(無名の)サミュエル・デイヴィス・ドレイク邸だった。中西部に数多く建てられたプレーリー派建築の一つだ。

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 博物館にしては荒れた建物だとすぐ気づきそうなものなのに、"hello, hello."と言いながら裏まで回って無人の家のドアを叩いたのは(普段と全く違う大胆な)旅行人格によるものとしよう。本物のストックマン・ハウスを見つけた後(ただし既に閉館時間)、 Historic Park Inn に入って持ち帰ったリーフレットに気になる説明があった。メイソン市には他にもプレーリー派の家々が幾つもあるらしいのだ。
 検索してゆくと、プレーリー派建築を訪ねる旅サイトThe Prairie School Traveler に辿り着いた。2005年から12年にかけてパニング氏 J.A.Panning が協力者と共に集めた、プレーリー派関連の膨大な資料サイトだ。そしてそのデータの中に、旅先で迷い込んだ家があったというわけだ。

 上記PST「プレーリー派の家を巡る旅行サイト」(現存する家の索引)にはアメリカ39州と海外6カ国の建物地図と詳細リンクがあり、日本をクリックすればフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの建築に関わったアントニン・レイモンドの設計リストが現れる。できれば、遠藤新氏の自由学園明日館ヨドコウ迎賓館なども付け加えたいところだ。

 ドレイク邸発見の経緯:
PSTアイオワ州索引には200を超える建物リストが並んでいる。そして、特に数の多いメイソン市には地図リンクが張られている。
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西のインターステート35N線からこの地区に入り込み、どこをどう通ったのか、6月24日の午後を思い出しながら地図を移動して行くと、お、見事的中!
PSTdrakehouse

 Stockman Houseの資料には建築家 Einar Broaten の解説もあり、幸運なことに彼の作品例としてこの家が取り上げられていた。
教師、電報技師、駅職員として働いたドレイク氏がここに土地を購入したのは1915年のこと。建築にまつわる話には、さらに他のプレーリー派建築家名が書かれている。Walter Burley Griffin, Barry Byrne, ...
広大な中西部に文字通り水平に広がったプレーリー派について、もう少し読み解いてみるとしよう。よく知られた建築家リストは以下のページに。

トランプ時代の、でも変わらないミネソタ(第16次遠征隊#4)2017/07/15

 去年の大統領選で周囲は全部共和党の赤で埋め尽くされたけれど、ミネソタ州は毅然と青い民主党色を誇っていた。友達は皆どんな思いで暮らしているんだろう。とは言え、外国人が無神経に政治の話を口にするものではない。ゆめゆめうかつに話題にしないようにしよう。出発前そう自分に言い聞かせていた。
 ところが、ブランチのテーブルで、夕食後にリキュール飲みながら、どこかからポロンとその名前が出ると、すごい勢いで皆が思いのたけを話し始めるのだ。胸の悪くなるようなニュースが続き、見たくも聞きたくもないが、彼が大統領なのだ。堪えるしかない。でも出口は探したい。

 ミネソタ州は美しい所だ。変わらない風景に気持ちが和む。一番美しいのは秋の紅葉だろうか。でも春も夏もよい。恐ろしく寒い冬も楽しい。

 友達のキャビンからほんの5分走れば、カスケード川州立公園がある。滝を見に、短いトレッキングコースを歩いた。ルピナスの群生地もすぐ近くだ。
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 湖にボートを出して釣りをしたり(釣れないので魚屋へ)、夫たちは(ボールがいくつ無くなるかを競う)ゴルフに出かけたり、グランマレーのギャラリーを回ったりして、よく話しよく笑い、3日間は瞬く間に過ぎてしまった。

 ミネアポリスへの帰り道、州のシンボルでもあるスプリットロック灯台を見に行った。あいにくの霧雨だったが、灯台好きには外せない。
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 帰国前日、スーザンたちとミネハハ滝近くのレストランに出かけた。Minnehahaはロングフェロー作「ハイアワサの歌」に登場するダコタ族の恋人の名前だ。ミネトンカ湖などから続く滝の水は、少し先でミシシッピ川へ流れ込んでゆく。
 ミネソタへは遅くても4年後にまた行くだろう。大統領は変わり(至極当然!)変わることのない風景と友達が待っているのだ。

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今回の走行距離 766マイル、約1,225km(6/23-30)

4年ぶりのミネソタ(第16次遠征隊#3)2017/07/15

 出発前日にふと思いつき、古い新聞記事をスキャンして持って行った。最初にミネソタを訪れた時のものだ(もちろん初めての海外旅行)。1970年代のミネソタ・スター紙(現在はスター・トリビューン)が、日本からサマーキャンプにやって来た高校生を取り上げている。当時はまだ短期留学生が珍しかったのだろう。

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 その後、偶然にもまたミネソタに日本語教師として派遣され、2000年から娘と2年過ごした。その時期に知り合った何人かの友達を、親切なスーザンがブランチに呼んでくれた。16歳だったんだ、へえ。面白がってこの記事に目を通し、話が広がった

 スペリオル湖沿いの町には、70年代のサマーキャンプで知り合った友達も住んでいる。今では家族ぐるみの長い長い友達だ。
ブルミントンに2泊後北へ走った。湖を見下ろすシーニック・ドライブはMinnesota State Highway 61でもある。つまり、ダルース出身のボブ・ディランが歌った "Highway 61 Revisited" の北の端だ。
 L&G夫妻の家には、娘といた頃にも何回かお邪魔している。今回は自分たちで2年がかりで建てたというゲストキャビン(普段はリゾートとして貸し出している)を、夫とわたしに3泊提供してくれた。ミネソタ風のログキャビン、何てステキなんでしょ。窓の外にはスペリオル湖が広がっている。テーブルにはちょうど見頃のルピナスが飾られていた。

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 ところで、"No Direction Home"の冒頭で「故郷への長い旅に出たオデッセウスのように、どこにあるかわからないホームを探し続けている」と語ったボブ・ディランだが、ダルースでは毎年 Duluth Dylan Festival が開かれている。2013年に続いて、ディランが今年も故郷を訪れるらしいと聞いた。

アイオワ州のFLライト(第16次遠征隊#2)2017/07/15

 今回のルートはオマハからアイオワ州を通ってミネソタ州北部までというものだが、計画中にミネソタの友達が道沿いにある興味深い場所をいくつか書き送ってくれた。おおこれは是非!と組み込んだのは、メイソンシティという小さな町にあるフランク・ロイド・ライトの建物だ。

 Stockman Houseは博物館になっているが、ツアー時間に間に合わず外側を一周しただけ。実は近くに同じようなプレーリー・スタイルの家があり、少々迷って時間がかかったのだ。あれは似非ライトだったのか?
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 Historic Park Innではライトの意匠デザインを存分に見ることができる。特に断りもせずロビーに入り、応接室を撮らせてもらった。素晴らしい!!
建物を修復する時、市内の医師夫妻からステンドグラスの天井パネル25枚が寄贈されたと言う。(この翌日ミネソタのスーザンが、補修を担当したガラス工房製のFLスタイル窓飾りを見せてくれた。)
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 ホテルの前にある公園に、ライト氏がデザイン画を抱えて立っている。帝国ホテルでは今年、生誕150周年記念イベントが開かれていますね。
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 オマハからメイソンシティまで約400km、およそ4時間半。メイソンからミネソタ州ブルミントンまでは約200km、2時間余り。予約しておいた車種はもうないからと貸し出されたJeepは、燃費がかなり悪い。途中気づかないうちにタンクが空になり、(何もない一面のコーンフィールド、ハイウェイ35N線で)ぎゃーエンストか〜っ?!と青ざめたが、危ういところでガソリンスタンドを見つけ、何とか友人宅にたどり着いた。気をつけなくちゃ。

オマハ(第16次遠征隊#1)2017/07/15

 6月23日、デルタ航空ミネアポリス便が2時間遅れで羽田を出発、乗り換え便は自動的に差し替えられ、夜7時過ぎにオマハ空港に到着した。ネブラスカは全米ドライブ計画の47州目だ。空が広い。日が長い。レンタカーを借り、明るいうちにホテルに入ったが、予定していたオールドタウン散策はできずちょっと残念だった。

 なぜオマハに来たのか?"What brings you here?"と何人かに聞かれ、"beer and beef"と答えた。そう、ネブラスカについて調べた時、真っ先に頭に浮かんだのがこれだった。早速のビア・テイスティング。うふふ。
写真では大きく見えるけど、グラスの大きさは100mlくらい?とは言え12種類あれば、なかなかの量ではあります。もちろんOmaha Steakも注文。オールドタウンの中心にあるマイクロ・ブルワリーUpstream Brewery Company、テーブル係が親切だった。
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 翌朝、ヘンリー・ドーリー動物園に行った。Henry Doorly Zoo & Aquariumは世界有数の動物園として有名らしい。広々としたサファリを象やキリンが悠々と歩いている。砂漠ドームや蝶の温室も珍しく楽しい区画だ
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 オマハで有名なのは、大富豪の投資家ウォーレン・バフェット氏だろうか。ジョスリン美術館やダーラム博物館なども、時間があれば足を伸ばしたかった。
ルイス&クラーク探検隊が立ち寄ったというミズーリ川沿いを少しドライブし、数年前の映画『ネブラスカ』や(ブローティガンの小説に登場した)ネブラスカのことばかり考えている男のことなど思い出しながら州境を越えた。