でも歩くハバナ(メキシコ&キューバ旅行#6)2014/04/14

 がっかりしてばかりいられない、はるばる来たんだから。自分に言い聞かせて、ハバナの街を歩いた。ホテルから1ブロックのオビスポ通りを東へ西へ、セントラル公園を北へ南へ、旧市街新市街さらに町の外へも、徒歩でバスで歩き回った。
 写真はオールド・ハバナのヘミングウェイ関係あれこれ。

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 フロリディータで伝説のパパ・ダイキリを飲む。
カウンターの向こうでちょっと気取って葉巻をくゆらせていたアジアの文学青年は、韓国人だった。一人旅同士、ヘミングウェイ像と一緒の写真を撮り合った。
 ボデギータ・デル・メディオは、モヒートと音楽と落書きで有名だ。わたしも名前とトンボの絵を小さく書き加えた。
 ピンク色のホテル、アンボス・ムンドスの511号室は、ヘミングウェイがFinca Vigiaを購入する前に長く滞在した場所だ。タイプライター、釣り道具、ピラール号の模型などが飾られていた。窓の下にはにぎやかなオビスポ通りがあり、西端のアルマス広場も見える。

歩いて考えるハバナ(メキシコ&キューバ旅行#7)2014/04/14

 他の観光地と同様、ハバナにも乗り降り自由の観光バスがあり、利用すれば市内と周辺を回ることができる。2014年春現在、ルートは2つ(ネット上には3つのルートがあるが、変更されている)。曇天の30日は市内を周遊するT1ルートのバスに、翌日はトンネルをくぐって東のビーチへ行くT3ルート・バスに乗った

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 革命広場にあるチェ・ゲバラ壁画の文字は、「永遠に勝利まで」という意味だそうだ。カパーニャ要塞にチェの資料室があり、机や銃、愛用のカメラや双眼鏡などが展示されていた。女性職員が敬愛するチェについて、熱心にスペイン語で解説してくれる。身振り手振りのおかげか、少し分かるような気がした。
 モロ要塞の先には、白い灯台が立っている。
 
 T3ルートの終点は、フロリダ海峡沿いの美しいビーチだ。白い白い砂浜で、貝のかけらを拾った。
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 旅行中、何人かのキューバ人と話した。
 ホテル近くのレストランで持ち帰りピザを焼いてもらっている間に、にこにこ顔のT氏が息子アントネリ君9歳の写真を見せに来た。Finca Vigiaのことをぼやくと "Hemingway is dead, but I'm here. Let's talk." この国の暮らしは難しいし離婚して寂しいが、"me inside happy"だそうだ。
 民芸品市場の外では、なぜかバス運転手とガイドがランチを食べに行ってしまった待ち時間に、元船員のおじいさんと話した。子供5人孫14人、日本へ行く航路には縁がなかったという。一度アルゼンチン沖を南下しホーン岬を回った途端ものすごい嵐になり、太平洋はこりごりだそうだ。スペイン植民地時代からハバナの道路は石畳だったが、「アメリカが入ってきてこうなった」

 革命博物館の展示物などをみているうちに、この社会主義国家の人々がどんなに自分の国を誇りに思っているかが分かってくる。革命成功までの困難とその後の道のりの資料が並ぶ中、キューバ危機に関するパネルはたった1枚だ。わたしが知っていた断片的な、反米、カストロの独裁、ミサイルなどの言葉は、あるフィルターを通したものだったのだろう。一方、戦車やタンクなど英雄礼賛的なその展示には指導者の方針が作用している。「教育と医療費は無償です」とガイドのトニーは胸を張っていた。国と国との力関係は理解を超えるが、実際に行ってみると、物事には様々な側面があることに改めて気づく。
 国立美術館本館では、力強いカリブ的色彩の現代美術に目を見張った。とりわけキューバの生活文化を描いたアベラに感心し、ポスターを購入した。

 この春、旧国会議事堂、ガルシア・ロルカ劇場、市立博物館も改装中だった。いつも宿題が残りますなあ。モヒートを飲むなら元祖スロッピー・ジョーがお薦め、と書いておしまいにしよう。革命後廃墟になっていた歴史的バーは美しく修復され、50数年ぶりに再開されている。