トロント空港(メキシコ&キューバ旅行#1)2014/04/06

 3月24日から4月2日まで、メキシコシティとハバナに行ってきた。ざっと備忘録をつけておこう。各都市どちらも4泊ずつの一人旅だが、メキシコシティでは友だちのアメリカ人夫妻と予定を合わせて同じホテルに宿泊し、一緒に現地ツアーに参加した。

 米系航空会社はキューバへ飛ばない。∴エアカナダを利用し、まずはトロントへ。
確か7年ぶりのピアソン国際空港だが、各ゲート前が超現代的/近未来的なスペースに変わっていた。高いテーブルとスツール/低いテーブルとチェアが配置され、各席にタブレットがひとつずつ載っているのだ。iPhone充電しつつ、ゆったり。人口の少ないカナダならでは、ですよね。日本ではきっと行列ができてしまう。

pearson toronto

 成田からトロントまでの飛行時間は11時間。この空港で3時間の乗り継ぎ時間を過ごし、メキシコシティまでさらに4時間半飛ぶ。到着は深夜だ。メキシコは遠い。

メキシコ市内ツアー(メキシコ&キューバ旅行#2)2014/04/06

 寒い寒いミネソタからやって来たS&G夫妻と、朝食のレストランで待ち合わせた。二人は太平洋側のリゾート地で数日過ごしてから、メキシコシティへ来た。近況を報告し合い、ホテルの固いベッドを嘆き合い(G「床に寝てるみたいだ」、Best Westernなのに)、現地ツアーの迎えを待った。

 参加者は5人(アメリカ人4人)のこじんまりしたツアーだ。わたしの英語力のせいか、メキシコ人ガイドの説明が聞きにくい。半分聞き流しながら、世界遺産の旧市街を歩き、中心部の広場ソカロへ出た。
 広場の北側に、堂々としたメトロポリタン大聖堂が建っている。
zocalo

 国立宮殿の回廊をぐるりと埋め尽くすディエゴ・リベラの壁画で、複雑なメキシコの歴史を少し学ぶ。
diegorivera

 must-see国立人類学博物館、太陽の石。アステカ・カレンダーには様々なモチーフが彫られている。1時間足らずの見学時間ではもちろん足りない。ガイドは最大の見どころであるアステカ室だけを丁寧に解説していたが、お願いして一人でテオティワカンとマヤ室も回った。わかっているけど、慌ただしい。
stoneofsun

 市内ツアーは午前9時から3時まで。ソナロサ地区のホテルに戻ると、近くのメキシカン・レストランでS&G夫妻とランチを取った。そしてやっぱり強いマルガリータにくらくらしながら、迷路のようなインスルヘンテス民芸品市場をさまよった。

付記:今回のテーマソング Jemes Taylor “Mexico” (Gorilla 1975)

太陽のピラミッド(メキシコ&キューバ旅行#3)2014/04/06

 地下鉄などの公共交通機関を利用して町を回るのが好きだが、メキシコシティは巨大だ。都市部に800万人、郊外も加えると人口およそ2,000万人が暮らしているという。治安も考えれば現地ツアーがよいと聞いて、S&G夫妻とメールで相談し、以下のツアーをオンライン予約しておいた。到着翌日からの予定は以下の通り:

1日目 市内ツアー Viator Mexico City sightseeing tour US$45.99
2日目 テオティワカン遺跡とグアダルペ寺院ツアー
3日目 ソチミルコとフリーダ・カーロの家ツアー
    Wayak Xochimilcho tour US$48.00

 固いベッドと水でGが体調を崩してしまったため、テオティワカン遺跡ツアーにはSと二人で参加した。英語グループ・バスは12人、アメリカだけでなくアイルランド、オーストリアなどからの参加者もいる。唯一のアジア人は、その日"Tokyo"と呼ばれることになった。

 奇跡のグアダルペ寺院とサボテングッズお土産物店を経て、レストランで昼食(別料金)を取り、いよいよテオティワカンに到着した。
紀元前、広大な土地にテオティワカン人が造り上げた宗教都市には、神殿の跡や壁画が残り、大きなピラミッドが二つそびえている。月のピラミッドと太陽のピラミッドだ。今日を逃せば、もう二度とチャンスはないだろう。登らなくちゃ。

teotihuacan

 太陽のピラミッドは高さ65m、ギザ・クフ王の半分にも満たないわけだが、運動嫌いの中年Tokyoにはとても厳しい。5歳年上のSは登らず、石段を進むわたしの写真を撮ってくれた。踊り場でぐらぐら大笑いの膝を立て直し、手すりを頼りに何とか頂上に辿り着いた。
 ここにしか吹かない風が吹いている。ここでしか見られない景色が広がっている。よし。がんばりました。

フリーダの青い家とマリアッチ(メキシコ&キューバ旅行#4)2014/04/06

 メキシコシティはかつてアステカ王国の首都としてテスココ湖の周りに栄えた都市だったが、16世紀初めにスペイン人エルナン・コルテスによって征服された。スペイン人たちはアステカの建造物を徹底的に破壊して湖を埋め立て、その上に現在のメキシコシティが造られた。
 などと解説する3日目ツアーのガイドは、巧みなバイリンガルのマルコ氏。スペイン語と聞きやすい英語で、歴史と町の成り立ちについて淀みなく話し続ける。(帰りのアンケート時、気に入ったら「マルコはgood」、気に入らなかったら「サンチョはダメ」と書くようにとのこと)

 地盤の悪い中心部から南へ行くと、壁画で有名なメキシコ自治大学やコヨアカン地区が火山岩の固い地盤上にある。メキシコシティは休火山に囲まれた盆地でもある。フリーダ・カーロの青い家は、落ち着いたコヨアカンの中だ。
bluehouse

 1階で作品を見て、住まいの中を通り2階に上がる。採光のよいスタジオには、フリーダと巨象ディエゴ・リベラのイーゼルが背中合わせに置いてある。
 印象深い一文字眉の映画、サルマ・ハエック主演の『フリーダを先月もう一度見た。映画の語るフリーダは、脚色されたフィクションだろう。ただ、実際にここに住んだ女性が様々な苦難にめげず、美しい作品を残したことに胸を打たれる。
freedroom


 ソチミルコの運河に、アステカ時代のメキシコシティを垣間見ることができる。
まあ、小舟トラヒネラ上で音楽を聴きながらランチとメキシコビールを楽しむ、一大観光地でもあるけど。
xochimilco

 この日の夜、08年に漢字クラスで教えたメキシカンのMさんが、わたしたち3人をレストランへ案内してくれた。La Fonda del Recuerdoはすごい。本格的メキシコ料理だけでなく、マリアッチ、伝統舞踊、投げ縄、さらに闘鶏まで楽しませてくれた。
mariachi

キューバで絶句する(メキシコ&キューバ旅行#5)2014/04/09

 何のためにハバナへ行ったか?
それは言うまでもなく、ヘミングウェイ博物館を見るためである。

 3月28日、早朝のクバーナ航空便でメキシコシティからキューバへ飛んだ。午後1時過ぎにハバナ空港到着。ピックアップサービスのガイド、日本語の上手なトニーさんが兌換ペソ CUC への両替を手伝ってくれて、車で旧市街のホテルへ向かった。
「ハバナへようこそ。何をしたいですか」
「Finca Vigia(ヘミングウェイ博物館)へ行きたいです」
「あ、それは残念ですね。見ることができません。今、閉まっています」
「!。。。(驚いて口がきけない。が、気を取り直す)あの、いつまでですか」
「4月までです」
ヘミングウェイ邸Finca Vigiaは、アメリカ映画撮影のため閉鎖されており、見学はまず無理だろうという。でも余りの意気消沈ぶりを見かねて、トニーさんは上手にお金を渡せば入れてくれるかもしれない、とアドバイスしてくれた。つまり賄賂を渡せということだ。そうか、ここはキューバだ。何とかなるかもしれない。
 その日はチェックイン後、一人オビスポ通りを散策して過ごした。

 翌朝、ホテル前でタクシーをチャーターした。Finca Vigiaまで往復40兌換ペソを35に値切って、ちょっと満足する(後で聞いたら、30CUCでよかったらしい。1CUC=105円、カナダ$から交換
道々20分間、運転手はヘミングェイ博物館は素晴らしい、と愛想よく話し続ける。閉まってることを知らない?それとも今日は開いている?
 道路際に立つヘミングウェイ博物館表示を見て左折し、小道を進んだ。
運転手「あれ、何か書いてあるよ」

fincavigia1

 ああ、やっぱり!
「入れないよ」という運転手の声を無視して、門の中に立つガードマンに声をかけた。それから15分懇願/嘆願/哀願を続け、ついには門に半身を入れて不器用にお金を渡そうとしたけど...。
 実はこの門の中、博物館の広い敷地ではキューバの野球少年たちが練習試合をしているのだ。ゲーム観戦中の大人も大勢いて、門の様子を見ていたキューバのおばちゃんにスペイン語で「あんた、むりむり」と言われる始末(たぶん)
政府がアメリカの映画会社に1ヶ月貸し出しているので、観光客を入れるわけにはいかない。もしこっそり入れれば、すぐに知られ、ガードマンは職を失う、とタクシー運転手が言う。それはそうだよね。

 ヘミングウェイ邸は野球が行われている広場の向こう、小高い木立の奥にあり、外からは全く見えない。しょんぼりしながら塀の周りを少し歩くと、林の中にパパの愛艇ピラール号が置いてあった。
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 挨拶をして帰ることにした。
しょうのないやつだ、と苦笑いするガードマン。
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 ところで、考えてみれば、タクシー運転手はもちろん事前にこの閉館を知っていたわけですよね。調子よく往復の仕事を引き受けたけど。そして、わたしも一度は行くつもりだったけど。
 翌日から、ホテルの正面ドアを通るたび、そこで客待ちをする運転手はわたしを「ヘイ、ヘミングウェイ!」と呼ぶのであった。

 説明を付け加えると、博物館貸し切りはこれまでほとんどなかったことであり、また情報はどこにも載っていない。旅行計画中の1月頃、博物館サイトに確認のつもりでメールも出したが、インターネット普及途上国のためか返事はなかった。関連ニュースも検索できない。つまり、行ってみなければわからなかったことで、単によくよく間抜けな話なのだ。

 いつかまた、キューバ&ブラジル旅行でもしよう。ご一緒できる方はご連絡くださ〜い。

でも歩くハバナ(メキシコ&キューバ旅行#6)2014/04/14

 がっかりしてばかりいられない、はるばる来たんだから。自分に言い聞かせて、ハバナの街を歩いた。ホテルから1ブロックのオビスポ通りを東へ西へ、セントラル公園を北へ南へ、旧市街新市街さらに町の外へも、徒歩でバスで歩き回った。
 写真はオールド・ハバナのヘミングウェイ関係あれこれ。

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 フロリディータで伝説のパパ・ダイキリを飲む。
カウンターの向こうでちょっと気取って葉巻をくゆらせていたアジアの文学青年は、韓国人だった。一人旅同士、ヘミングウェイ像と一緒の写真を撮り合った。
 ボデギータ・デル・メディオは、モヒートと音楽と落書きで有名だ。わたしも名前とトンボの絵を小さく書き加えた。
 ピンク色のホテル、アンボス・ムンドスの511号室は、ヘミングウェイがFinca Vigiaを購入する前に長く滞在した場所だ。タイプライター、釣り道具、ピラール号の模型などが飾られていた。窓の下にはにぎやかなオビスポ通りがあり、西端のアルマス広場も見える。

歩いて考えるハバナ(メキシコ&キューバ旅行#7)2014/04/14

 他の観光地と同様、ハバナにも乗り降り自由の観光バスがあり、利用すれば市内と周辺を回ることができる。2014年春現在、ルートは2つ(ネット上には3つのルートがあるが、変更されている)。曇天の30日は市内を周遊するT1ルートのバスに、翌日はトンネルをくぐって東のビーチへ行くT3ルート・バスに乗った

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 革命広場にあるチェ・ゲバラ壁画の文字は、「永遠に勝利まで」という意味だそうだ。カパーニャ要塞にチェの資料室があり、机や銃、愛用のカメラや双眼鏡などが展示されていた。女性職員が敬愛するチェについて、熱心にスペイン語で解説してくれる。身振り手振りのおかげか、少し分かるような気がした。
 モロ要塞の先には、白い灯台が立っている。
 
 T3ルートの終点は、フロリダ海峡沿いの美しいビーチだ。白い白い砂浜で、貝のかけらを拾った。
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 旅行中、何人かのキューバ人と話した。
 ホテル近くのレストランで持ち帰りピザを焼いてもらっている間に、にこにこ顔のT氏が息子アントネリ君9歳の写真を見せに来た。Finca Vigiaのことをぼやくと "Hemingway is dead, but I'm here. Let's talk." この国の暮らしは難しいし離婚して寂しいが、"me inside happy"だそうだ。
 民芸品市場の外では、なぜかバス運転手とガイドがランチを食べに行ってしまった待ち時間に、元船員のおじいさんと話した。子供5人孫14人、日本へ行く航路には縁がなかったという。一度アルゼンチン沖を南下しホーン岬を回った途端ものすごい嵐になり、太平洋はこりごりだそうだ。スペイン植民地時代からハバナの道路は石畳だったが、「アメリカが入ってきてこうなった」

 革命博物館の展示物などをみているうちに、この社会主義国家の人々がどんなに自分の国を誇りに思っているかが分かってくる。革命成功までの困難とその後の道のりの資料が並ぶ中、キューバ危機に関するパネルはたった1枚だ。わたしが知っていた断片的な、反米、カストロの独裁、ミサイルなどの言葉は、あるフィルターを通したものだったのだろう。一方、戦車やタンクなど英雄礼賛的なその展示には指導者の方針が作用している。「教育と医療費は無償です」とガイドのトニーは胸を張っていた。国と国との力関係は理解を超えるが、実際に行ってみると、物事には様々な側面があることに改めて気づく。
 国立美術館本館では、力強いカリブ的色彩の現代美術に目を見張った。とりわけキューバの生活文化を描いたアベラに感心し、ポスターを購入した。

 この春、旧国会議事堂、ガルシア・ロルカ劇場、市立博物館も改装中だった。いつも宿題が残りますなあ。モヒートを飲むなら元祖スロッピー・ジョーがお薦め、と書いておしまいにしよう。革命後廃墟になっていた歴史的バーは美しく修復され、50数年ぶりに再開されている。