9/30-10/03 Washington DC(第5次遠征隊#6)2007/10/06

 よく歩いたワシントンDCの記録

1日目
 知り合い二人は先に帰国した。○○年ぶりの一人旅にちょっと緊張する。
 ダレス空港からフライヤー・バスとメトロを乗り継ぎ、昼過ぎにフォギーボトム駅から歩いて5分のホテルに到着。一休み後、以上のようなルートで歩いた。
ウェスティン→リンカーン・メモリアル→リフレクティング・プール→ワシントン・モニュメント→ナショナル・ギャラリー西館→アメリカンインディアン博物館-(メトロ)→ユニオン駅 ここまで約8km。(今Google Earthで確認した)
 ユニオン駅でビール(必需品)を購入し、フードコートでインドカレーの夕食を取ってホテルに戻る。どんどん歩く一人旅もなかなかよいなあ。

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2日目
 デュポン・サークル駅へ向かうと、駅前で朝市をやっていた。少し覗いてからメトロに乗り、ホワイトハウス・ビジターセンターへ行く。ミネソタから来たと言う家族と話し、ツアーモービルに乗る。主だったポイントを回る観光バスだがモール周辺は歩けるので、アーリントン墓地のケネディ家の一角と航空博物館だけ途中下車した。
 その後、前日ゆっくり見られなかったインディアン博物館へ行き、ナショナル・ギャラリー東館で現代美術とエドワード・ホッパー展を見てから国立公文書館へ行くが、5時半で閉館だと聞く。とぼとぼ北上して、7時まで開いているポートレート・ギャラリーとアメリカン・アート美術館へ入ると、その充実ぶりに疲れを忘れた。
 メトロ駅を探していたら中華街の門があった。こじんまりとした店で火鴨麺の夕食を取る。この日歩いたのは約7.5km。

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3日目
 ジョージ・ワシントンの邸宅マウント・ヴァーノンに行く。ツアーバスは夏期だけ運行と書いてあり、前日までどうしたものかと考えていたのだが、ネットで調べると、行き方はとても簡単。メトロと1時間に1本のローカルバスで難なく到着した。

mv (クリックでMount Vernonサイトへ)

 邸宅内ガイドツアーと敷地内散策で2時間、併設の博物館で1時間を過ごす。ワシントンの時代、首都フィラデルフィアからここまで馬車で1週間の道のりだったそうだ。私はヴァージニア州から50分ほどでDCへ戻った。さーて、国立公文書館だ。
 ロタンダに入る。独立宣言書は色あせて字はほとんど判読できなかった。人だかりができているのは中央の合衆国憲法だ。ルイジアナ購入の契約書や奴隷制廃止の書類も見ることができる。回廊にある大統領関連の展示物も興味深かった。
 最終日の夕方だ。何か大事なことを忘れている、、、そうだ、ホワイトハウス!公文書館からせっせと歩く。南のフェンス前に、観光客はまだ大勢集まっていた。
 Border'sで本を買い、メトロに乗る。ホテル前のタイ料理店でトムヤムクンとタイ焼きそばの夕食。この日は約7キロ歩いた。さて荷造りだ。

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 10/02の便で翌3日に成田着。数えてみたら、USA50州のうちこれまで23州をドライブしていた。

極私的ヘミングウェイ年(第5次遠征隊#7)2007/10/06

 <第5次遠征隊で特に記録しておきたいこと その1>

 Very Personal Hemingway Year2007である。春にはキーウェストの家を見た。当然ながらオークパークへも行かなければならない。

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 訪ねたのはシカゴ到着の翌日。ゴスペルを聴いた後、旅の仲間は歩いてシカゴ美術館へ、私はCTAのグリーンラインでオークパークへ向かった。

 ビジターセンターが予め資料を送ってくれたのは有り難い。案内所前で無料のシャトルバスを待つことにした。が、時間を過ぎてもなかなかやって来ない。予定時間から15分ほど過ぎて、Oak Park Shuttle Serviceと書かれた白いワゴン車が停まった。お客は誰も乗っていない。
「私だけ?」と聞くと、ドライバーの若い女の子が
「うん、もうみんな歩いて行っちゃったんじゃない。私コーヒー買ったんだけど、水っぽいから入れ直してもらった。で、遅れた。」
屈託がない。
 次のバス停には上役とおぼしきおじさんが待っていて、別の観光客を乗せた。
「遅かったねー。スキップして行っちゃったかと思ったよ」
「コーヒーが水っぽくて、入れ直してもらったから」
「そうかあ」
観光局職員の二人、の〜んびりしてます。日本ではあり得ない。

 この町はフランク・ロイド・ライトのスタジオでも有名だ。ルートに沿って、まずライトの家で降りた。
 セルフツアーのつもりだったが、内部はガイドと一緒でなければ見られない、と受付で説明される。F.L.ライトの家を外から見るだけなんてバカげている。選択の余地なく、混んでいたこともあって約50分待つことになった。
 代わりに鼻をかみたくなる鼻炎のツアーガイドに案内され、20人ほどのグループで邸内を回る。現代建築の巨匠、プレーリースタイルの祖の最初の作品がこの自宅なのだ。壁にピアノがはめ込まれた子どもたちのスペースが魅力的、家中にあるステンドグラスも素晴しかった。

 なんてことをしていたら、ヘミングウェイに割ける時間が少なくなってしまった。もうシャトルバスは当てにならない。早足で歩き、アーネスト君の生家と博物館を猛スピードで見て回った。
 クイーンアン・スタイルの生家でヘミングウェイが過ごした時期はほんの数年、6才の時、この医師一家は市内の別の家に引っ越している。
 生家に大叔父タイレー用の部屋があったことは、ヘミングウェイの人生に大きな影響をもたらしたと言える。世界中を航海した大叔父が時折滞在しては、小さなアーネストにたくさんの冒険談を語ってくれたのだそうだ。

オキーフが4点(第5次遠征隊#8)2007/10/06

<第5次遠征隊で特に記録しておきたいこと その2>

 ナショナル・ギャラリー(国立美術館)の広い広い館内をさまよった。
途方に暮れるほどの数の名画が、次から次へと現れるのだ。
 この秋、西館ではターナー、東館ではエドワード・ホッパー展が開かれている。その区画には人が大勢いるが、他の部屋はごくまばらに歩いているだけだ。
ゴッホ、カンディンスキー、ピカソとゆっくり向き合った。
そしてオキーフが4点もあるこの部屋、これを一人で見られるなんて何という贅沢だろう。

 ところで、私の電子チケットぴあデジポケには今、「フェルメール・牛乳を注ぐ女 とオランダ風俗画展 前売券」が入っている。たった1枚のフェルメールに東京では一体何人が群がるのかな。仕方ないけど。
 この地で、A Lady Writing, the Girl with the Red Hat, Woman Holding a Balanceの3枚を独り占めできたことを幸運としよう。

注:この国立美術館は入場無料。
  さらに、シカゴ美術館同様、写真撮影も許可されている。