極私的ヘミングウェイ年(第5次遠征隊#7) ― 2007/10/06
<第5次遠征隊で特に記録しておきたいこと その1>
Very Personal Hemingway Year2007である。春にはキーウェストの家を見た。当然ながらオークパークへも行かなければならない。
訪ねたのはシカゴ到着の翌日。ゴスペルを聴いた後、旅の仲間は歩いてシカゴ美術館へ、私はCTAのグリーンラインでオークパークへ向かった。
ビジターセンターが予め資料を送ってくれたのは有り難い。案内所前で無料のシャトルバスを待つことにした。が、時間を過ぎてもなかなかやって来ない。予定時間から15分ほど過ぎて、Oak Park Shuttle Serviceと書かれた白いワゴン車が停まった。お客は誰も乗っていない。
「私だけ?」と聞くと、ドライバーの若い女の子が
「うん、もうみんな歩いて行っちゃったんじゃない。私コーヒー買ったんだけど、水っぽいから入れ直してもらった。で、遅れた。」
屈託がない。
次のバス停には上役とおぼしきおじさんが待っていて、別の観光客を乗せた。
「遅かったねー。スキップして行っちゃったかと思ったよ」
「コーヒーが水っぽくて、入れ直してもらったから」
「そうかあ」
観光局職員の二人、の〜んびりしてます。日本ではあり得ない。
この町はフランク・ロイド・ライトのスタジオでも有名だ。ルートに沿って、まずライトの家で降りた。
セルフツアーのつもりだったが、内部はガイドと一緒でなければ見られない、と受付で説明される。F.L.ライトの家を外から見るだけなんてバカげている。選択の余地なく、混んでいたこともあって約50分待つことになった。
代わりに鼻をかみたくなる鼻炎のツアーガイドに案内され、20人ほどのグループで邸内を回る。現代建築の巨匠、プレーリースタイルの祖の最初の作品がこの自宅なのだ。壁にピアノがはめ込まれた子どもたちのスペースが魅力的、家中にあるステンドグラスも素晴しかった。
なんてことをしていたら、ヘミングウェイに割ける時間が少なくなってしまった。もうシャトルバスは当てにならない。早足で歩き、アーネスト君の生家と博物館を猛スピードで見て回った。
クイーンアン・スタイルの生家でヘミングウェイが過ごした時期はほんの数年、6才の時、この医師一家は市内の別の家に引っ越している。
生家に大叔父タイレー用の部屋があったことは、ヘミングウェイの人生に大きな影響をもたらしたと言える。世界中を航海した大叔父が時折滞在しては、小さなアーネストにたくさんの冒険談を語ってくれたのだそうだ。
Very Personal Hemingway Year2007である。春にはキーウェストの家を見た。当然ながらオークパークへも行かなければならない。

訪ねたのはシカゴ到着の翌日。ゴスペルを聴いた後、旅の仲間は歩いてシカゴ美術館へ、私はCTAのグリーンラインでオークパークへ向かった。
ビジターセンターが予め資料を送ってくれたのは有り難い。案内所前で無料のシャトルバスを待つことにした。が、時間を過ぎてもなかなかやって来ない。予定時間から15分ほど過ぎて、Oak Park Shuttle Serviceと書かれた白いワゴン車が停まった。お客は誰も乗っていない。
「私だけ?」と聞くと、ドライバーの若い女の子が
「うん、もうみんな歩いて行っちゃったんじゃない。私コーヒー買ったんだけど、水っぽいから入れ直してもらった。で、遅れた。」
屈託がない。
次のバス停には上役とおぼしきおじさんが待っていて、別の観光客を乗せた。
「遅かったねー。スキップして行っちゃったかと思ったよ」
「コーヒーが水っぽくて、入れ直してもらったから」
「そうかあ」
観光局職員の二人、の〜んびりしてます。日本ではあり得ない。
この町はフランク・ロイド・ライトのスタジオでも有名だ。ルートに沿って、まずライトの家で降りた。
セルフツアーのつもりだったが、内部はガイドと一緒でなければ見られない、と受付で説明される。F.L.ライトの家を外から見るだけなんてバカげている。選択の余地なく、混んでいたこともあって約50分待つことになった。
代わりに鼻をかみたくなる鼻炎のツアーガイドに案内され、20人ほどのグループで邸内を回る。現代建築の巨匠、プレーリースタイルの祖の最初の作品がこの自宅なのだ。壁にピアノがはめ込まれた子どもたちのスペースが魅力的、家中にあるステンドグラスも素晴しかった。
なんてことをしていたら、ヘミングウェイに割ける時間が少なくなってしまった。もうシャトルバスは当てにならない。早足で歩き、アーネスト君の生家と博物館を猛スピードで見て回った。
クイーンアン・スタイルの生家でヘミングウェイが過ごした時期はほんの数年、6才の時、この医師一家は市内の別の家に引っ越している。
生家に大叔父タイレー用の部屋があったことは、ヘミングウェイの人生に大きな影響をもたらしたと言える。世界中を航海した大叔父が時折滞在しては、小さなアーネストにたくさんの冒険談を語ってくれたのだそうだ。
コメント
_ Beach ― 2007/10/07 01:05
フランク・ロイド・ライドにヘミングウェイの生家・・・興味あるもののルーツを探る旅って感じで素敵です!!個人的には日本にも数多くの建築物を残したF・L・ロイドの生家が気になります。これぞ彼の建築に対する想いがうかがい知れそうな場所ですね。
_ dragonfly ― 2007/10/07 21:05
先月だったか、日経新聞にライトはものすごくわがままなたつだった、というコラムが載っていたんだけど、家を見る限りでは、なかなか子煩悩な人のようでした。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://dragonfly.asablo.jp/blog/2007/10/06/1839573/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
_ 「恐ろしべき」日本語教室#2 - 2007/12/08 17:51
マドリッドのBotin
http://www.botin.es/Web-Jp/index.html
から引用
スペインへの旅行でBotinがまだ節約する18世紀のインの空気によってseduceように持っている多くの外国の著者がある:ジョン
http://www.botin.es/Web-Jp/index.html
から引用
スペインへの旅行でBotinがまだ節約する18世紀のインの空気によってseduceように持っている多くの外国の著者がある:ジョン
_ Tombow Notes - 2011/05/23 20:31
シカゴ郊外のオークパークに、フランク・ロイド・ライトの家とスタジオがある。ヘミングウェイの生家から、ほんの15分ほど歩いた所だ。(太字リンクしてます) Frank Lloyd Wright Pres