広島と倉敷へ2015/01/13

 明けましておめでとうございます。すっかりご挨拶が遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。細々と書き続けますので、時々覗いてくださいね。

 K校もY校も冬休みはちょっと長い。8日から広島に2泊し、帰りに倉敷にも立ち寄った。と、時間があればついどこかへ出かけたくなるものの、実はかなり間の悪い旅行者である。
 バッド・タイミングの最たるものは、去年地球を半周して到着したキューバのヘミングウェイ博物館映画撮影のため閉館中事件だが、思い出してみれば、アルハンブラ宮殿ではライオンのいる中庭にライオンがいなかったし(どこかで補修中)、メンフィスのロックン・ソウル博物館もパーティ貸切中とか、イスタンブールのボスポラス海峡クルーズ悪天候で何も見えずとか、心残りは世界のそこかしこに散らばっているのだ。

 さて、初広島は、、
hiroshima2015

 原爆ドーム補修工事開始を知ったのは旅行手配後だったし、あきらめ半分で出発したのだが、全部覆われていなくてよかった。原爆資料館のほうも、改修のため平成28年春まで本館しか見学できないらしい。
とは言え、仏テロ銃撃事件のさなか、70年前の重いメッセージは静かに確実に伝わってきた。

 翌日は宮島へ行った。厳島神社を参拝した後、紅葉谷公園を歩き、ロープウェイに乗る。獅子谷駅に着くと、弥山の山頂まで30分という案内図があり、それならと歩き始めたが、中高年にはけっこうきつい山道だ。弥山本堂までで断念した同行者(夫)を置いて、登り続ける。ふうふう辿り着いた標高535mの山頂で、展望台から瀬戸内海を見下ろした。

miyajima2015

下山後、皆が薦める宮島口の有名あなご飯屋さんに立ち寄ると、あれれ、またしても臨時(!!)営業時間短縮で閉まっている。仕方なく隣の店に入った。
 その他広島で食べたもの:広島焼き(3種食べ比べ)、焼き牡蠣、揚げ紅葉饅頭など

 3日目は倉敷へ移動し、美観地区を散策した。
大原美術館は学生時代以来だ。けれども、その昔エル・グレコを見たことなど全然覚えていない。若くてふわふわ軽薄だったよね。
 山登りに息切れしても、絵を見ることは少し上手になったと思うことにしよう。年をとるのは悪いことばかりじゃない。
ポロックのタイトルが"Moby-Dick"なのはなぜ?ピカソの牛の頭蓋骨と花はオキーフと共通のモチーフだ。セザンヌの小さな"the Bathers"、クレーとミロの色彩に立ち止まる。マティス嬢はちょっと地味めか。ゴーギャンにはやはり揺すぶられる。
今回、大正期の関根正二や萬鉄五郎がぐんと身近になった。「信仰の悲しみ」に胸を打たれ佇むこと数分。また、スタインの時代に学んだパリ豚児グループ(日本洋画)にも興味が湧いてきた。

kurashiki2015

oharaM2015

真冬のベランダ菜園2015/01/25

 寒い寒いとぼやきながら、仕事に出かけ、超高速晩ご飯を作り、家を片付け、週末には外部研修や新年会などに出かけているうちに、1月も終わりかけている。早すぎるよね。気持ちに余裕がない。
 でも気がつけば、出がけに水をやっていただけのプランターに、春菊とほうれん草が伸び出している。去年から放っておいたクロッカスの球根も、葉が出始めた。

wintergarden2015

 春菊は「ためしてガッテン」のサラダを試してみよう。10秒ルール、20秒ルールって何だっけ。ハーブティもできると言っていたような。

1月の日本語教室2015/01/29

Y校 初級クラス
  「なんさいですか
  「うるさいです」

  「どこの人ですか」
  「おとこの人です」

  注:音の合う答えを言っただけ。意味は考えていない、たぶん

K校 中級クラス
 「時は止まることなく流れる、、これはたとえば、誰がどこで言っていますか」
 「わたしが、鏡の前で」

 彼は両親と離れ(   狼   )のもとで育てられた。


 1月期はY校で週3日、K校で週2日、つまり毎日午後クラスを教えている。講師が足りないとのことで、予定外に金曜日も担当することになった。楽しいT書店通いはしばらくお休みだ。
 とは言え、教室に行けばなかなか愉快なことが待っている。ネパール、ベトナム、スリランカなどの非漢字圏学生が増えて速度はぐんと緩くなったが、中国人学生たちとは違う発想に笑わされている。