治療の選択2015/08/03

 あまりにもプライベートな出来事を書いたことが恥ずかしくなっているが、出してしまったものは仕方がない。恐らく気持ちが少しばかり麻痺していたんだろう。

 最初の心筋梗塞後、できる限りの情報をインターネットや図書館で集めたものの、それらが実際の治療に役立ったとは言えない。古い世代の母はインフォームド・コンセントに無関心で、自分の置かれた状況を理解しようとはしなかった。難しいことはわかりません、全てお任せします」と担当のお医者さまを全面信頼していた。

 手術を受けるべきか否か妹と相談し合っていた頃、もしかしたら下記のようなセカンドオピニオンが手助けになったかもしれない。手術は本人の希望だったし、後戻りはできないけれど。

日本心臓財団サイト

 手術後次第に体調が悪くなってしまうと、検査データに応じて様々な点滴治療が続けられた。ある症状を抑えるために強い薬が使われ、その薬によって別の症状が出てしまうのだった。最後の1ヶ月は幾度か救命措置も取られた。それを間近に見ていると、救命と延命の境目は曖昧であるように思われた。
治療の選択は本当に難しく、答え/結論を得て初めて、それが正しい道だったかどうかが判る。結論が出てしまった今でもまだ整理がつかない。

コメント

_ とんでれら ― 2015/08/04 00:57

結論が出た今でもまだ整理がつかない。
家族だから当然です。
私の父の場合、胃ろうをしないほうがよかったのか、今でも家族の心には複雑な思いが残っています。治療と救命と延命はおっしゃる通り境目があいまいで、それでも最後の最後まで「治って家に連れて帰るんだ」という家族の気持ちに嘘はありませんでした。お別れがわかっていたら・・・ああもしてやった、こうもしてやりたかった。胃ろうはしなかった。無理してでも最後の数日は家で過ごさせてやるんだった・・・などと、来年は七回忌を迎える今でも、私たち家族は考え続けています。これからもずっとそうだと思います。亡き人のことを思うこと、それも供養になるのだとしたら、亡き人の身になって考え続けようと思います。あれでよかったんだ。そうしない自由もあったけど家族だからこそ、生きる方に望みをかけたんだ。別れはいつかは来るとしても「その日ではない」と思っていたから。今は病気の苦しみのない世界で、父はおだやかに暮らしていると思うようにしています。

_ dragonfly ― 2015/08/04 21:50

とん先輩、ありがとうございます。
そうですね、「治って家に帰ろうね」と言い続けた日々でした。
考え続けることが供養になるという言葉がうれしいです。どんな選択をしても後悔は残るのでしょうが、いなくなってしまった人のことをいつまでも大切に思い続けたい。時折話しかけ、それを通して自分も励まされる。信頼できる人を家族に持ったことの幸福を感謝したい、と思っています。

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