ヘミングウェイはシンガポールへ行かなかった2025/02/27

 ほぼ半世紀ぶりのシンガポールだった。
遠い昔とも言える1970年代のシンガポールに、マーライオンはいなかった。
記憶しているのは、蘭の花が美しい植物園、タイガーバーム・ガーデンという公園、そしてラッフルズホテルだ。地下鉄はなく、ポツンポツンとホテルの並ぶ広いオーチャードロードを自転車タクシー、トライショーで移動したことを覚えている。それはシンガポールがマレーシアから独立した1965年から10年余り後のことなのだ。

 今や、超近代都市となったシンガポール。クラークキーからのリバークルーズ、マリーナベイ地区の(チームラボ)アート・サイエンスミュージアムやガーデンズ・バイ・ザ・ベイ、対岸の大観覧車シンガポール・フライヤー、ナイトサファリ、リトル・インディアやアラブ人街などで、忙しく4日間を過ごした。

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 それから、フェリーで1時間足らずのインドネシア領ビンタン島へ渡って4日間。活動的な前半とは対照的にプールサイドでゆっくり本を読んだ。予想以上に無惨に日焼けしてしまったけれど、よい休日だった。
bintan2025

 という旅記録を書くため昔のシンガポールについて調べていたら、気になる記事をいくつも発見した。シンガポール・スリング発祥の地であるラッフルズホテルは、ヘミングウェイが宿泊したことで有名だ、というのだ。
えっ?ヘミングウェイがシンガポールに?
何かの間違いでしょう。それとも、わたしが知らなかっただけ?

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Hemingway Adventure by Michael Palin

 モンティ・パイソンの人気者、知性派のイギリス人コメディアン/作家マイケル・ペイリンは、ヘミングウェイの大ファンだった。BBCで『ヘミングウェイ・アドベンチャー』というシリーズを制作し、またヘミングウェイが訪れた世界各地への旅記録の本(上記)も出している。
 わたしのヘミングウェイ・アドベンチャーは、この本を大いに参考にしていた。ペイリンの助けで、シカゴ近郊のオークパーク(ヘミングウェイの生家)や、パリのアパート、キーウエスト、キューバのハバナへ行った。また、ヘミングウェイで有名なマドリッドのレストラン子豚の丸焼きボティンや、ヴェネチアのハリーズバーにも出かけてみた。キリマンジャロは遠すぎるけれど、ヘミングウェイゆかりの地には、ずいぶん熱心に足を運んだものだ。
でも、彼がアジアの国に?シンガポールに?
ペイリンだって一行も書いていないよね。
嘘でしょう、、?

 ChatGPTに聞いてみよう。
答えはすぐに出た。
  ヘミングウェイがシンガポールを訪れたという記録は確認されていません。
  アジアへの訪問については、中国(重慶など)や香港には行った記録がありますが、
  シンガポールについての言及は見つかりません。

 ほらね(ちょっと得意そう)。
 ヘミングウェイより少し前の世代の作家たち、サマセット・モームやコンラッドなどはラッフルズホテルやバンコクのオリエンタルホテルに(長期)滞在したという。
この混乱の理由のひとつは、思うに、カクテルのシンガポール・スリングが、ハバナのパパ(ヘミングウェイ)のフローズン・ダイキリやモヒートと同じように、文学の香りを帯びた飲み物だという共通点にもあるのだろう。

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