春の旅行 パリ(1)2019/04/20

 ノートルダム大聖堂火災のニュースに自分の目を疑った。つい先月あの塔に登ったばかりなのだ。堂々たるゴシック建築、387段の石段をよろよろと上がり、ガーゴイルとキメラを眺め、パリの街を見下ろした。修復工事の足場に囲まれた尖塔も、写真に残っている。フランスの人々の無念に胸が痛む。

3月のパリ7日間:

16日(土)
 仁川経由で(安い大韓航空利用)夕方シャルル・ド・ゴール空港着。空港内の観光インフォメーションでミュージアム・パス4日間とメトロ切符10枚カルネを購入。RERとメトロでグランシエール駅から徒歩7分のホテルへ。チェックイン後、近くのレストランでフォアグラ・サラダと赤ワイン。一人旅開始だ。


17日(日)
 小雨の中、ヴァンヴ蚤の市。アフリカ系移民も多い。カメルーンやガボンのお面は、その昔旅をする時パスポート代わりに首から下げていたものと聞いて興味を持つが、€30買わず。
 メトロでシテ島へ移動。サント・シャペルの光溢れるステンドグラスが美しい。

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 コンシェルジュリーでマリー・アントワネットの独房など見学した。ミュージアム・パス利用は入場券を買う必要がなく便利。ただし、セキュリティチェックの列には並ぶ。
 セーヌ川の橋を渡り、マレー地区へ。噂の中東ファラフェル・サンド屋でランチ。ヴォージュ広場近くをぶらぶら歩いていると、ストリート・ミュージシャンがシャンソンを奏で、80代とおぼしき婦人がステップを踏んでいる。パリへ来たんだなあ。

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ピカソ美術館に到着。が、特別展のため青の時代の自画像と「海辺を走る二人の女」が架かっていない。あー、いつもながら間が悪い。前回は改築中だったのに。仕方ない。またいつか来よう。
 メール Meert でゴーフルを買い、向かいのカフェでカプチーノ休憩。マレー地区を西へ歩き、ポンピドゥーセンター国立近代美術館へ。マティス、カンディンスキー、シャガール、クレー、、充実の2時間半。疲れてホテルに戻り、歩いて数分の店に入ったら古いクスクス・レストランだった。人参とじゃが芋ゴロゴロスープ、ハリッサソース、ラム肉の串焼きとクスクス、これをどうする?隣に座っていたおじさん二人が親切に食べ方を教えてくれた。


18日(月)
 お天気回復(2週間の旅行中、雨は前日とブルージュ日帰りの日だけだった)。コンコルド広場を通って、オランジュリー美術館へ、モネの睡蓮に圧倒される。

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下の階にはセザンヌ、ルソーなど。カンディンスキーとフランツ・マルクの青騎士小展もあった。チュイルリー庭園を散歩し、Paulの出店でキッシュとオランジーナを買い、ベンチに座ってランチ。カケラを求めて、ぐわぐわとアヒルが寄ってくる。
さあ、いざルーブルへ。
 ドラクロア、ダヴィンチ、ラファエロ、、、有名作品前は人人人。スペイン絵画を探していたら、同じようにうろうろしていたアメリカ人男性が「迷っちゃってモナリザの部屋を5回も横切ったよ」とぼやいていた。数え切れない名画を観ながら4時間も歩けば、足だけでなく頭もガチガチになる。
 サン=ジェルマン・デプレに移動し、カフェ・ドゥマゴでカプチーノ。

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Google mapで偶然発見した、全然有名じゃない街角のケンタウロス像 Anciennes Granges aux Malades de Naples まで足を伸ばす。射手座だからね。
 ホテルに戻り、近くのレストランで牛肉ソテーとフレンチフライの夕食。クローネンブルグ1664のラズベリービールがおいしい。この日の移動はバス。


19日(火)
 ヴェルサイユ宮殿へ。メトロからSNCFフランス国鉄Nライン、さらにヴェルサイユ近くで、と計2回乗り換える。駅前から人波が続き、宮殿入り口の門まで長い列。それなのに、この日の展示は中央部の豪華絢爛な鏡の間と王の寝室付近だけで、テロの影響なのか、庭園やトリアノンは非公開だった。内部を1時間ほど歩き、ちょっと拍子抜け。午後はオルセー美術館へ行くことにした。
 パリ中心部へ戻り、オルセーのカフェテリアでラザニアとサラダ。ゴッホとゴーギャンからスタートし、草上の昼食、ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット、、iPhoneホーム画面に貼り付けていたアンリ=エドモン・クロスの点描画作品 Golden Isles がここにあるとは知らず驚く。印象派の女性たちメアリ・カサット、ベルト・モリゾー、、テレビの特集で見たアール・ヌーヴォー、ギマールデザインの家具など。3時間があっという間だ。

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 夕方、サン=ジェルマン・デプレ教会を経由して、オデオン街12番地まで歩く。ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』を出版したシルヴィア・ビーチの、初代シェイクスピア&カンパニーがあった場所だ。建物には文学史跡のプレートが貼られている。写真(1928年)の若きヘミングウェイが頭に包帯を巻いているのは、確かアパートの天窓が落ちてきたから。

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 夕食は駅前スーパーでサンドイッチとレモネード、ベーカリーでタルトを買い、ホテルで簡単に。
 思い出すまま書いていたら、グルメにもブランド・ショッピングにも無縁なこの備忘録、ちょっと長くなりそうだ。

「ジーニアス:ピカソ」のスタイン2018/11/17

 昨日、ディヴィッド・ホックニーの「スイミングプール」が存命中の画家としては最高額で落札された、というニュースが流れた。クリスティーズのオークションがこの前大きなニュースになったのは、ピカソ「花を持つ少女」を含む半年前のロックフェラー・コレクションだろう。

From Gertrude Stein to the Rockefellers: The Collecting of Modernist Masterpieces


 9月から放映されたナショナル・ジオグラフィックのドラマ「ピカソ」で、1905年にレオ・スタインがまだ無名だったピカソからこの絵を購入する場面が描かれていた(全10話の第5話)。自由奔放、言いたい放題の妹ガートルードは少女の足が「猿みたい」と感想を述べ、自宅のサロンでは花瓶で足を隠してしまう。

 スタイン・コレクションに関する資料は数多い。
For Gertrude Stein, Collecting Art Was A Family Affair
An Eye for Genius: The Collections of Gertrude and Leo Stein  など

 1905年の秋季展でマティスの「帽子の女」を一目見たピカソが「道化師の家族」の出展を取りやめた、というエピソードは本当だろうか。友達のアポリネールマックス・ジャコブに囲まれたピカソが「マティスは全てのルールを曲げた。僕は壊したい」と決意を口にする。

 フォーヴィズムへの転換点とされる「帽子の女」は、現在サンフランシスコ現代美術館の代表的所蔵品だ。妻のアメリは帽子店を経営してマティスを支えたそうだから、実際に大きな帽子を被っていたのだろう。カラフルな色彩に驚く人々がドレスの色について質問すると、「もちろん黒さ」と答えたというのは有名な話だ。

 ピカソの申し出に応じ肖像画を描いてもらうことになったガートルードは、「帽子の女」ばりの派手な帽子でアトリエ(洗濯船)にやって来る。途中一度も絵を見られず、80回もポーズを取らされた挙句完成した絵が全く自分に似ていないと、ガートルードは不満を言う。が、ピカソは「大丈夫、こうなるから」と宣ったというのも有名な話だ。When Stein told Picasso, "It doesn't look like me," he replied, "Don't worry. It will."

 この時期ピカソをインスパイアしたのは、ローマ時代以前のイベリア彫刻とアフリカン・マスクだった。ライバル心を燃やすマティスとピカソ二人の、ちょっとした口論も挟み込まれる。肖像画に示された強い意志は、キュビスムの原点「アヴィニョンの娘たち」にも繋がっていく。
スタイン肖像画は、NYCのメトロポリタン美術館で観ることができる。

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 パリのフルール街27番地、スタイン・サロンの写真を2枚置いておこう。上は本物(1908年頃、クリックで拡大、肖像画はまだ額装されていない)、下がドラマのものだ。時代考証がすばらしく、15歳の「科学と慈愛」に始まり、青の時代の作品群、ゲルニカ、関わった女性たちを描いた眠る女、泣く女、花の女、、次々と登場する再現作品に心踊るドラマだった。

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 ピカソがスタインに与えた影響についても、様々な考察がなされている。ガートルードは、言うまでもなく文学のキュビスム作品を残したのだ。
How does Pablo Picasso’s Portrait of Gertrude Stein reflect Stein’s literary portraits of Picasso?
「マティス」と「ピカソ」 : ガートルード・スタインの文学的肖像と反復 神戸市外国語大学外国学研究

2018秋の旅行(3) サンクトペテルブルク2018/09/30

 8月半ば、中国人卒業生と会ってエルミタージュ美術館の話をしたら、
「おそロシア〜」と忘れかけていた駄ジャレがかえってきた。あはは、だけど実際にどんな街なんだろう?地下鉄に乗れる?と内心心配していたのだ。
 それが、行ってみれば何てことはない。ロンドン、ローマ、ニューヨークと同じようにバスや地下鉄で移動し、道がわからなければ通行人に尋ね、疲れればコーヒーショップに入ればよい、ごく普通の都会でありました。

 日曜夜8時、プルコヴォ空港に到着。あらかじめ頼んでおいた送迎車でホテルに着き、(キリル文字看板に迷ったけど)近くの店で夕食を取った
 翌月曜日は美術館がお休みのため市内を散策(午後から雨)、火曜日が念願のエルミタージュ・デイだ。短いけれど、充実した(3泊)2日間だった。備忘用写真をアップしておきたい。

 聖イサク大聖堂。サンクトペテルブルクはロマノフ王朝初代ピョートル大帝(1672-1725)の命を受けて、ネヴァ川デルタ地帯(沼地)に建設された人工都市だという。軟弱な地盤上の建設がいかに難工事だったか等々を、旅行前サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』小野文雄(中公新書)で読んだ。(池田理代子「女帝エカテリーナ」コミック3巻も。)
もちろんドームの展望台に登り、市内を見晴らす。
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 ネフスキー通りを歩く。「ズドラーストヴィチェ」こんにちは
今回使ったのは、これと「スパシーバ」ありがとう
それ以上は頭に入らない。
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 血の上の救世主教会、見事なモザイクの壁面と天井を見上げた。
アレクサンドル2世(1818-1881)はこの場所でテロに倒れた。農奴解放など改革の皇帝だったが。
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 ネフスキー通りの文学カフェに座る国民作家プーシキン(1799-1837)、決闘で命を落とすなんて。
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 カフェ壁面に飾られた作家の肖像画、ロシア的な色彩だ。
小学生のための世界文学全集で「スペードの女王」「大尉の娘」を読んでから半世紀。今では、あの3つの数字しか覚えていない。
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 ランドマークのひとつ、アールヌーヴォー様式のシンガー社ビル
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 さあ、火曜日。ついにエルミタージュへ。写真でよく目にする薄緑色の冬宮は横に長い建物だと思い込んでいたが、あにはからんや、ほとんど正方形なのだ。気の遠くなるような広さ!
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 行列の続く冬宮入口でなく、事前購入者専用口で開始時間を待った。ところが、旧参謀本部の新館を先に観たいなら、直接入ってもよかったのだ。(オンラインチケットのバーコードで入場。)
 朝の新館は人が少ない。印象派、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、カンディンスキー、、、そして、このマティスの部屋にたった一人で。
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 新館で贅沢な2時間余りを過ごし、本館に来ると、そこは別世界/俗世界だった。大混雑のヨルダン階段。ポチョムキンの孔雀時計をぐるりと取り囲む人々。各国のツアー客がガイドに連れられ、名画から名画へと団体で大波のように移動してゆく。
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 まあわたしも物見高い観光客だけど、人波の隙間をぬって、部屋番号を確かめながら館内を巡った。イタリア絵画はダヴィンチの聖母、ティツィアーノ、そしてラファエロの聖家族。カラヴァッジオは貸出中。オランダ絵画、スペイン絵画、、
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 本館も3時間歩いた。黄金の客間、真紅の間、、どの部屋も素晴らしいが、延々と続く人混みと豪華絢爛きらびやかな宮殿の装飾に疲労が溜まってゆく。古代ギリシャ、ローマ、東洋美術の区画はもう諦めよう。
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 地の底のように深いところにある地下鉄に乗って、ドストエフスカヤ駅へ行った。そこで文豪が待っているから。
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 ドストエフスキー(1821-1889)作品は父の愛読書だった。父の青年時代に、新潮社などから「ドストイェーフスキー全集」が出版されたようだ。それは例えば、わたしがサリンジャーを読むようなものではなかったかと想像する。作風は完全に異なるが、目を開かせる海外文学という意味合いで。
 ドストエフスキー博物館として公開されているのは、晩年の住まいだこの部屋で「カラマーゾフの兄弟」が書かれた。(不肖の娘は半分で挫折しました。ごめんなさい。)
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 参考までに(一人旅でも入りやすい)レストランのメモ
 ネフスキー通り周辺
 mamanadache カジュアルなロシア料理店 ママ・ナ・ダチェ
 Marketplace カウンターで選び作ってもらう、ロシア料理もパスタも
 Pelmenya ペリメニ ロシア風水餃子、飲茶もある
 

文化的かつ気楽な読書2018/07/28

 今週末は持ち帰り仕事が多いし、授業準備もしなくちゃ。さて、とテーブルに資料を広げたところへ本が届いた。台風接近の風をおしてお届け下さった郵便屋さん、ありがとうございます。
 たちまち仕事を忘れ、黄色い本のページをめくる。誘惑に弱い。うれしくてこんなものまで書き出している。まあ、明日もあることですし。


シンシナティ市内で(第17次遠征隊#6)2018/07/07

 市内に戻り、『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人の家へ行った。ここでもボランティアが丁寧に、シンシナティ時代のハリエット・ビーチャーと家族について説明してくれた。旅行前に読んだ村岡花子さんの『ハリエット・B・ストー』が著名な作者への理解を深めてくれたように思う。"Uncle Tom's Cabin"が南北戦争直前のアメリカに与えた影響は測り知れない。リンカーンがストウ夫人に言った言葉
 "so you are the little woman who wrote the book that started this great war."

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 坂を下って、市中心部にある国立地下鉄道博物館 National Underground Railroad Freedom Center に向かった。パブリックパーキングを探してウロウロするが、やけに車が多い。赤いTシャツの人々が大勢通り過ぎる。メジャーリーグの試合があったのだ。この日はレッズカブス、11対2で大勝(でもナショナルリーグ中部地区、現在までの結果はレッズ最下位らしい)。
 数ブロック離れた所に何とか駐車場を見つけ、博物館内をゆっくり見て回った。地下鉄道の最強コンダクターだった「女性モーゼ」ハリエット・タブマンは、再来年20ドル紙幣に肖像画が描かれるはずだ。フレドリック・ダグラス、ジョン・ブラウン、ローザ・パークス、さらに modern slavery の展示もあった。隷属状態に置かれる同時代の人々がいる。自由は未だ我々全てに保証されているわけではないのだ。

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 フリーダムセンターからオハイオ川方向を見る。
NYCのブルックリン橋と同じ構造/設計者のJohn A. Roebling Suspension Bridgeが架かっている。

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 翌日は日曜日、規模は小さいが美しいタフト美術館へ。折よくアンセル・アダムスの写真展が開かれていた(撮影不可)。ネバダの一本道でファンになってから何年たつだろう。今回ヨセミテのギャラリーを見てから来ることができたのは、とても好運な流れだった。
 エデンパークの丘を上ってシンシナティ美術館にも行った。1880年代に創られた古い博物館で、ヨーロッパ絵画もアメリカ絵画も上質の作品が多数収められている。ウォーホルのピート・ローズが何ともシンシナティ!外ではなぜかピノキオ像が大きく手を広げ、空を仰いでいた。

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 その町を知るにはマーケットへ行かなくちゃ。シンシナティには歴史ある市場Findlay Market があるらしい。野菜・肉・魚売り場をぶらぶら歩き、レモネード(2ドル)を飲み、キッシュとキャロットケーキを買った。

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 帰国前日は月曜日、残念なことに博物館・美術館は全部休館だ。仕方なく(でもないけど)アウトレットやショッピング・モール、スーパー、ドラッグストアなどを回り、一気に荷物が増える。知り合いのいない町で一人、いつも通り右往左往の3日間だった。
一つ付け加えると、1930年代に建てられたアールデコ建築のシンシナティ・ユニオン駅にも興味を持ったのに、併設の歴史博物館を含め長い改築工事に入っている。2018年夏リオープンという表示のサイトを何度もチェックしていたが、旅行期間には結局間に合わなかった。

 これで第17次遠征隊の記録完了。残りはノース・カロライナとアラスカの2州になります。いや、行きたい所はまだまだありますが。

サンフランシスコ・カルチャー散歩(第17次遠征隊#4)2018/07/07

 行かなければならない場所がいくつもあった。Uが帰国した後の2日間半、MUNI ClipperカードとGoogle Mapでサンフランシスコ市内を歩き回った。


 ビート・ジェネレーションのCity Lights Books、横の小道は今ジャック・ケルアック通りと呼ばれている。階段を上ると2階はPoetry Roomだ。窓辺にpoet's chairがひっそり置かれている。Nikki Giovanniを一冊買った。

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 そこから徒歩でワシントン・スクエアへ。ブローティガンがこのちょっとほっそりしたベンジャミン・フランクリン像の横に立ってから、もう半世紀以上たつのだ。後ろにコイット・タワーが見える。この前ここへ来た20代の頃には(大昔ですが)、塔まで歩いて行ったっけ。

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 坂の上のグレース・カテドラル内部に小さなエイズ・メモリアル・チャペルがあり、キース・ヘリングの"Life of Christ"が両翼を広げるように置かれている。

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 美術館にも行った。SFMoMAではルネ・マグリット展が開かれていた。数枚集められた光の帝国が圧巻だった。正面の作品はヴェネチアのペギー・グッゲンハイムから来ていた。

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 バスを乗り継いで、ゴールデン・ゲート公園内のデ・ヤング美術館へ。Cult of Machine展には、ジェラルド・マーフィの作品も並んでいた。最上階展望室から、カリフォルニアらしく明るい公園を見晴らした。

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 今回のテーマのひとつ、ジャック・ロンドンゆかりの場所が、対岸のオークランドにもある。フェリーに乗って、ジャック・ロンドン・スクエアに出かけた。『野生の呼び声』に登場するような小屋と狼の像がある。その横には(これは本物の)Heinold's First and Last Chance Saloon 1880年に開店し、若いジャック・ロンドンが店のテーブルで勉強したという。店主のジョニー・ハイノルドはジャックにカリフォルニア大バークレー校の学費を(中退してしまったが)援助した。
アラスカのゴールド・ラッシュ時代には、この港から大勢の男たちが「最初で最後のチャンス」に賭けて、船で北へと向かったものだ、と解説されている。

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F.L.ライトも見よう(第17次遠征隊#3)2018/07/07

 サンフランシスコ周辺の有名建築と言えば、フランク・ロイド・ライトのマリン郡シビックセンターだろう。フリーウェイを南下し、広々と広がる庁舎に着いた(解説多いため「美の巨人たち」にリンク)。
映画『ガタカ』の撮影などにも使われた宇宙船のような建物は、ライト晩年の作品だ。資料室を見学し、回廊をぐるりと歩いた。

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 この2日後になるが、サンフランシスコ市内にあるFrank Lloyd Wright Spiral Interiorも訪ねてみた。ユニオンスクエアのすぐ近くにあるビルは現在、紳士服の店舗になっている。快く写真を撮らせてくれたものの、ちょっと場違いな雰囲気(わたしが)。スパイラル構造はもちろん、NYCのグッゲンハイム美術館と共通のものだ。

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 今回のカリフォルニア・ドライブは、3日間で約750マイル(約1,200km)だった。レンタカー会社が途中で交換してくれたトヨタの赤いランドクルーザーで、ひゃあひゃあ言いながら渡ったゴールデン・ゲートの写真も置いておこう。慣れないその大型四駆で市街地に入り、坂道を上り下りしてホテルに横付けし、空港へ車を返却に行ったのだ。よくやったね。

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