わ、これどこ? ― 2011/09/17
週末『恋とニュースのつくり方』(原題Morning Glory)を借りてきて、だらだら見ていました。ハリソン・フォードもダイアン・キートンも、難しい年齢になっちゃいましたねえ。
映画は若きレイチェル・マクアダムス主演のサクセス・ストーリーなんですが、こんな場面が出てきました。ん、これどこ?
一時停止して、iPhoneで確認用写真をパシャッ。

せっせと資料を読むレイチェルの横にずんぐり座るのは、まごうかたなきガートルードおばさん、ここ最近の私のテーマであります。
gertrude stein statue new york とググってみたら、ピンポーン、出てきました。
ニューヨーク公立書館裏の、ブライアント公園なんだそうです。アメリカの彫刻家 Jo Davidson が1920年に作ったスタイン像(仏像的作品を意図したもの)の複製、と説明がありました。
デビッドソンのパリのスタジオでポーズをとった時、スタインはおだんご頭だったのでしょうね。5分刈りではなく。
ピカソ、マチス、ブラックなど、まだ無名に等しい新しい画家の作品を買い集めるようになり、スタインは宝石や衣装に興味を持たなくなった、もちろんその余裕もなくなった、と何かで読んだことがあります。
つまり、おだんご頭(または5分刈り)は、20世紀の偉大な芸術後援者の象徴でもあったわけですね。
コメント
_ K ― 2011/09/19 13:47
_ K ― 2011/09/19 13:51
拡大してみたら、写真の下に、マン・レイが1926年に撮影したようなキャプションがあります。
_ dragonfly ― 2011/09/19 23:43
Kさん、リポートありがとうございます。私がチェックしたのは
New York City Statues
http://newyorkcitystatues.com/gertrude-stein/
台座には1923年作と掘られているのですが、サイトには実際にポーズをとったのは1920年と書かれてます。
Stein actually posed for the statue in 1920, in Davidson’s Paris workshop.
でも、本当ですね。マン・レイの写真は26年...
年号の違いが何かに影響するわけじゃないけど、面白い。こうなると共同研究みたい;-)
すると、ガートルードはいつ髪を切ったのか?
私は今日、五分刈りになりましたが。
New York City Statues
http://newyorkcitystatues.com/gertrude-stein/
台座には1923年作と掘られているのですが、サイトには実際にポーズをとったのは1920年と書かれてます。
Stein actually posed for the statue in 1920, in Davidson’s Paris workshop.
でも、本当ですね。マン・レイの写真は26年...
年号の違いが何かに影響するわけじゃないけど、面白い。こうなると共同研究みたい;-)
すると、ガートルードはいつ髪を切ったのか?
私は今日、五分刈りになりましたが。
_ yummy ― 2011/09/21 20:49
私の中ではガートルードおばさんといえば、預かった子供を虐待した悪名高きあの人しか思い浮かびません。
そしてブライアントパークといえばプロジェクトランウェイ最終決戦のファッションショーしか思い浮かびませんでした。
こんなに浅い知識の引き出しです。
そしてブライアントパークといえばプロジェクトランウェイ最終決戦のファッションショーしか思い浮かびませんでした。
こんなに浅い知識の引き出しです。
_ dragonfly ― 2011/09/22 22:18
預かった子供を虐待した悪名高きあの人?
プロジェクトランウェイ最終決戦?
どちらもすごく面白そう!! なのに、全然わかりません。今度教えてね;-)
プロジェクトランウェイ最終決戦?
どちらもすごく面白そう!! なのに、全然わかりません。今度教えてね;-)
_ T.Fujimoto ― 2011/09/22 23:11
Man RayがGertrudeの写真を撮り始めたのは1922年だと書かれるところもあります。
情報がすべて正しいとして強引にくっつければ、Jo Davidsonのところでポーズを考えたのは1920年、Man Rayの写真は1922年か1923年あたり、像が実際できたのが1923年、そしてMan Rayの写真を収めた写真集が世に出たのが1926年、ということになるのでしょうか?(笑)
情報がすべて正しいとして強引にくっつければ、Jo Davidsonのところでポーズを考えたのは1920年、Man Rayの写真は1922年か1923年あたり、像が実際できたのが1923年、そしてMan Rayの写真を収めた写真集が世に出たのが1926年、ということになるのでしょうか?(笑)
_ dragonfly ― 2011/09/23 01:03
おお、Fujimotoさん、見事な推理。
では、その仮説を何とか証明したい。でもどうやって?
取りあえず、明日(じゃなくて今日^^)出発します。ブライアントパークにも足を伸ばす予定です。
では、その仮説を何とか証明したい。でもどうやって?
取りあえず、明日(じゃなくて今日^^)出発します。ブライアントパークにも足を伸ばす予定です。
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「五分刈り」の言葉を使ったのは金関先生が最初でしょう。Wikipwdia にリンクがある写真を年代ごとに見比べてみたのですが、五分刈りよりは長い、おだんご頭に見えます。
この写真ではないでしょうか。
http://highway55.library.yale.edu/PHOTONEGIMG/screen/S375/s3750982.jpg
Wiki(ja) だと 1923年 の写真になっています。
アーティストのパトロンであり、文学のディレッタントであったのですよね。スタインの詩集とか小説は、出版は出来ても売れたのでしょうか。
図書館で偶然みつけた本ですが、神林恒道・仲間裕子編『美術史をつくった女性たち―モダニズムの歩みのなかで』(勁草書房 2003.12)の4章(pp.80 - 104)に、スタインが割り当ててあります。
美術史の本でモダニズムの女性たちを女性研究者が記述されています。当然フェミニズムの視点が含まれますし、「他者」や「身体性」などの表象文化論的な方法も取り入れられています。
この本は大学の教科書のような本で、もう一歩踏み込んだ議論をしてほしかったと感じました。
勁草書房の本は高いので(\3.000)急いで買う必要もないようにおもいます。