真夏の会話クラス代講 ― 2018/08/04
夏のK校は忙しい。なぜなら、短いホリデーコースや会話コースに、夏休み中の欧米人学生がどーっとやってくるから。
今期、久しぶりに短期コースの代講を数回引き受けた。完全に0スタートで毎日新しい内容を勉強した18人、4週間でサバイバル・ジャパニーズに織り込まれた名詞文、形容詞文、動詞文の基本も入った。多くはない既習項目を駆使し、臆せず日本語を話そうとするところが欧米人の良さだろう。(アジア人もネパール、スリランカなどは耳がよく、会話力が順調に伸びる)。
まとめの最終日は、ひらがな・カタカナカードで少し遊んだ。しばらくたつと何やら新しいゲームを始める自由さも欧米的。
このところ上級文法を受け持つことが多かったため、習いたてのラディカルな日本語遣いが新鮮だった。
正しい筆順 ― 2018/03/19
正しい書き順で書けば、美しく整った文字になるだろう。「だろう」と曖昧なのは、情けないほどの悪筆である上に筆順もいい加減だから。そうした頼りない状態で、漢字クラスをやり過ごしている(反省、でも直らない)。
冬学期はJLPT(日本語能力試験)N3レベルの担当だった。N1まで上がれば語彙を増やすほうに力点が置かれるが、N5で約100字、N4で約300字を勉強したこのレベルは、小学校の漢字学習数で言えばまだ3年生程度。特に非漢字圏の学生に対しては、漢字の成り立ちや筆順をゆっくり説明することが望ましい。「望ましい」ですよね、本当に。
毎回、おー、そうだった、こうだった、と書き直す二つの漢字。「必」と「飛」
漢字クラス(週2日、1時間半、約20人)の指導はこんな手順で行なっている。
・総まとめN3漢字の筆順付き練習シート(数年前にエクセルで作成)を配布
・1回に8つの漢字を導入、音読み・訓読み、使用頻度の高い熟語を説明
・前回の漢字でペア・ディクテーション(読み書きが交互にできるよう工夫)、
ふりがなをつけて提出、チェックし次回返却
・その日学習した漢字で短文作成、シートを提出、これも次回返却
・各課半分と終了時に、まとめ練習シートで読み書き復習
・校内漢字検定向けテスト形式プリント、必要に応じて使用
・その他、時間がある時には、漢字クイズ、漢字しりとり
漢字小カード(厚紙で作成、グループで読みチェック)など
教師が話す時間は短く、多国籍の学生たちが日本語で会話しながら学習を進める、というのがポイントだろうか。
教務からは進度の指定のみ、指導内容は各講師に任されている。学生は月1回の校内検定に合格すれば、次のクラスに上がれる。
年末・学期末 ― 2017/12/11
2017年春学期 ― 2017/06/19
卒業式2017 ― 2017/03/06
夏休みの子供レッスン ― 2016/08/24
夏休みの間だけ、週に2回各90分子供たちを教えている。
7月初旬に日本へ来て都内の小学校と幼稚園に入ったところで、すぐ夏休みになってしまった。ひらがな/カタカナと基本表現を教えてほしいという依頼だ。
今日が8回目。日常のあいさつ、簡単な自己紹介、数字は100まで、色、天気、時間など練習し、ひらがなは濁音まで終わった。ノートに書くだけでなく、アクション、iPadのKeynoteで作ったプレゼン・ファイル、カードなど工夫しているが、順番に並んでいないと字が読めない。カルタ取りゲームは張り切ってするのに、どうも定着しないなあ。
今日は付箋のひらがなを読んで、家の中に見つけ、貼り付けるゲーム。
とけい、まど、つくえ、いす、かばん、はこ、ぼうし、えんぴつ、ほん、みず、かさ、はさみ、れいぞうこ、そうじき、、、
いつの間にか読めるようになったお母さんに助けてもらいながら、楽しく飛び回って練習した。残りは2回。動詞でコマンドゲームでもしようか。
カタカナ全部する時間はないなあ。うーむ。
カール・マイって誰? ― 2016/05/11
ハドソン湾クエストの悪筆メモを解読しなくてはいけないのだが、今日聞いた話も書いておきたい。
カール・フリードリヒ・マイ(1842-1912)というドイツ人作家の書いた小説が大変面白く、中でも『アパッチの酋長、ヴィネトゥ』はとびきり痛快で血湧き肉躍る冒険譚であるらしいこと。
カール・マイ? スロバキア人学生に教えてもらうまで全く知らなかった作家だ。よく読まれているんだろうか。「ヴィネトゥ」が書かれたのは1893年だから、作品は19世紀、西部開拓時代の話だろう。日本語の資料はわずかで、取りあえず図書館に筑摩書房版をリクエストした。
ドイツ東部の小さな町に生まれ物語を描く才能に恵まれたものの家が貧しかったため師範学校にしか進学できず、そこでの厳しい規律への反抗から禁固刑を受け更生施設や刑務所に送られたが、不自由な生活の中で想像の世界を広げ文筆を仕事にすることを決意し編集者を経てフリーの小説家になり、やがて当代随一の人気作家となったカール・マイの冒険小説はオスマントルコ帝国やアンデス山中、アマゾン流域、またアメリカ西部などを舞台としており、その地名地形風俗描写の綿密さもさることながら民族宗教を語る比較文化/文化人類学的視点は確かで、変化に富む奇抜で見事なストーリー展開に読者たちは息を呑んで夢中になり、70代になったアインシュタインとシュバイツァーとヘルマン・ヘッセでさえ少年時代にその魅力の虜になったことを膝を叩き合いながら語り合ったという。(wikiを一文にまとめてみた)
そんな世界大冒険物語を書いたにもかかわらず、カール・マイは一度もアメリカへ行ったことはなかった。そして、ネイティヴ・アメリカンは白人の無法者の犠牲者として描かれている。って、へえ、面白そうですよね。
春学期は上級文法を受け持っているのだが、このレベルの学生たちとは本の話ができるのがとても楽しい。日本ではあまり知られていない作家や翻訳が出ていない作家について、他では得られない新鮮な情報が入ってくるのだ。最近では、それがこの仕事の魅力の一つになった。
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