スティーヴン・コルベアのレイトショー打ち切り ― 2025/08/10
スティーヴン・コルベアの番組が来年5月に打ち切りになるとのニュースが流れてから3週間ほど。それに関して、日本でもいろいろなサイトに(政治的な裏事情)解説が出ていた。
南アフリカ出身の Trevor Noah トレヴァー・ノアも好きだったが、デイリーショーは3年前に終わっている。コルベア・リポート以来時々見ていた、愉快で小気味よい切れ味のスティーヴン・コルベアなのだ。楽しみがなくなってしまうよね。
同じようにトークショーを持つジョン・ステュワート、ジミー・キンメル、ジミー・ファロン、セス・マイヤーズが、みな憤然とスティーヴン支持を表明し、恐怖をあおるトランプ政権の政治的圧力を各々の言葉で批判した。(次は自分か?という不安も。)
‘Yes We Canceled’ 後のスティーヴンだが、ますます堂々と舌鋒鋭く番組を続けており、10日前にはカマラ・ハリスが、数日前にはRobert Reich ロバート・ライシュ教授(クリントン政権時の労働長官、経済学者)が登場した。それぞれに近著の宣伝を兼ねての出演でもあり、カマラ・ハリスは(彼女の大統領選期間)"107 Days"、(遺伝性疾患のため低身長の)ライシュ氏は "Coming Up Short: A Memoir of My America" について少しだけ語ったが、その後はアメリカ社会の現状について思うところを自らの立場から真剣な表情で話し始めた。
一体全体、何という時代なのだろう。
スティーヴンに
「I told you so(だから言ったでしょ)と言いたくないですか」
と問われたカマラの答えは
「多くはわたしの予測通りになったけれど、この capitualation は思いもよりませんでした。わたしたちはあまりにナイーヴだったのでしょうね」
capitualation? 初めて聞く言葉だった。調べると、服従、降伏、、、出口は見出せないのか。
その4日後、ロバート・ライシュ氏はこう述べた。
「ファクトやデータがねじ曲がられていく時代に気づくのは、honesty 正直さとintegrity 誠実さというものの価値じゃないでしょうか。かつて Gilded Age 金ピカ時代と呼ばれる時代と、それに続く Progressive Era 進歩主義の時代がありました。今わたしたちは第2の金ピカ時代にいるのですが、この後には必ず革新の時代が来るはずです」
新聞を読むたびに疲労感の増す今日この頃、穏やかなライシュ教授の明るく迷いのない言葉を信じたく思う、切実に。
MacBook Air G4が来た!② ― 2025/07/14
Appleサポートは親切だった。
MacBookに外部から接続し、遠隔操作でテキパキと指示を出す。システム設定を確認し、様々なフォルダやファイルを開いたり閉じたり、、さらに旧iMacにも入って(この接続そのものにもレインボーがぐるぐる〜)、呆れるほど遅い反応を確認。作業が進まないため、途中からはiPhoneカメラでiMac画面の様子を見せた。
結論から言うと、iMacのシステム不具合がiCloud同期に何らかの悪影響を及ぼしたのだろう。消えたファイルは失われたまま、戻ることはない。タイムマシーンを使っていれば、再現できたかもしれないが、(速度低下の一因かと、2年前から使用していなかった)。
サポートスタッフから、ファイル移行に関するアドバイスもいただいた。iMacが不安定なので移行アシスタントはお勧めしない。外部ハードディスクにデータをコピーし、それをMacBookに繋いで移動したほうがよい。小さいファイルはAirDropで移動できる。
iMacは1TBあるが、MacBookの容量はその1/3なので、大量の写真と音楽ファイルは外部HDDに置いてアクセスすると安全だろう、など。
Appleさん、解りやすいご説明をありがとうございます。
2TBのポータブルHDDとUSB変換ケーブルがAmazonプライムデーから届くまでの間に、iMac内のデータを整理することにした。引っ越し荷物はスッキリさせないとね。
消えて泣きそうだった3つの書籍ファイルは、幸いなことに、去年Numbers(表計算アプリ)でローカル保存してあった!
未記録分の本を持ち出して入力することにしよう。1992年にPerformaのクラリスワークスでつけ始めた読書/購入書籍(日本・海外別)は、それ以後30年以上PowerMac、iBookなど5機種でファイル形式を変換しながら、記録保存し続けてきた。この個人的デジタル記録は自分にとって(だけ)本当に貴重なものだけど、正直に言えば、読んだ本の中身はほとんど忘れてかけているよね。
懐かしいMac画像を探してみた。

MacBook Air G4が来た!① ― 2025/07/13
iMacでのonlineプライベート・レッスンは4年目、レインボーぐるぐるマークとの闘いに疲れ果てていたところへ、MacBook Airがやって来た。
(ありがとう息子♡と、Amazonプライムデー;-)
ZoomまたはGoogle Meetで海外と繋ぎ、週に数回、1−2時間のレッスンを行なっている。仕事は引退かと思っていたけれど、(コストの安くなった)日本への留学希望者が増加し、またビザ発給の条件として一定の日本語力が必要とされるようになったため、来日前の学習申し込みも増えたのだ。その流れで、ここ最近、シニア教師もカナダ、イギリス、タイ、イスラエルなどの学生を担当している。
ところが、問題は8年目のiMacだった。
しばらく前から動きが悪くなっていたから、遅くても30分前にはZoomとChromeを立ち上げ(ぐるぐる〜)、続いて教材PDFをAdobeで開き(ぐるぐる〜)、必要ならプレビューで画像も用意し(ぐるぐる〜)、音声ファイルが正常に再生されるか確認し(ミュージック・アプリを使うこともある、ぐるぐる〜)、、、と、各作業開始に数分かかっていた。レッスン中は何とか動いたものの、4、5種類のアプリを同時にこなすのは、もはや無理だったのだろう。
もちろん、重くなったMacを回復すべく、セーフモードやNVRAMリセット、キャッシュのクリア、ディスクユーティリティなどを何回も試したが、効き目はなかった。レッスン開始直前に固まってしまい、
「ごめん、マックがフリーズした。10分待ってね」
とiPhoneから学生にメールを出すことも増えていた。
さて、わくわくのMacBookだが、到着初日には冷や汗たら〜りのトラブルがあった。データ移動前に様子を見ようと、まず、ChromeをインストールしてGoogleにログインしiCloudを開いたら、どうしたことか、クラウド・ドライブ内のファイルがごっそり消えている!10個ほどのフォルダはそのまま残っているのに、中身が空っぽなのだ。iPhone、旧iMac、新MacBook Airどこからアクセスしても、数百あったはずのファイルは影も形もなかった。うわあ、一番大切な本のファイルが!
深夜、途方に暮れながら、Appleサポートの窓口(電話)を確認して、ひとまず休むことにした。
6月の大阪万博 ― 2025/06/13
1週間前、大阪万博に行った。晴れのち曇り、気温29度の夢洲は、恐らく平均的な人出だっただろう。つまり、どこもかしこもかなりの混雑,,,

前売りチケットと往復航空券を購入し、ホテル1泊を予約したのは3ヶ月も前だったのに、詰めが甘かった。1ヶ月前のパビリオン予約抽選をうっかり逃し、要予約の入場も西ゲート10時になってしまった。慌てて1週間前抽選に応募したけれど、当たったのはカナダ館午後3時だけ。シグニチャーパビリオンのロボットやiPS心臓などは、よほど運がよくないと事前予約は無理だろう。

というわけで、予約不要のコモンズ館3館などに入場。いずれも大勢の人でにぎわっていたが、それぞれに興味を引く展示が並んでいた。ジャマイカ・ブースで夫はフセイン・ボルトの像と、わたしはボブ・マーリー像と写真を撮るとかね。
ずいぶん並んだけれど、(目的のひとつだった)近畿大学水産研究所の近大マグロ丼が食べられたのもよかった。おいしい。お薦めします。レストラン予約可、だったらしい。
大屋根リングは、実際に歩いてみれば、なかなか見事な建築物だった。制服を着た修学旅行の学生たちが、ぞろぞろと通り過ぎていく。1970年の大阪万博には、わたしも高校の修学旅行(大阪・京都・奈良)で行ったのだ。
パソコン、スマホ、VR、AR、OpenAI、、あの頃想像していなかった未来が来たのかしら?
それにしても、なんという時間の早さだろう。
モロッコ帰りにイスタンブール ― 2025/05/26
提供された旧市街の4つ星ホテル(ツイン、朝食付き)から歩いて行けるのは、まずブルーモスク。当たり前過ぎるけど、やはり外せない。
様々な国からやって来た観光客の長い列に加わり、根気よく並んで入場した。うっとり。
もちろんアヤ・ソフィアにも。
そして、地下宮殿にも。


ギュルハネ公園を散歩すると、トルコの国花チューリップが色とりどりに咲き誇っていた。
3月後半から、イスタンブール市長拘束にともなう抗議デモが続いているというニュースが報道されており少し心配していたが、旧市街は特に問題なく平穏だった。

この街でも「ニイハオ」「ピカチュー」、「ニイハオ」「ピカチュー」の応答が続く。
トラムでガラタ橋を渡り、ガラタ塔の下まで登ってみた。ふう。
イスタンブールは娘もわたしもそれぞれ2度目だが、再訪を楽しみにしていたグランバザールに以前ほどトルコらしさが感じられなかった(つまり、ややショッピングモール化していた)。
でも、このガラタ塔付近には、雑然としたトルコっぽさ(勝手なイメージではある)が残っていたと思う。

トラムで戻り、フェリーターミナルのあるエミノムに並ぶフィッシュ・サンドイッチ屋へ行った。カモメが飛び、サンドイッチ屋のおじさんたちの大声が響いている。赤いピクルスを売る若者が歩きまわる。サバを焼く匂い、ボスポラス海峡を眺めながら食べるフィッシュサンドは最高だった。
4月のモロッコ9日間⑥マラケシュ旧市街 ― 2025/05/24
日が沈む頃マラケシュに到着した。
カサブランカ、首都のラバド、フェズに続く第4の都市だ。
メディナの門に近いリヤドは少し古びており、すぐ横の空き地からサッカーをする少年たちの声が響いていた。

夜のジェマ・エル・フナ広場に足を伸ばした。マラケシュ旧市街だけでなく、この空間が無形文化遺産だそうだ。大勢の人でにぎわい、ざわめく広場。何をしているのかわからない人だかりがあちこちにできている。
アジア人は少ないので目立つのかもしれない。
何度も「ニイハオ」「ニイハオ」と呼びかけられ、娘が「ピカチュー」と答える。

屋台で夕食をとることにした。座って食事をしているのはほとんどが外国人観光客だ。
ケバブ、焼き野菜、モロッコサラダ、、おいしい?うーむ、、

6日目の朝、マラケシュの公認ガイドがやって来た。彼も資格証を下げ、きちんと質問に答えてくれる。ジャマ・エル・フナの屋台でご飯を食べたことはないそうだ。やっぱりね。

午前中、バヒア宮殿とベン・ユーセフ・マドラサ(神学校)、そしてスーク内を案内してくれた。

昼食後はさらに娘と二人、広いスークを歩き回る。マラケシュはフェズほど迷路化していないし、歩いても歩いても飽きることがない。とは言え、夕方にはくたびれて、荷物も増えて、ホテルに戻った。




翌朝、リヤド横に車がやって来た。フライト時間に合わせてカサブランカの空港へ送ってくれる。高速道路を通って、所要時間は2時間半ほど。
中身のぎっしり詰まった7日間のモロッコツアーが無事に終了した。

4月のモロッコ9日間⑤渓谷からマラケシュへ ― 2025/05/24
4日目、メルズーガでサンドボードとターバンおじさんサイード氏の砂丘クルーズを体験した後、ダデス渓谷へ向かう。途中の町で、地元の市場に立ち寄った。
野菜やスパイスや道具類、衣類だけでなく、馬や山羊の売買も行われている。


カスバ街道を通って、トドラ峡谷へ

古いカスバの中に絨毯組合がある。丁寧に織られたラグを何枚も広げて見せてくれた。


街道沿いの町の高台にあるホテルに宿泊した。
アトラス山脈の南に位置するオアシス都市のひとつだ。これぞモロッコ、という眺め、
レストランでは、スイスからのシニア団体客がゆっくりと夕食をとっていた。
5日目、アフリカのハリウッド、ワルザザードの映画スタジオ(アトラス・コーポレーション・スタジオ)を見学した。
ここはエジプトを舞台とした作品が撮影された場所(『ナイルの宝石』、『ハムナプトラ』など)

そしてこれは、『グラディエーター』で奴隷にされたマキシマスが閉じ込められた地下牢(として使われたセット)、ガイドの説明に皆ほお〜とうなずいた。

マグレブ地域で、アオシスの住民たちが居住した村をクサールというらしい。そのクサールのひとつ、アイット・ベン・ハドゥが世界遺産として保全されている。サハラ隊商交易の中継地として栄えた村落だという。
軽々と登ってゆくアジズと娘のあとを、ふうふう言いながら追いかけた。何とか頂上に到着。去年のパルテノン同様、かなりの苦行だった。登れるうちに、歩けるうちに遠出しないと。

アトラス山脈を越えてマラケシュまでは180km、高低差の大きい曲がりくねった道路を、若いドライバーはびゅんびゅん飛ばして進んでゆく。スリリングな時間だった。
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