秋の中欧旅行③プラハ2023/10/24

 2012年の初夏、友人と3人で「プラハ、チェスキー・クルムロフ&ウィーン」個人手配ツアーに出かけた。あの時1日だけど市内を歩いたから、だいたいの地理は覚えているよねと、ホテルに荷物を置き、気楽に旧市街広場まで歩いて細い横道に入ったら方向がわからなくなった。周辺の道路は狭く、複雑に入り組んでいるのだ。
こういう場合、わたしはしばしば、むやみに動いてGoogle mapを混乱させてしまう。急ぐわけではない。勘に任せよう。

 しばらく歩いたところでジェラートを買い、食べながら日の沈む方角へ進むと、エルベ川、チェコではヴルタヴァ川、またはモルダウ川に出た。川岸でストリート・ミュージシャンが歌っている。カレル橋を目指して北へ向かうと、プラハ城が近づいてきた。
美しい夕暮れだ。
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 その後3泊の滞在中に行ったのは、
もちろん、観光客で大混雑のプラハ城 Prague Castle
ここもにぎやかだったユダヤ人地区 Prague Jewish Quarter 
それから 国立博物館 National Museum このホールで撮影された映画があるらしい。
ドームへ上って、ヴアーツラフ広場を見下ろした。
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そして、フランツ・カフカ博物館  The Franz Kafka Museum
薄暗い館内に、カフカの生涯と作品の展示が並ぶ。読んでも読んでも先に進めない『城』の動画が流れている。
カフカのKはまだ彷徨っている Kafka’s K is still wandering.というフレーズが頭に浮かんだ。
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そして、自由の象徴として、いまや世界数カ国にあるというレノンの壁 Lennon Wall
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ペトシーン展望台タワーは、ケーブルカーで登った丘の上にあるタワーから眺めるプラハの町の美しいこと!
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 ストラホフ修道院 入り口から図書室「哲学の間覗き込む絵画館は閉まっていた。
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市民会館スメタナ・ホール Obecní Dům へ Music from Movies というコンサートを聴きに行った。ボヘミアン・ラプソディが素晴らしかった。
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 映像の世紀バタフライエフェクトなどが、この町の歴史を教えてくれた。
民主化革命が滑らかに行われるために、人々がどれほどの迫害と弾圧に耐えなければならなかったか。初代大統領ハヴェルとルー・リードの交流にも胸を打たれた。
それは"Walk on the wild side"より後なのか、、とついさっき関連事項を調べていたら、クリントン時代、ホワイトハウスでハヴェルのために開かれた晩餐会の席にはカート・ヴォネガットも招待され、ルー・リードの演奏を聴いたらしい。みんな揺れ動く歴史の中にいるのだ。
 移動日の週末、旧市街広場ではウクライナ支援の集まりが開かれていた。

秋の中欧旅行②ドレスデン2023/10/22

 わたしをドレスデンに運んだのはカート・ヴォネガットである。

 1945年2月連合国軍によってドレスデン爆撃が行われた時、22歳のカート・ヴォネガットは地下の食肉貯蔵庫に囚われた捕虜の一人だった。二昼夜にわたった爆撃後、数万に及ぶドイツ市民の焼死体をくすぶり続ける廃墟から掘り起こすため、生き残った様々な国からの捕虜たちが集められた。20数年経って彼はようやく、その壊滅的な光景を(奇妙な乾いたユーモアを用いて)書くことができた。
 SF小説『スローターハウス5(第五屠殺場)』の中で、主人公ビリーは時間の渦に解き放たれ、「そういうものだ」(So it goes.)とくり返す。欧州屈指の美しかった街は完全に破壊され「月の表面みたいだった」。
想像を絶する大量殺戮というトラウマ体験を、ヴォネガットは『国のない男』その他の作品の中でも、常に断片的に切り取り語っていた。

 WWⅡ以前の壮麗なドレスデンと爆撃ニュースの映像を、出発前にYouTubeで見た。
 ドイツ国鉄特急でベルリン中央駅から2時間ほど、
ドレスデン中央駅前でGoogle mapの指示通りトラムに乗れば、黄色いトラムは途中から予想外の方向に曲がってしまい、あわてて降りて石畳の道をおよそ5ブロック、ガッタンゴットンとスーツケース引いて歩くはめになった。
 苦労が報われたか、旧市街中心部にあるホテルの(屋根裏)部屋は聖母教会の真向かいだ(ヒルトンの隣り)。
窓から見下ろす広場では、にぎやかにオクトーバーフェストが開かれていた。
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 思い入れの強かったドレスデンだが、何のことはない。来れば気分は単なる観光客だ。ビジターセンター(i)でミュージアムカード2日間€25を購入(翌日から使用)、いつものように歩き回った。
 その後2日間に行った場所を幾つか列記しておこう。

君主の行列
奇跡的に戦禍を免れた19世紀の壁画は、マイセンの磁器タイルで作られている。
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 エルベ川を見下ろすブリュールのテラス
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到着日の夜、管弦楽を聴きに行ったオペラハウス ゼンパー・オーパー
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ツヴィンガー宮殿 Dresdner Zwinger
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宮殿にあるアルテ・マイスター絵画館
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シュロスプラッツ(広場)
左はカトリック宮廷教会、右がドレスデン城 Residenzschloss
城の中に緑の丸天井 Grünes Gewölbe などの博物館がある。
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少し離れたアルベルティーヌム Albertinum には
ピカソ、クレー、ゴーギャン、ゴッホなども。

シニアチケットを買い、聖母教会の塔へ石段280段余りをふうふう登った。
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 戦争による破壊から、数え切れない都市が(広島にせよ東京やベルリンにせよ)人々の大変な労力の末に復興し発展しているわけだが、このドレスデンとワルシャワなどは可能な限り元通りに修復再生されたという。
旧市街の街並みは80年前と変わらない姿で美しい。そのことに感嘆する。

 ドレスデン城の隅に、修復過程の写真が展示されていた。
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秋の中欧旅行①ベルリン2023/10/20

 ここ何年か、次はどこへ旅行したいの?
と聞かれるたびに、んー、ベルリンかな、と答えていた。実際のところコロナ後に行ったのは別の場所だったけれど、さあそろそろ出かけなくてはね。
9月15日からの中欧一人旅(16泊18日)備忘録です。

 成田からトルコ航空利用、つまりイスタンブール経由で到着は夜11時過ぎ。
遅延のため、ホテルの最寄駅までの直通電車は終了していた。直通電車があるから選んだホテルなのに、、。
 初めて利用するSバーンとUバーン、チケット購入も手間取る。が、幸い、同じ方向へ行く親切な女の子18歳が乗り換えまでを手伝ってくれた。長すぎて言いにくいゲズントブルンネン駅に着く。暗い駅前道路をできるだけさっさと歩き、静まり返ったホテルにチェックインした。
初ベルリンは4泊(観光は正味3日間)だ。  青字リンクしてます。

 <観光1日目>
 まずはここへ行くのだ。
長い間ベルリンという言葉から真っ先に思い浮かべていたのは、このブランデンブルク門 Brandenburg Gate だった。
過去の様々な時代の絵や映像や写真を、これまでに数多く見た。ナポレオン、ナチスの旗、前を遮るベルリンの壁、そして壁の崩壊、、
 感慨にふけりながら広場を歩き、クアドリガと女神を見上げ、門をゆっくり正面からくぐり抜けた。(と、この日は平穏だったが、翌日夕方ここを通った時には、環境団体による抗議の塗料吹きつけ事件が起きていた。)
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 そこから虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Denkmal für die ermordeten Juden Europas まで、徒歩10分ほどの距離だ。
見渡す限りに2,700余りの石碑が並んでいる。
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 西の公園を斜めに通り抜け、絵画館 Gemäldegalerie と現代美術館 Neue Nationalgalerie を回った。
レンブラント、ホルバイン、フェルメール、カラヴァッジオ、そしてキルヒナー、ベックマン、、
初日の午前中そんなに急いでどうする?と自問しつつも、気が急いてしまう。
 ベルリンは美術都市でもあるのだ。オンラインで入手しておいたミュージアムパス Museum Pass Berlin 有効期限は3日間、30ヶ所もある博物館/美術館のうち、一体いくつ訪ねられるだろうか。走り回らずゆっくりと作品を観たい、でも気持ちは前のめりになっていく。

  気がつけば、午後2時を過ぎている。
 ヴィム・ヴェンダース 『ベルリン・天使の詩』 の頃とは全く違うポツダム広場を抜け、モール・オブ・ベルリンのフードコートで名物カリーヴルストを注文した。ふーん、これなのか。
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 そして、テロのトポグラフィ Dokumentationszentrum Topographie des Terrors 
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 さらに、冷戦時代の境界線を象徴するチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie へ。
大勢の観光客が交代で写真を撮っていた。
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 既に夕方だ。
この日行った場所はどれもブランデンブル門から南北/東西2、3kmの範囲にあるのだが、美術館内の歩行を入れればかなりの距離を歩いたことになる。疲れてきた。
土曜日のうちにホテル近くの大きなスーパーで水などを買う必要もあり(翌日曜は休み)、ようやく分かりかけてきた地下鉄Uバーンで戻ることにした。

 <観光2日目>
 博物館島へ行く。これはヴェンダースの2作目にも出てきた旧国立美術館 Alte Nationalgalerie だ。さびれていた映画の場面とは違い、入館者の列までできていた。クリムトの展覧会が開かれていたからだ。
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 博物館島には5つの大きな国立博物館がある。1日で全部回るなんてとんでもない。
あらかじめ3つに絞込み、ミュージアムパスに加えてtime passが必要なペルガモン博物館 Pergamonmuseum にはオンライン予約を済ませておいた。
 バビロンのイシュタール門、何という美しさだろう。ペルガモンの大祭壇は改修工事中だ。そしてこの10月23日から、博物館全体がしばらく休館になるという(ダスパノラマは公開)。
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 ペルガモンから新博物館 Neues Museum に移動した。
有名なネフェルティティの胸像、この周囲だけは写真撮影が禁止されている。膨大な数の所蔵品に、頭がクラクラしてきた。
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 旧国立美術館で主に常設作品を観て(実はなぜかクリムトが苦手なのだ。ウィーン世紀末ならエゴン・シーレとココシュカのほうが好き)、博物館島入り口のジェイムズ・サイモン・ギャラリー2階のカフェで遅いランチをとった。
 それから橋を渡り、川沿いで行われている週末のフリーマーケットをぶらぶら歩いてから、ドイツ歴史博物館へ行った。が、本館は工事中のため休館中だ。イオ・ミン・ペイ設計のガラス新館で(1989年のベルリンの壁崩壊を起点に過去へ遡る)ROADS NOT TAKEN という企画展と、全く知らなかったドイツのシンガーソング・ライター Wolf Biermann 展を見た。薄っぺらだった自分のベルリン観に、ほんのわずか厚みが加わったような気がする。

 この日と翌日は、バス地下鉄トラム共通の1日チケット(現在€9.50)を利用した。目抜通りウンター・デンリンデンの国立歌劇場前からバスに乗り、(無料だが)時間予約済みの国会議事堂へ向かった。
 Reichstagsgebäude 予想以上の素晴らしさに目を見張りながら、ガラスドーム内の通路をぐるぐる登っていく。上からベルリンの街を一望した。
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 <観光3日目>
 must-seeはイーストサイド・ギャラリーだ。ベルリンの壁 Berliner Mauer は部分的に保全され、シュプレー川沿いの壁には100以上のグラフィティが描かれている。
最も有名な独裁者のキス(ブレジネフとホーネッカー)前には人だかりができており、観光ボランティアが気づかないうちにこんな新聞を作って手渡してくれた。
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 白水社の『若きWの新たな悩み』を読んだのは70年代、東西冷戦の頃だった。ライ麦畑的Wの悩みは、記憶が正しければ、USA製のジーンズをいかに入手するか、なのだった。
 映画『グッバイ・レーニン』はしばらく前に、旅行を決めてから『善き人のためのソナタ』とヴェンダース2作品を見た。戦争関連の映画や映像の世紀なども。
 肩の上につい天使カシェルを探してしまう戦勝記念塔 Tiergartenバスはぐるりと円柱を回って南へ進んだ
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 カイザー・ヴィルヘルム記念教会 Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche の前でバスを降りる。1943年イギリス軍によるベルリン大空襲で、大きく破壊された教会だ。その横の新教会の壁は、2万枚以上の青いガラスで作られている。心落ち着く静かな空間だ。
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 ベルリン・ユダヤ博物館 Jewish Museum Berlin はポーランド生まれの建築家ダニエル・リベスキンドの設計だ、ということを教師仲間だったN先生が出発前に教えてくれた。
 ジグザグ鋭角の複雑な建物の中に、印象深い展示物が収められている。急な階段を上り下りし角を曲がりながら、ユダヤ人の経た困難な時代を辿っていく。顔のように見える丸い鉄片をザクザクガシャガシャと踏んで歩くこの空間では、誰もが沈黙してしまう。
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 夕刻だ。ベルリン大聖堂 Berlin Cathedral に入り、椅子に座って、しばらくの間見事なドーム天井のモザイク画に見入った。
それからアレクサンダー・プラッツまでトラムに乗り、Uバーンでゲズントブルンネン駅に戻った。慣れた頃には次の目的地へと移動なのだ。
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7月のモンゴル旅行2023/08/09

 ラインで暑中お見舞いをくれた教師仲間に
「明日からモンゴル」と伝えると、
「あら〜、すごいモンゴル・ロケのテレビドラマが始まっていますよ!」
まあ、ほんと?
 絶妙のタイミングでTBS"VIVANT"の第一回をTVerで追いかけ、
7月下旬、4泊5日の旅行に出かけた。一人だけど、往復航空券+現地ツアー利用の安全安心な旅だ。
 空港ゲートで横綱、照ノ富士関を見かけた(後から聞いたけど、その数日後に結婚式を挙げたそうだ)。MIATモンゴル航空便で、成田からウランバートルまで5時間半の距離だ。
 いつかは行きたいと思っていたモンゴル。目的は大草原と満天の星空、ゲル宿泊だった。
 
 その日の現地ツアー参加者は一人。つまり、ガイドさんと運転手さんがわたしだけを4泊5日間、到着から出発までずっと案内してくれる。なんという贅沢。ありがたいことだ。
 夜到着したウランバートルのホテルに1泊し、翌朝テレルジ国立公園のリゾートホテル(観光ゲル)へ。ここで2泊する。天窓、テラスデッキ、シャワー/トイレ完備。
初日の夕方まで停電したり(モンゴルは慢性的に電気が足りない)、シャワー温度が一定せず(非力な電気給湯器のせいか)困ったけど、まあそんなものでしょう。

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 チベット仏教のアリヤバル寺院はこんな石段の上にある。
途中に「幸福の吊り橋」があり、そこを渡れば幸せになれるという。
もう幸せになったのか疲れたのか、橋の向こうでUターンし、お寺まで上らず帰った家族連れがいた。
 空が広い。
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 巨大チンギス・ハン像は銀色の金属製だ。肩の部分まで内部を登ることができる。
黄金時代は13世紀、威風堂々いかついチンギス・ハン。
 上から眺める草原も広い。
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 この現地ツアーには、ハイキング、鷹を片腕で持ち上げる(けっこう重たい)、1時間の乗馬(初心者は引いてもらう)、民族衣装を着て写真撮影、遊牧民の家(居住用ゲル)見学、モンゴル料理教室など、適度にアクティビティが挟み込まれていた
 ウランバートル市内観光も充実。VIVANTロケ隊が周囲を通行止めにして撮影したらしい首都の中心部チンギス・ハン広場や、市場、カシミア専門店、デパートなども回った。

 食事は、もちろん羊料理と牛肉。そしてモンゴルのお母さんの味だという手打ちの麺、野菜スープ、軽い塩味のミルクティーなど。好き嫌いのないわたしには、どれも珍しく美味しかった(量は多すぎる)。

 さて、念願の星空だが、昼間は晴天だったのに、夜は薄曇りになってしまい、残念ながら見られなかった。ゴビ砂漠まで行けば、もちろん満天の星を仰ぎ見ることができる。
 とは言え、見渡す限りに美しい大草原の中を歩けただけで、この旅行は大正解だろう。

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  サインバイノー(こんにちは)
  バヤルララー(ありがとう)
 中古プリウスを巧みに走らせる運転手さんが、挨拶の発音を何度も教えてくれた。前の週は大雨だったため、幹線道路以外は激しくボコボコだ。そして現在、日本とは車線が逆のモンゴルを走っている車の半分は、大げさでなく、その中古(日本仕様)プリウスだそうだ。
 気遣いのある若いガイドさんは、モンゴルの歴史文化だけでなく、日本留学中の体験談や家族の話などもしてくれた。4日目のウランバートルで以前教えたモンゴル人学生と会うことができたのも、彼のおかげだ。
 案内のお二人は、ドラマVIVANTの効果で(早くも)ツアーの問い合わせが増えている、と言っていた。忙しくなるのはいいことですね。お元気で。
バヤルタイー(さようなら)

北ミネソタの4日間②(第19次遠征隊#8)2023/06/22

 NYCからシカゴ経由で、初めてダルース空港を利用した。同じ日に娘たちはNYCからボストンへ飛び、バンコクに戻った
 (滑走路はあるが)鉄道駅のような小さな空港にL&G夫妻が迎えに来てくれて、2時間ほど西へ走り、スペリオル湖沿いのキャビンに到着した。
Lが準備してくれた"N&M's NORTH SHORE ADVENTURE May 2023"の始まりというわけだ。

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①に書いたMenogyn 再訪以外の項目:

 庭でスモア (マシュマロ焼き、チョコレートとグラハムクラッカーで挟む)
 グランマレー 世界一のドーナッツ屋で朝食
 グランマレーのショップ散策
 グラス・スタジオと石の庭 訪問
 ノースショア・ワイナリーでテイスティング

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 それから、ジャパニーズ・ディナーの日もあり、アイアン・シェフMとアシスタントのわたしがお揃いのトレーナーとエプロンで、すき焼きっぽい何か、ちらし寿司っぽい何か、和風サラダっぽい和え物っぽい数品を作った。日本酒も、抹茶と和菓子も好評だった。

 帰国後 Google photo アルバムを作り共有したのだが、
「ひゃー、4日間でこんなにたくさんのことしたのね。すごい!びっくり!」
という感想がLから返ってきた。
そう言えば、町ですれ違う知り合いたちに
「ニューヨークとミネソタ、ってものすごく対照的な旅行でしょ」
わたしたちを紹介してくれてたけど、うふふ、おかげさまで忙しさと楽しさは変わりませんでした。
 第19次遠征隊記録終了。
残り1州のアラスカには、さあいつ行けるかな。

北ミネソタの4日間①(第19次遠征隊#7)2023/06/21

 1970年の夏、わたしたちはここへやって来た。ミネソタ州北部のBWCA The Boundary Waters Canoe Area にあるYMCAのキャンプ・メノージャン CAMP MENOGYN だ。
そして背の高いほっそりした金髪の女の子と友だちになった。
正確に言えば、Lと仲良くなったのは友人Mだ。その後わたしが日本語教師としてミネソタ州に派遣されたこともあって、長い友だち関係が続くことになった。

 去年100周年を迎えたメノージャンに、この日、今年最初のキャンパーがやって来た。
湖の向こうに位置するキャンプ場には、ポンツーンボートで渡る。お願いして、14歳のキャンパーたちが乗り込むボートに同乗させてもらった。初夏らしいさわやかな天気だ。

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 記憶に残るダイニングルームは、今集会所に使われているらしい。
その前で、初日のオリエンテーションが開かれている。
それから多分カヌーの扱いについて説明があり、浅瀬でひっくり返る練習をするのだ。
 昭和半ば生まれのスポイルされた Japanese girl たちは
「こんなの無理、できない」
と駄々をこね、カヌートリップには行かなかったっけ。

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 森の中にキャビンがいくつも点在している。
湖沿いには昔と同じサウナ室があった。体が十分に熱くなったら走り出て、桟橋から水に飛び込むのだ。
 50年後の3人が、少し背中を丸め、変わることなく美しい湖を眺めている。

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NYCの4日間(第19次遠征隊#6)2023/06/19

 旅の備忘録。
 ボストンのサウスステーションからAmtrak特急で3時間半、ニューヨークのペン・ステーションに着いた。拡張されたモイニハン・トレイン・ホールは、高い天井から差し込む午後の光が明るい。
それから4泊。NYCでしたことをざっと列記しておこう。

宿泊場所:マンハッタンのAirbnb、
   とても広々とした部屋で、中庭もある
   オーナーは日本人写真家
行った場所、主に:
   ダコタハウスとセントラルパーク
   メット(メトロポリタン美術館)
   MOMA(ニューヨーク近代美術館)
   ブロードウェイ・ミュージカル アラジン
   ジャズクラブ バードランド

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 タイムズスクエア、スーパーTrader Joe'sやWhole Foods、毎回足を運ぶ古書店 Strand Book Store、インド料理店、トルコ料理店、ハンバーガー店、地下鉄、道端のお店あれこれ、、4日間のできごとは既にグルグル絵巻ものみたいになっている。
 ほぐしてみると、ギャラリーを見に行って迷子になったMや、買い物止まらない娘、夕暮れのクライスラービルをカメラに収めるYさん、メットでようやく見ることができたFLライトの部屋、バードランド前で一緒に写真を撮ったビッグチーフの顔などが次々に浮かんでくる。
 
 2008年と11年には、一人で市内を走り回ったものだ。テディ・ルーズベルトの生家、ボブ・ディランがグリニッチ・ビレッジで初めて歌った店、ガートルード・スタインの像、、、そうした過去の文学的ランドマーク巡りも楽しかったが、4人で歩いた今回の旅行はより思い出深いものになりそうだ。