7月のモンゴル旅行2023/08/09

 ラインで暑中お見舞いをくれた教師仲間に
「明日からモンゴル」と伝えると、
「あら〜、すごいモンゴル・ロケのテレビドラマが始まっていますよ!」
まあ、ほんと?
 絶妙のタイミングでTBS"VIVANT"の第一回をTVerで追いかけ、
7月下旬、4泊5日の旅行に出かけた。一人だけど、往復航空券+現地ツアー利用の安全安心な旅だ。
 空港ゲートで横綱、照ノ富士関を見かけた(後から聞いたけど、その数日後に結婚式を挙げたそうだ)。MIATモンゴル航空便で、成田からウランバートルまで5時間半の距離だ。
 いつかは行きたいと思っていたモンゴル。目的は大草原と満天の星空、ゲル宿泊だった。
 
 その日の現地ツアー参加者は一人。つまり、ガイドさんと運転手さんがわたしだけを4泊5日間、到着から出発までずっと案内してくれる。なんという贅沢。ありがたいことだ。
 夜到着したウランバートルのホテルに1泊し、翌朝テレルジ国立公園のリゾートホテル(観光ゲル)へ。ここで2泊する。天窓、テラスデッキ、シャワー/トイレ完備。
初日の夕方まで停電したり(モンゴルは慢性的に電気が足りない)、シャワー温度が一定せず(非力な電気給湯器のせいか)困ったけど、まあそんなものでしょう。

GloryR


 チベット仏教のアリヤバル寺院はこんな石段の上にある。
途中に「幸福の吊り橋」があり、そこを渡れば幸せになれるという。
もう幸せになったのか疲れたのか、橋の向こうでUターンし、お寺まで上らず帰った家族連れがいた。
 空が広い。
AryabalT


 巨大チンギス・ハン像は銀色の金属製だ。肩の部分まで内部を登ることができる。
黄金時代は13世紀、威風堂々いかついチンギス・ハン。
 上から眺める草原も広い。
GenghisKhan

 この現地ツアーには、ハイキング、鷹を片腕で持ち上げる(けっこう重たい)、1時間の乗馬(初心者は引いてもらう)、民族衣装を着て写真撮影、遊牧民の家(居住用ゲル)見学、モンゴル料理教室など、適度にアクティビティが挟み込まれていた
 ウランバートル市内観光も充実。VIVANTロケ隊が周囲を通行止めにして撮影したらしい首都の中心部チンギス・ハン広場や、市場、カシミア専門店、デパートなども回った。

 食事は、もちろん羊料理と牛肉。そしてモンゴルのお母さんの味だという手打ちの麺、野菜スープ、軽い塩味のミルクティーなど。好き嫌いのないわたしには、どれも珍しく美味しかった(量は多すぎる)。

 さて、念願の星空だが、昼間は晴天だったのに、夜は薄曇りになってしまい、残念ながら見られなかった。ゴビ砂漠まで行けば、もちろん満天の星を仰ぎ見ることができる。
 とは言え、見渡す限りに美しい大草原の中を歩けただけで、この旅行は大正解だろう。

TereljNP

  サインバイノー(こんにちは)
  バヤルララー(ありがとう)
 中古プリウスを巧みに走らせる運転手さんが、挨拶の発音を何度も教えてくれた。前の週は大雨だったため、幹線道路以外は激しくボコボコだ。そして現在、日本とは車線が逆のモンゴルを走っている車の半分は、大げさでなく、その中古(日本仕様)プリウスだそうだ。
 気遣いのある若いガイドさんは、モンゴルの歴史文化だけでなく、日本留学中の体験談や家族の話などもしてくれた。4日目のウランバートルで以前教えたモンゴル人学生と会うことができたのも、彼のおかげだ。
 案内のお二人は、ドラマVIVANTの効果で(早くも)ツアーの問い合わせが増えている、と言っていた。忙しくなるのはいいことですね。お元気で。
バヤルタイー(さようなら)

北ミネソタの4日間②(第19次遠征隊#8)2023/06/22

 NYCからシカゴ経由で、初めてダルース空港を利用した。同じ日に娘たちはNYCからボストンへ飛び、バンコクに戻った
 (滑走路はあるが)鉄道駅のような小さな空港にL&G夫妻が迎えに来てくれて、2時間ほど西へ走り、スペリオル湖沿いのキャビンに到着した。
Lが準備してくれた"N&M's NORTH SHORE ADVENTURE May 2023"の始まりというわけだ。

cabin

①に書いたMenogyn 再訪以外の項目:

 庭でスモア (マシュマロ焼き、チョコレートとグラハムクラッカーで挟む)
 グランマレー 世界一のドーナッツ屋で朝食
 グランマレーのショップ散策
 グラス・スタジオと石の庭 訪問
 ノースショア・ワイナリーでテイスティング

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 それから、ジャパニーズ・ディナーの日もあり、アイアン・シェフMとアシスタントのわたしがお揃いのトレーナーとエプロンで、すき焼きっぽい何か、ちらし寿司っぽい何か、和風サラダっぽい和え物っぽい数品を作った。日本酒も、抹茶と和菓子も好評だった。

 帰国後 Google photo アルバムを作り共有したのだが、
「ひゃー、4日間でこんなにたくさんのことしたのね。すごい!びっくり!」
という感想がLから返ってきた。
そう言えば、町ですれ違う知り合いたちに
「ニューヨークとミネソタ、ってものすごく対照的な旅行でしょ」
わたしたちを紹介してくれてたけど、うふふ、おかげさまで忙しさと楽しさは変わりませんでした。
 第19次遠征隊記録終了。
残り1州のアラスカには、さあいつ行けるかな。

北ミネソタの4日間①(第19次遠征隊#7)2023/06/21

 1970年の夏、わたしたちはここへやって来た。ミネソタ州北部のBWCA The Boundary Waters Canoe Area にあるYMCAのキャンプ・メノージャン CAMP MENOGYN だ。
そして背の高いほっそりした金髪の女の子と友だちになった。
正確に言えば、Lと仲良くなったのは友人Mだ。その後わたしが日本語教師としてミネソタ州に派遣されたこともあって、長い友だち関係が続くことになった。

 去年100周年を迎えたメノージャンに、この日、今年最初のキャンパーがやって来た。
湖の向こうに位置するキャンプ場には、ポンツーンボートで渡る。お願いして、14歳のキャンパーたちが乗り込むボートに同乗させてもらった。初夏らしいさわやかな天気だ。

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 記憶に残るダイニングルームは、今集会所に使われているらしい。
その前で、初日のオリエンテーションが開かれている。
それから多分カヌーの扱いについて説明があり、浅瀬でひっくり返る練習をするのだ。
 昭和半ば生まれのスポイルされた Japanese girl たちは
「こんなの無理、できない」
と駄々をこね、カヌートリップには行かなかったっけ。

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 森の中にキャビンがいくつも点在している。
湖沿いには昔と同じサウナ室があった。体が十分に熱くなったら走り出て、桟橋から水に飛び込むのだ。
 50年後の3人が、少し背中を丸め、変わることなく美しい湖を眺めている。

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NYCの4日間(第19次遠征隊#6)2023/06/19

 旅の備忘録。
 ボストンのサウスステーションからAmtrak特急で3時間半、ニューヨークのペン・ステーションに着いた。拡張されたモイニハン・トレイン・ホールは、高い天井から差し込む午後の光が明るい。
それから4泊。NYCでしたことをざっと列記しておこう。

宿泊場所:マンハッタンのAirbnb、
   とても広々とした部屋で、中庭もある
   オーナーは日本人写真家
行った場所、主に:
   ダコタハウスとセントラルパーク
   メット(メトロポリタン美術館)
   MOMA(ニューヨーク近代美術館)
   ブロードウェイ・ミュージカル アラジン
   ジャズクラブ バードランド

NYCbnb


centralP

     
aladdin
   
    
911memorial
   

birdland

 タイムズスクエア、スーパーTrader Joe'sやWhole Foods、毎回足を運ぶ古書店 Strand Book Store、インド料理店、トルコ料理店、ハンバーガー店、地下鉄、道端のお店あれこれ、、4日間のできごとは既にグルグル絵巻ものみたいになっている。
 ほぐしてみると、ギャラリーを見に行って迷子になったMや、買い物止まらない娘、夕暮れのクライスラービルをカメラに収めるYさん、メットでようやく見ることができたFLライトの部屋、バードランド前で一緒に写真を撮ったビッグチーフの顔などが次々に浮かんでくる。
 
 2008年と11年には、一人で市内を走り回ったものだ。テディ・ルーズベルトの生家、ボブ・ディランがグリニッチ・ビレッジで初めて歌った店、ガートルード・スタインの像、、、そうした過去の文学的ランドマーク巡りも楽しかったが、4人で歩いた今回の旅行はより思い出深いものになりそうだ。

ボストン名所巡り(第19次遠征隊#5)2023/06/18

 ボストン最終日はどこへ?
外せない場所が多いけれど、ボストン美術館 とハーバード大学周辺へ行ってみようか。

 ボストン美術館では北斎展が開催中だった。
4人でまずゴーギャンのマスターピースまで行き、解散。2時間半後にミュージアム・ショップで待ち合わせた。楽しい。でも、名画を観過ぎて頭がガチガチだ。

gauguin

 ハーバード・スクエアまで移動し、クラム・チャウダー&ロブスターロールのランチ。
大学生協へ立ち寄ってから大学構内を散歩した。
図書館の石段に座り、もちろんジョン・ハーバード氏のピカピカ靴にタッチする。

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 それからボストン・コモンへ。
日曜日の夕方だ。ビーコンヒルのおしゃれな店はそろそろ閉まり始めているだろう。何ブロックか先にあるアフリカン・アメリカン歴史協会は、たぶん休館日だ。パブリックガーデンの「かもさんおとおり」も見たいが、少し遠過ぎる。一日にできることって少ないよね。
 というわけで、
17世紀に建設されたアメリカ最古の歴史ある公園を4人はゆっくり歩き、ベンチに座り、散歩中の犬を眺め、近くのメキシカン・レストランで夕食を取ってbnbに帰った。
翌日は移動日だ。

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フリーダム・トレイル完結(第19次遠征隊#4)2023/06/18

 フリーダム・トレイルは、これまでにも何度か歩いたことがある。
ボストン・コモンから赤レンガを辿って、植民地・独立戦争当時の史跡を訪ねていく、有名な散策路だ。ずいぶん前にオールドコーナー書店やポール・リビアの家、オールドノース教会を回り、トレイル外のボストン茶会事件の船にも足を伸ばした。けれど、チャールズタウンには行ったことがなかった。
4キロほどの道のりなのに、毎回なぜか挫折する。一度もチャールズ川を渡ったことがないのだ。

 ボストン滞在3日目、滞在先から直接、Lyftでトレイル終点のバンカーヒルへ行くことにした。おお、名案じゃないの。初夏のような日差しの中、友人Mがこの散歩に付き合ってくれた。

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バンカーヒル記念塔横の小さな博物館には、独立戦争についての展示物がある。
それから丘を下って、USSコンスティチューション号へ。航行可能な世界最古の木造軍艦だという。

constitution

 ノース・ワシントン・ストリート橋を渡れば、ノースエンド地区に到着。
よし、これで(ほぼ40年越しの)フリーダム・トレイル完結だ。

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 コッブズ・ヒル墓地を経由してオールドノース教会へ歩いた。
それからノースエンドのイタリアン・カフェで小休止し、数年前に立ち寄って気に入った Polcari’s Coffee 。この小さな店には何種類ものフレーバー・コーヒーやスパイスが並んでおり、親切に量り売りしてくれる。お薦めです。
ボストン公共市場にも行き、新鮮なトマトを購入。

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 この日、娘とYさんは空港までレンタカーを返却しに行った。夕方の待ち合わせは、サミュエル・アダムス像の前だ。
ファニエル・ホール・マーケットプレースは以前と同じようににぎわっている。
すぐ近くで、ストリート・パフォーマンスを大勢の観光客が取り囲んでいた。
 それから4人でシーフードレストラン The Daily Catch に移動し、卒業祝いの素敵なディナーを楽しんだ。とてもボストン的な一日。

Umass卒業式(第19次遠征隊#3)2023/06/17

 さあ、卒業式だ。マサチューセッツ大学は州立大学で、5つの大学で構成されている。
実は今調べたのだが、アムハースト校の3代目学長は、あの(少年よ、大志を抱け)クラーク博士だったとか。歴史ある大学なんですね。

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 Ph.Dコースそしてマスターコースの卒業生が、各専攻ごとに入場する。全体では数百人にのぼるだろう。卒業生代表のスピーチをしたのは、つい最近、国内で武力衝突が起きてしまったスーダンからの留学生だった。
 博士号の学位授与は卒業生が一人ずつ学長と握手するが、修士号は次々に名前が呼ばれ、壇上を通ってゆく。大きなスクリーンに数秒間、卒業生の顔が映る。観客席に座っている家族たちは、卒業生の名前が呼ばれると、歓声を上げる。きゃー、わー、うぉー!!

 名前を聞けば、国籍は本当に様々だということがわかる。アフリカ系、アジア系、中南米、南米、中近東など、世界中からの留学生と移民が学んでいるのだろう。
インド系は大人数参加の家族が多いようで、愉快なほどの大歓声だ。少人数の家族も地味ながら精一杯大声で叫んでいる。
 娘のパートナーYさんに「スクリームする?」と相談すると、
「カメラに集中しなきゃ」という返事。
よし、それなら母親が声を張り上げるとしよう。イェーイ!

 この日の午後、娘たちはボストン市内へ、オンラインコースで一緒だった日本人仲間たちとのパーティに向かった。
留守番をしていた友人Mとわたしは、郊外のアウトレットモールへ。なかなか忙しい一日だった。

UmassBostonnwes

 後日談だが、5月下旬、CNNニュースにUmassという文字が流れた。
ボストン校の卒業式でスピーチをした億万長者が、何と卒業生全員に1,000ドルずつをプレゼントしたのだという。
500ドルは自分のために、半分は困っている誰かにあげようというメッセージ付きで。
素晴らしい話だ。
娘に伝えると
「えっ?わたしには?」