ニューヨークタイムズ「読者が選ぶ21世紀の100冊」 ― 2024/08/20
少し前だが、ニューヨークタイムズに
「読者が選ぶ21世紀の100冊」という記事が載っていた。

そこからリンクする The 100 Best Books of the 21st Century (こちらは文学関係者数百人が選んだベスト10アンケートをブックレビュー部が集計)のほうには、読んだ/読みたいのチェック欄もあって、短い解説も面白い。
両方にざっと目を通したら、今までに14冊ほど読んでいた。
もちろん翻訳でね。
2つのリストにはズレもあり、カズオ・イシグロ、コルソン・ホワイトベッド、イアン・マキューアンはどちらにも選ばれているが、スティーヴン・キング、村上春樹、パティ・スミスはブックレビュー部のベスト100に見当たらないし、リディア・デイヴィスとルシア・ベルリンは読者のベスト100には入っていない。そして、あれれ、ポール・オースターはどこに? ふーむ。
ところで、『ウルフホール』と『ザリガニの鳴くところ』は、映画を見ただけかもしれない。
『ライフ・オブ・パイ』は本も読んだんだっけ?
どちらもわくわくするようなリストではあります。
秋の中欧旅行④クラクフとアウシュヴィッツ ― 2023/11/05
プラハから私鉄特急 Leo Express に乗って、ポーランドのクラクフに到着した。所要時間はおよそ7時間、到着は夜の10時半過ぎだ。
翌月曜日、アウシュヴィッツ=ビルケナウの現地ツアーに参加した。クラクフ市内から送迎マイクロバスで約1時間、オシフィエンチム市郊外のアウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館に着く。ガイドが自己紹介をし、30数名の参加者に入場券とヘッドホンを配った。様々な言語グループのガイド付きツアーが、間隔を置いて組まれているようだ。
アウシュヴィッツ第一強制収容所の入り口
ARBEIT MACHT FREI
「働けば自由になる」 という意味だと、これまでに本や記録映画が教えてくれた。その下を通る。

数え切れないメガネ、義手義足、鞄、靴、、各展示室を進んでゆく。息苦しくなり、写真を撮る気にはなれない。通路の壁一面に犠牲者のごく一部の写真が貼られている。数千人が銃殺された「死の壁」には花が置かれている。みな静かにガイドの説明を聞く。

アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウの鉄道引き込み線
両側に300以上の木造の囚人棟があったそうだ。保存されている粗末な囚人棟と薄暗いガス室を通り抜け、犠牲者の国際追悼記念碑へと歩いた。
ワシントンDCにあるアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館 United States Holocaust Memorial Museum に行ったのは、2013年だ。そこはホロコーストを学ぶ場だった。
ヨーロッパ大陸で起きた大量虐殺の歴史史料、ビジュアル化されたデータ、記録映像が米国流にダイナミックに展示された館内。HOLOCAUST ENCYCLOPEDIA 百科事典を読むように順路に沿って歩き、ヒットラーのナチス・ドイツ政権がいかに冷酷無慈悲に、ヨーロッパのユダヤ人600万人を迫害し殺害したかを学んだ。
そして今、数多く作られた絶滅センターの中の最大規模の収容所、アウシュヴィッツ=ビルケナウに立てば、80年前理解をはるかに超えるジェノサイドが行われたその地で、全くありきたりだが、自分にできるのはただ悲しみ祈ることだけなのだと思う。
重い一日を過ごした翌日、クラクフ旧市街を散策した。
今回の旅行で訪れた美術館の多くは、外側から見れば古びた目立たない建物なのに、中は光を取り込むよう近代的に改築されている所が多かった。
ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」はやはり美しい。ポーランド侵攻でナチスに収奪され、クラクフに戻るまでの経緯も興味深い。

中央市場広場の中心に織物会館がある。観光用の馬車がカッポカッポと通り過ぎてゆく。

聖マリア聖堂、祭壇と天井の美しさは必見だ。
ポーランド第二の都市クラクフは、ワルシャワのように爆撃で破壊されることがなかったため、歴史のある建物がそのまま残っている。
薄暗い洞窟や火を噴くヴァヴェルの竜には、様々な中世の伝説が残っているらしい。
城の下、ビスワ川に沿って歩道を歩いた。と、ふと立ち止まった時、全く偶然だが、その敷石の一つに Roman Polanski という名前が刻まれているのに気づいた。調べてみると、フランス生まれの映画監督ロマン・ポランスキーはこの町で幼少期を過ごしたユダヤ人であり、妊娠中だった母親はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で亡くなったのだという。その後のシャロン・テート事件といい、なんという壮絶な人生だろう。ワルシャワを描いた『戦場のピアニスト』 The Pianist には、より深い意味が込められていたことを知らなかった。
ポーランド国鉄でワルシャワに移動する日の午前中、トラムで川を渡り、シンドラーの工場 Oskar Schindler's Enamel Factory 現地ツアーに参加した。
スピルバーグの映画 Schindler's List が伝えた物語の背景、1939年から45年にかけて、ポーランドで起きた出来事が時系列に展示されている。工場で作られたホーロー鍋と、ゲットーから連れ出され、収容所に送られることなく生き延びた人々の写真、そしてこれはシンドラーが実際に使っていた机だ。

秋の中欧旅行①ベルリン ― 2023/10/20
ここ何年か、次はどこへ旅行したいの?
と聞かれるたびに、んー、ベルリンかな、と答えていた。実際のところコロナ後に行ったのは別の場所だったけれど、さあそろそろ出かけなくてはね。
9月15日からの中欧一人旅(16泊18日)備忘録です。
成田からトルコ航空利用、つまりイスタンブール経由で到着は夜11時過ぎ。
遅延のため、ホテルの最寄駅までの直通電車は終了していた。直通電車があるから選んだホテルなのに、、。
初めて利用するSバーンとUバーン、チケット購入も手間取る。が、幸い、同じ方向へ行く親切な女の子18歳が乗り換えまでを手伝ってくれた。長すぎて言いにくいゲズントブルンネン駅に着く。暗い駅前道路をできるだけさっさと歩き、静まり返ったホテルにチェックインした。
初ベルリンは4泊(観光は正味3日間)だ。 青字リンクしてます。
<観光1日目>
まずはここへ行くのだ。
過去の様々な時代の絵や映像や写真を、これまでに数多く見た。ナポレオン、ナチスの旗、前を遮るベルリンの壁、そして壁の崩壊、、
感慨にふけりながら広場を歩き、クアドリガと女神を見上げ、門をゆっくり正面からくぐり抜けた。(と、この日は平穏だったが、翌日夕方ここを通った時には、環境団体による抗議の塗料吹きつけ事件が起きていた。)
見渡す限りに2,700余りの石碑が並んでいる。

西の公園を斜めに通り抜け、絵画館 Gemäldegalerie と現代美術館 Neue Nationalgalerie を回った。
レンブラント、ホルバイン、フェルメール、カラヴァッジオ、そしてキルヒナー、ベックマン、、
初日の午前中そんなに急いでどうする?と自問しつつも、気が急いてしまう。
ベルリンは美術都市でもあるのだ。オンラインで入手しておいたミュージアムパス Museum Pass Berlin の有効期限は3日間、30ヶ所もある博物館/美術館のうち、一体いくつ訪ねられるだろうか。走り回らずゆっくりと作品を観たい、でも気持ちは前のめりになっていく。
気がつけば、午後2時を過ぎている。
ヴィム・ヴェンダース 『ベルリン・天使の詩』 の頃とは全く違うポツダム広場を抜け、モール・オブ・ベルリンのフードコートで名物カリーヴルストを注文した。ふーん、これなのか。

そして、テロのトポグラフィ Dokumentationszentrum Topographie des Terrors

さらに、冷戦時代の境界線を象徴するチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie へ。
大勢の観光客が交代で写真を撮っていた。

既に夕方だ。
この日行った場所はどれもブランデンブル門から南北/東西2、3kmの範囲にあるのだが、美術館内の歩行を入れればかなりの距離を歩いたことになる。疲れてきた。
土曜日のうちにホテル近くの大きなスーパーで水などを買う必要もあり(翌日曜は休み)、ようやく分かりかけてきた地下鉄Uバーンで戻ることにした。
<観光2日目>
博物館島へ行く。これはヴェンダースの2作目にも出てきた旧国立美術館 Alte Nationalgalerie だ。さびれていた映画の場面とは違い、入館者の列までできていた。クリムトの展覧会が開かれていたからだ。

博物館島には5つの大きな国立博物館がある。1日で全部回るなんてとんでもない。
バビロンのイシュタール門、何という美しさだろう。ペルガモンの大祭壇は改修工事中だ。そしてこの10月23日から、博物館全体がしばらく休館になるという(ダスパノラマは公開)。
ペルガモンから新博物館 Neues Museum に移動した。
有名なネフェルティティの胸像、この周囲だけは写真撮影が禁止されている。膨大な数の所蔵品に、頭がクラクラしてきた。

旧国立美術館で主に常設作品を観て(実はなぜかクリムトが苦手なのだ。ウィーン世紀末ならエゴン・シーレとココシュカのほうが好き)、博物館島入り口のジェイムズ・サイモン・ギャラリー2階のカフェで遅いランチをとった。
それから橋を渡り、川沿いで行われている週末のフリーマーケットをぶらぶら歩いてから、ドイツ歴史博物館へ行った。が、本館は工事中のため休館中だ。イオ・ミン・ペイ設計のガラス新館で(1989年のベルリンの壁崩壊を起点に過去へ遡る)ROADS NOT TAKEN という企画展と、全く知らなかったドイツのシンガーソング・ライター Wolf Biermann 展を見た。薄っぺらだった自分のベルリン観に、ほんのわずか厚みが加わったような気がする。
この日と翌日は、バス地下鉄トラム共通の1日チケット(現在€9.50)を利用した。目抜通りウンター・デンリンデンの国立歌劇場前からバスに乗り、(無料だが)時間予約済みの国会議事堂へ向かった。
<観光3日目>
must-seeはイーストサイド・ギャラリーだ。ベルリンの壁 Berliner Mauer は部分的に保全され、シュプレー川沿いの壁には100以上のグラフィティが描かれている。
最も有名な独裁者のキス(ブレジネフとホーネッカー)前には人だかりができており、観光ボランティアが気づかないうちにこんな新聞を作って手渡してくれた。

白水社の『若きWの新たな悩み』を読んだのは70年代、東西冷戦の頃だった。ライ麦畑的Wの悩みは、記憶が正しければ、USA製のジーンズをいかに入手するか、なのだった。
映画『グッバイ・レーニン』はしばらく前に、旅行を決めてから『善き人のためのソナタ』とヴェンダース2作品を見た。戦争関連の映画や映像の世紀なども。
肩の上につい天使カシェルを探してしまう戦勝記念塔 Tiergarten。バスはぐるりと円柱を回って南へ進んだ。

カイザー・ヴィルヘルム記念教会 Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche の前でバスを降りる。1943年イギリス軍によるベルリン大空襲で、大きく破壊された教会だ。その横の新教会の壁は、2万枚以上の青いガラスで作られている。心落ち着く静かな空間だ。


ジグザグ鋭角の複雑な建物の中に、印象深い展示物が収められている。急な階段を上り下りし角を曲がりながら、ユダヤ人の経た困難な時代を辿っていく。顔のように見える丸い鉄片をザクザクガシャガシャと踏んで歩くこの空間では、誰もが沈黙してしまう。

それからアレクサンダー・プラッツまでトラムに乗り、Uバーンでゲズントブルンネン駅に戻った。慣れた頃には次の目的地へと移動なのだ。

ボストン近郊(第19次遠征隊#2) ― 2023/06/17
2日目、朝のアメリカン航空便でボストンへ飛んだ。
そもそもこの旅行は、娘のMBA卒業式に便乗したものなのだ。バンコクで仕事をしながら、2年がかりで無事オンラインコースを修了したNちゃん、えらい。よく頑張りましたね。
友人Mとわたしは太平洋側から、娘Nとパートナーはドバイ経由で大西洋側から、ボストンに到着した。宿泊先はボストン近郊のAirbnbだ。大学のある町とボストン市内の中間地点を選んだ。


ミスティック川沿いののどかな地域だ。庭にはウサギやリスが、川沿いの道にはダックの親子が歩いている。2ベッドルームのこの家に4泊。到着後すぐ、Mとわたしは近くのWhole Foodsへ朝食用の食料品やワインを買いに行った。レンタカーは娘たちがコンパクトカーを1台だけ借り出し、大学との移動に使用する。それ以外は、UberかLyftを利用した。
Airbnb宿泊は初めて、Uber/Lyftも以前のアメリカ旅行ではあまり使ったことがない。ここ数年の間に、ずいぶん広まったのだろう。空港にはバスやタクシー乗り場、レンタカーシャトル乗り場以外に、App Uber/Lyft乗り場が確保されていた。バジェット旅行者にはありがたいサービスだ。
ところで、ミスティック・リバー、どこかで聞いたことあるなあ、と思ったら、クリント・イーストウッド監督のなかなか怖い映画なのだった。オスカー受賞作 ”Mystic River"、ストーリーは全く覚えていないけど、ショーン・ペンとティム・ロビンスの、ぞくっとするシーンがあったっけ。
ペギー・グッゲンハイムの美術館 ― 2021/09/13
Prime Videoで『ペギー・グッゲンハイム:アートに恋した大富豪』を観た。
楽し過ぎて二度観た。

鉱山で成功したグッゲンハイム家の父は、ペギーが13歳の時タイタニック号の沈没事故で亡くなった。裕福な親族たちと比べれば財産に恵まれなかったペギーは、21歳の時ニューヨーク市の前衛書店The Sunwise Turnで働き始め、そこで出会った人々(フロスト、ドス・パソス、フィッツジェラルドなど)との交流が、彼女をパリへ運ぶことになる。美術、音楽、バレエ、芝居、「あらゆる芸術革命が花開いた」とコクトーが述べる、1920年代のパリである。
デュシャン、マン・レイ、レジェ、ピカソ、G.スタインとトクラス、キキ、J.ジョイス、E.パウンド、そして、ベケット、、、名前を書き連ねるだけで心が躍り出す。
マン・レイの撮った、若い日のペギーが素敵だ。

『優雅な生活が最高の復讐である』の著者C.トムキンズもインタビューに登場する。まさに、ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』の時代だ。
富豪一族の反逆者、やっかいもの black sheepだったペギーは、1921年から38年のパリで夢のようなボヘミアン・ライフを楽しんだ。
その後ロンドンでグッゲンハイム&ジューヌ画廊を開いたが、ほどなく大戦が始まり、自力で作品と共に帰国した。ニューヨークでは欧州から脱出しようとする芸術家たちを救い、また同時期、彼らの作品などを(幸運にも)安価に購入することができた。ダリ、キリコ、タンギー、マグリット、ミロ、ジャコメッティ、モンドリアン、ロスコ、、、書いているとさらに気持ちが弾んで、あらすじをまとめたくなるけれど、以下印象深い部分と感想を。
ペギーはシュールレアリスムと抽象表現主義をアメリカに持ち込んだ先駆者であり、ヨーロッパとアメリカのモダニズムを結びつけた。NYCの今世紀の芸術画廊(1942-47年)における前衛的な数々の展覧会は、戦後のアメリカ美術界に確かな功績を残している。
そして、運河の水の美しさに魅了されて購入したベネチアの白いパラッツォ 邸宅に、1951年ペギー・グッゲンハイム・コレクションを開く。それは主要な20世紀画家たちの作品を集めた、イタリアでは他に類を見ない美術館となった。
彼女が現代美術に果たした役割は、その寛大さにおいても比べるものがない。(モンドリアンの助言もあって)ポロックを発見し、住まいと生活費を提供することで、モダンアートの傑作が生み出された。
俳優ロバート・デ・ニーロの両親も画家であり(デ・ニーロ・シニアとV.アドミラル)、少なからずペギーの援助を受けたという。
話は前後するが、戦時中カンディンスキーがペギーにNYCの(伯父ソロモン)グッゲンハイム美術館への紹介を依頼した時、ペギーを好ましく思わない初代館長はけんもほろろにその頼みを断った。対するペギーの返事、
「わたしの目的はお金ではなく、芸術家を助けることです」
そんな経緯の後に、F.L.ライト設計のあの白い螺旋形の(ペギーは駐車場みたいと言った)美術館が、多数のカンディンスキー作品を所蔵することになったとは。
ペギーは晩年、ソロモン・グッゲンハイム財団に邸宅とコレクション全てを譲渡する取り決めをした。
ペギーの憑かれたような情熱はどこから来たのか。
彼女にはスタインのような優れた直感や洞察、審美眼、ましてや表現力はなかっただろう。彼女はself-made な人だったという。デュシャン他を師として最先端の芸術を学び、夢中になれるものをひたすら追い求めた。
飽くことなく繰り返される、大勢の芸術家との束の間の情事、7年で終わった最初の結婚生活、次の夫エルンストの側に愛情はなかった。
グッゲンハイム一族としての自尊心を持ちながら、実は内気な世間知らずだったペギーの空虚な心、欠落感を埋めてくれるのはアートだけだった。そうして、自由な美術世界の媒体とも言えるコレクターとしての大きな成功が、人生に深く幸福な意味を与えたのだろう。
3年半前初めてのベネチアで美術館を訪ねた。広くはない中庭、ジャコメッティの像の少し先に、14匹の愛犬と共に眠るペギーのお墓があった。
パラッツォはグランカナルに面しており、バルコニーの前をサンマルコ広場方向へのヴァポレット 水上バスやゴンドラが行き交っていた。
時々Netflix ― 2021/06/01
見たいものがある時だけ、1ヶ月単位でネットフリックスを利用している。Amazonのマイアイテムに数十本入ったままだし、窓際に本も積み重なっているし、仕事はなくても忙しい。
12月に「ザ・クラウン」シリーズ、「ヒルビリー・エレジー」など。
5月には「クイーンズ・ギャンビット」「シカゴ7」「ミッドナイト・スカイ」「時の面影」などを見た。
「クイーンズ・ギャンビット」の話を知り合い(元将棋記者)に書いたところ、最近彼のチェス関連の著作が売れ出し、しばらくぶりに印税が送られてきた、と返信があった。H氏はその昔、日本のチェス・チャンピオンでいらしたのだ。すてき。ドラマシリーズがにわかにチェス人口を増やしたんですね。
昨夜はデンゼル・ワシントンの「イコライザー」1&2(プライムでは1だけ無料)を見た。さすがの名優デンちゃん、目が離せません。派手な血みどろアクションものなのだが、几帳面なヒーローは読書家でもある。「老人と海」「見えない人間」「アメリカの息子」「失われた時を求めて」の表紙に胸が躍った。プルーストは読んだことがないけど。
「世界と僕のあいだに」は、BLM運動に深く関わる本として各紙に取り上げられた作品なんですね。読まなきゃ。
6月はAmazonだけゆっくり。と、最近追加された映画をチェックしていたら、コルソン・ホワイトヘッドの「地下鉄道」がプライム・ビデオ化されていた。見なきゃ。
人工知能時代を考える本 ― 2021/03/15
ハードウェアが自らを設計できる技術的段階、ライフ3.0の時代が近づいた。ほとんどの研究者が、あらゆるタスクで人間を超える汎用人工知能AGIの誕生は今世紀中だろう、と予測している。その後、AGIは人間にコントロールできない速度で進化し、知能爆発シンギュラリティが引き起こされるだろう。未来のシナリオは幅広く、独裁者、征服者、動物園の飼育係、門番、1984、、いずれも好ましいとは言えない。アシモフのロボット三原則から70年、超人的AGIの誕生がもはやSFのテーマではなくなった今、AIが人間の繁栄に役立つよう準備をする必要がある。
というわけで、テグマークが立ち上げたFuture of Life Instituteは、2017年イーロン・マスクやアップル、グーグル、マイクロソフト、大学の代表的なAI研究者たちと共に「友好的なAI」AI安全研究のためのアシロマの原則を策定した。
「友好的なAI」とは、その超知能の目標が人間の目標と合致することだ。つまりAIは人間の目標を理解しなければならない。
「未来の自動運転車にできるだけ早く空港へ行ってくれと頼み、その自動運転車がそれを言葉通りに受け取ったら、あなたは警察のヘリに追いかけられ吐瀉物まみれになってしまうだろう」という極端で愉快な例が語られる。
AIはプログラムを遂行するが、意識と意義を認知するのだろうか?
第8章はサブタイトルの「人工知能時代に人間であること」を「意識」を中心に考察している。とても難しい。ジョン・L・キャシディ作『ケンブリッジ・クインテット』でも議論の要はそれだったと思う。「機械は認知能力において人間と並びうるだろうか」小説の舞台は1949年、コンピュータの父アラン・チューリングに強く反論するのはヴィトゲンシュタインだった。
ところで、エニグマ暗号解読に取り組む映画「イミテーション・ゲーム」に、チューリングがブレッチリー・パークの仲間の労をねぎらいリンゴを配るシーンがあった。アップル・コンピュータのロゴはそこから来たのだという説に、さすがジョブズ!と感心したのだが、どうも本当ではないらしい。むしろニュートンのリンゴやアップル・レコードからというのが正しいようだ。
『LIFE 3.0』に例示された映画は「トランセンデンス」「インターステラー」「スタートレック」「マトリックス」「エクス・マキナ」など。それらはもう遠い未来ではない?
そうそう、未読だけど、関連図書にカズオ・イシグロの『クララとお日さま』を加えなくては。
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