4月のモロッコ9日間①カサブランカ ― 2025/05/21
遠い国だ。日本からの移動時間が長いというだけでなく、帰って来ればドアがパタンと閉じたみたいに、モロッコは今なお遥かに遠い別世界のようだ。
4月初旬成田から13時間のイスタンブール空港で娘と待ち合わせ、ターキッシュエアのトランジット・ホテル・サービスで市内に一泊、翌日4時間飛んでカサブランカのムハンマド5世国際空港に着いた。
予約しておいた(Uberは使えないらしい。Booking.com 利用)タクシーで、中心部のホテルに到着し、屋上に上がって町を眺める。

遠くに見えた ハッサン2世モスク へ行ってみよう。赤い(公式)タクシーを拾って、値段を交渉し乗り込むと、助手席にも乗客がいた。おどろくほど荒い運転の車内で意味不明のアラビア語またはベルベル語のやり取りを聞きながら、広場に到着。大西洋に沈む夕日を眺めていると、コーランが流れてきた。お祈りの時間だ。
再び荒い運転/助手席同乗者ありのタクシーでホテルに戻り、近くのレストランでモロッコサラダと初タジン鍋。(イスラム教国ゆえ)ビールもワインもないんですけど。

翌日2人で市内を散策した。ハトの多いムハンマド5世広場と市内ツアーの待ち合わせ場所らしい国連広場を歩いてから、旧市街メディナへ。日曜だったためか、市場スークの店はのんびり少しずつ開いていく。
バッグ屋の青年はカナダ留学と現地での結婚経験あり。その悲恋話を聞く。あまりに異なる文化圏の人々、それぞれに家族が大切、、うーん、そうだよね。ここで娘はバッグを1点お買い上げ。まだ初日なんですが。

この後訪れるフェズやマラケシュに比べると小規模なメディナだ。猫が多かった。

メディナの奥は普通の生活圏のようだ。野菜売りおじさんを近所の人が囲む。

少し歩いて中央市場に行った。肉売り場、野菜売り場、そして活気ある魚売り場が続く。その横にシーフードの地元レストランが並んでいた。
カサブランカ沖の魚とパエリアのランチをとっていると、すぐ横のスペースに10人ほどが座り、お祈りが始まった。

中央市場には手工芸品売り場もあった。藤製品の店、古いポスターや版画の店で思わず立ち止まる。小さなバスケットと版画1枚お買い上げ。まだ先は長いんですが。

旅行前、予習としていくつものYouTube旅行ガイドと、映画『カサブランカ』を見た。何十年ぶりかだったが、"As Time Goes By"🎵がしみる。第二次世界大戦を背景とした究極の悲恋。やはり感動的な名画だ。
市内には映画を模した Rick's Cafe もあるようだ。
4月のモロッコ9日間②ショウシャウエン ― 2025/05/21
カサブランカ2泊後、モロッコ周遊の個人ツアーに出発した。
利用したのはViatorの「カサブランカからフェズ経由マラケシュまでの豪華な砂漠ツアー・キャメルトレッキング」だ。
ドライバー兼ガイドのアジズさんが、ヒュンダイでホテルへ迎えに来た。
6泊7日ツアーの最初の目的地は、青い町ショウシャウエンだ。日本のガイドブックなどにはシャウエンと書かれているが、地元の人たちは略さずショウシャウエンと言っていた。

車が入れるのは旧市街の門まで。宿泊予定のリヤドから荷物持ちが来てくれて、細い坂道をどんどん登ってゆく。リヤドとは古い家/邸宅を利用した宿泊施設だ。
通りはどこもかしこも青い。

横道に入る。ここがお宿のリヤド。この家も青い。

歓迎のミントティーをいただき、部屋に荷物を置いて、青い路地を歩いた。ラグや手工芸品の店が続いている。さんざん迷った末、ラグ各自一枚お買い上げ。まだ2日目だけど。

旧市街は、NHK「世界ふれあい街歩き」番組の印象より広いようだ。
ガイドのアジズ(慣れて敬称略)と待ち合わせて路地を歩き、ツアーに含まれている夕食をとった。野菜と肉のたっぷり添えられたクスクスなど。
ハマン広場に面したレストランから、要塞カスバが見えた。

翌朝、リヤドの屋上で、青く美しい町を見下ろしながら朝食をとった。ひんやりとした空気が心地よい。

ツアー2日目、フェズに向かう道沿いにオレンジ畑が続いている。
大げさでなく、今まで食べたなかで一番おいしいオレンジだ。いくつか買っていこう。

道沿いにはこんなカゴ屋もあった。藤製品好きとしては、立ち寄らないわけにいかない。
素朴な鍋敷きを買った。

なかなか先に進めない母娘に、アジズが「フェズで公式ガイドが待っているよ」と声をかける。はーい。
4月のモロッコ9日間③フェズ ― 2025/05/22
なぜフェズに公認ガイドが必要なのか、それは旧市街が文字通りの迷路だからである。金色の王宮フェズ・エル・ジェディド前を経由して迷宮都市の入口に行くと、資格証をつけたガイド氏がやって来た。アジズと交代し、数時間わたしたちを案内してくれる。
メディナはショウシャウエンと同じく世界遺産に登録されている。陶器街、金属器街、絨毯街、飲食店街、神学校マドラサ、説明を聞きながら、ガイド氏のあとを右へ左へ早足で歩き回った。


織物の店とアルガンオイルの店に案内され、サボテン糸のストール1枚お買い上げ。
さらにせかせか追いかけながら質問すると、公認ガイドになるには複数回の筆記試験と面接に合格しなければならないという。この巨大迷路の地図とフェズの歴史文化を熟知すること、さらに十分な語学力も必須とされる。志願者の中で選ばれるのはごくわずか。誇り高い仕事なのだ。
ろばも馬も通ります。猫もあちこちに。
ガイド氏がいなければ、もう外界には出られない。


皮の染色場タンネリ、匂いが強いので、入口でミントの枝を渡された。
ラクダの皮のカバン1点お買い上げ。
旅行前に恐れていた通り、買い物ツアーになっていくのか、、
その日宿泊のリヤドが素晴らしかった。細部まで美しく装飾されたくイスラム建築の中庭を囲むように、客室が並んでいる。
一階のパティオで夕食(と朝食)が出された。ワインはないけど、お皿も盛り付けも味もよい鶏のタジン鍋とサラダ。黒いカフタンの似合うベルベル人のマナーもすてきだった。
天蓋付きのベッドは年長者用にしましょうね。
広い部屋のその向こうに美しいタイルのバスルームがあった。

4月のモロッコ9日間④メルズーガ砂漠 ― 2025/05/23
モロッコに雪が降る高原の町があるとは全く知らなかった。建物はスイスの山小屋シャレー・スタイルだ。って、まだ行ったことがないけどスイス。
イフレイン周辺にはその昔、ライオンも生息していたという。古代ローマの闘技場で使われたのは、北アフリカの美しいたてがみを持つバーバリ・ライオンだった。

車から見る景色は刻一刻と変わっていく。高原から牧草地へ、そして乾燥した赤土色の荒地へ。モロッコ旅行の楽しさの一つは、思い出してみれば、その変化に満ちた風景だった。
途中にはオリーブオイルの工場、バラ栽培の町(ローズウォーター工場)などがあり、もう一つの楽しさで、少しずつ荷物が増えていくことになる。
エルファードは化石で有名な場所だ。通り沿いに採掘場や加工・販売の店が点在する。アトラス山脈の東側には古代から中世代の地層があり、そこで三葉虫やアンモナイト、さらには恐竜などの化石が豊富に産出される。映画『ハムナプトラ』は、エルファード周辺で撮影されたという。

このツアーのハイライトは、なんと言ってもキャメル・トレッキングだろう。
夕刻のメルズーガで、ラクダが2頭わたしたちを待っていた。メルズーガ砂丘は大サハラ砂漠の入り口にあたる。


ターバンを巻いた少年に先導されて上ったり下ったり、揺れながら砂丘を小一時間進むと、Itran Royal Campの白いテント群が見えてきた。
いつものように高い位置から注ぐミントティーが出され、テントの客室に案内される(スーツケースは車で既に運ばれていた。)

夕食後には焚き火を囲んでモロッコ音楽が演奏された。最後の曲で、宿泊客たちは勧められるまま輪になり、(見よう見まねで)ダンスをする。
天気はあいにくの曇りで、期待していた満天の星空は見られなかったが、忘れ難い夜になった。

翌朝、日の出と同時に起き出して、砂に足を取られながら、近くを散歩した。
見よ、この大砂丘を!!
深呼吸し、心の中でバケットリストの1項目にチェックを入れた。
砂丘を眺めながらの朝食だ。フレッシュなオレンジジュース、香りの良いコーヒー、モロッコ・パンケーキ、この土地のジャムとハチミツ、、
砂漠のキャンプを、娘と一緒に、これから何度も思い出すだろう。

4月のモロッコ9日間⑤渓谷からマラケシュへ ― 2025/05/24
4日目、メルズーガでサンドボードとターバンおじさんサイード氏の砂丘クルーズを体験した後、ダデス渓谷へ向かう。途中の町で、地元の市場に立ち寄った。
野菜やスパイスや道具類、衣類だけでなく、馬や山羊の売買も行われている。


カスバ街道を通って、トドラ峡谷へ

古いカスバの中に絨毯組合がある。丁寧に織られたラグを何枚も広げて見せてくれた。


街道沿いの町の高台にあるホテルに宿泊した。
アトラス山脈の南に位置するオアシス都市のひとつだ。これぞモロッコ、という眺め、
レストランでは、スイスからのシニア団体客がゆっくりと夕食をとっていた。
5日目、アフリカのハリウッド、ワルザザードの映画スタジオ(アトラス・コーポレーション・スタジオ)を見学した。
ここはエジプトを舞台とした作品が撮影された場所(『ナイルの宝石』、『ハムナプトラ』など)

そしてこれは、『グラディエーター』で奴隷にされたマキシマスが閉じ込められた地下牢(として使われたセット)、ガイドの説明に皆ほお〜とうなずいた。

マグレブ地域で、アオシスの住民たちが居住した村をクサールというらしい。そのクサールのひとつ、アイット・ベン・ハドゥが世界遺産として保全されている。サハラ隊商交易の中継地として栄えた村落だという。
軽々と登ってゆくアジズと娘のあとを、ふうふう言いながら追いかけた。何とか頂上に到着。去年のパルテノン同様、かなりの苦行だった。登れるうちに、歩けるうちに遠出しないと。

アトラス山脈を越えてマラケシュまでは180km、高低差の大きい曲がりくねった道路を、若いドライバーはびゅんびゅん飛ばして進んでゆく。スリリングな時間だった。
4月のモロッコ9日間⑥マラケシュ旧市街 ― 2025/05/24
日が沈む頃マラケシュに到着した。
カサブランカ、首都のラバド、フェズに続く第4の都市だ。
メディナの門に近いリヤドは少し古びており、すぐ横の空き地からサッカーをする少年たちの声が響いていた。

夜のジェマ・エル・フナ広場に足を伸ばした。マラケシュ旧市街だけでなく、この空間が無形文化遺産だそうだ。大勢の人でにぎわい、ざわめく広場。何をしているのかわからない人だかりがあちこちにできている。
アジア人は少ないので目立つのかもしれない。
何度も「ニイハオ」「ニイハオ」と呼びかけられ、娘が「ピカチュー」と答える。

屋台で夕食をとることにした。座って食事をしているのはほとんどが外国人観光客だ。
ケバブ、焼き野菜、モロッコサラダ、、おいしい?うーむ、、

6日目の朝、マラケシュの公認ガイドがやって来た。彼も資格証を下げ、きちんと質問に答えてくれる。ジャマ・エル・フナの屋台でご飯を食べたことはないそうだ。やっぱりね。

午前中、バヒア宮殿とベン・ユーセフ・マドラサ(神学校)、そしてスーク内を案内してくれた。

昼食後はさらに娘と二人、広いスークを歩き回る。マラケシュはフェズほど迷路化していないし、歩いても歩いても飽きることがない。とは言え、夕方にはくたびれて、荷物も増えて、ホテルに戻った。




翌朝、リヤド横に車がやって来た。フライト時間に合わせてカサブランカの空港へ送ってくれる。高速道路を通って、所要時間は2時間半ほど。
中身のぎっしり詰まった7日間のモロッコツアーが無事に終了した。

モロッコ帰りにイスタンブール ― 2025/05/26
提供された旧市街の4つ星ホテル(ツイン、朝食付き)から歩いて行けるのは、まずブルーモスク。当たり前過ぎるけど、やはり外せない。
様々な国からやって来た観光客の長い列に加わり、根気よく並んで入場した。うっとり。
もちろんアヤ・ソフィアにも。
そして、地下宮殿にも。


ギュルハネ公園を散歩すると、トルコの国花チューリップが色とりどりに咲き誇っていた。
3月後半から、イスタンブール市長拘束にともなう抗議デモが続いているというニュースが報道されており少し心配していたが、旧市街は特に問題なく平穏だった。

この街でも「ニイハオ」「ピカチュー」、「ニイハオ」「ピカチュー」の応答が続く。
トラムでガラタ橋を渡り、ガラタ塔の下まで登ってみた。ふう。
イスタンブールは娘もわたしもそれぞれ2度目だが、再訪を楽しみにしていたグランバザールに以前ほどトルコらしさが感じられなかった(つまり、ややショッピングモール化していた)。
でも、このガラタ塔付近には、雑然としたトルコっぽさ(勝手なイメージではある)が残っていたと思う。

トラムで戻り、フェリーターミナルのあるエミノムに並ぶフィッシュ・サンドイッチ屋へ行った。カモメが飛び、サンドイッチ屋のおじさんたちの大声が響いている。赤いピクルスを売る若者が歩きまわる。サバを焼く匂い、ボスポラス海峡を眺めながら食べるフィッシュサンドは最高だった。
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