アメリカ詩少し2014/11/16

 空気がひんやり冷たくなって、ものごとの意味がいつもより深く染みていくようだ。数日間風邪を引いていたせいもあるだろう。頭はぼんやりしているのに、妙に勘が冴えているような。まあ、気分だけだが。
 図書館で雑誌『ミセス』をパラパラめくっていたら、エミリー・ディキンソンの詩が載っていた。こんな詩だ。何度も黙読し、頭の中で繰り返しながら帰宅した。

   わたしは手に宝石をにぎりしめ-----

 わたしは手に宝石をにぎりしめ
 眠りにつきました
 日は暖かで、風はおだやか
 わたしはいいました「なくしはしないわ」

 目が覚めて-----わたしは愚直な手を叱りました。
 宝石は失せていました-----
 それでいま、紫水晶の思い出が
 わたしにあるすべてです

  (エミリー・ディキンソン詩集、亀井俊介編、岩波書店)

 詩には真面目に取り組まなかった。読んだと言えるのは、ラングストン・ヒューズ、シルビア・プラス、リチャード・ブローティガンくらいか。
映画や新聞、雑誌などの引用から、ビート詩人やマヤ・アンジェロウなどを調べたことはあったが、きちんと向き合ってこなかった。もったいないことだ。
 「失くす」詩には、こんなのもある。映画『イン・ハー・シューズで、キャメロン・ディアスが老教授に読まされた詩だ。印象に残るいい場面だった。折にふれ読んでいる。

   ひとつの術
     エリザベス・ビショップ

 ものを失くす術を覚えるのは、難しくない。
 もともと失くされようとする魂胆が見え見えで、
 失くしたところで大事に至らないものは、ごまんとある。

 毎日何かを失くすこと、ドアの鍵を失くした狼狽や、
 無駄遣いした一時間を受け入れること。
 ものを失くす術を覚えるのは、難しくない。

 それからもっとひどく、もっと速く失くす稽古をしよう。
 場所や、名前や、どこか旅行に行くつもりだった
 ところなど。どれも大事に至ることはない。

 私は母の時計を失くした。そして、ほら、好きだった三つの
 家の最後の一つ、それとも最後から二つ目のものも消え去った。
 ものを失くす術を覚えるのは、難しくない。

 私は二つの都市、きれいなのを失くした。そしてもっと
 大がかりに、持っていたいくつかの王国、河二つ、大陸一つを。
 どれも恋しいが、大事に至りはしなかった。

 ——あなたを失くした時でさえ(冗談を言う声や、大好きな
 しぐさなど)、その事情に変わりはないだろう。どう見ても、
 ものを失くす術を覚えるのは、そんなに難しくない——
 たとえどれ程(はっきり書こう!)大事に見えようとも。

("One Art" Elizabeth Bishop アメリカ名詩選 岩波文庫)

 "the art of losing isn't hard to master." "I miss them, but it wasn't a disaster."リズムのある平易な原文を読むほうが、解りやすいかもしれない。

スーザン・ソンタグのドキュメンタリー映画2014/11/30

 11月にスーザン・ソンタグの本を3冊読んだ。『私は生まれなおしている』日記とノート1947-63、『こころは体につられて』日記とノート1964-80(上下)、『死の海を泳いで』息子デイヴィッド・リーフ著。
 SSの頭の良さに全くついていけず、ただ字面を追っただけというのが正直なところだ。G.スタインやJ.アプダイクへの言及もあり、方向は間違っていないと思うが。
 
没後10年の今年、ドキュメンタリー映画が公開されている。"Regarding Susan Sontag 2014"
若い時の美貌やかっこよさを話題にしたり、とってつけたような質問をして、滅多打ちにされる対談者を何人か見聞きしてきた。うろたえを隠せなかった蓮實重彦氏やChris Lydon氏、お気の毒。でも、この入り方は気に入ったようだ。



 Big Ideasというサイトに、トロントで行われた講演のビデオもあった。Susan Sontag on modern literacy - 2002
NYTimesなどからの個人攻撃に対して「実際のわたしは作品ほど知的なわけじゃありません」という前置きがチャーミングだ。本は膨大な量の下書きを数え切れないほどリライトした結果として作り出される、と語っている。