グリニッジ・ヴィレッジ文学散歩(第6次遠征隊#6) ― 2008/10/13
旅行人格2日目午後、SOHOは既にショッピング街であることを発見し(おまけにPottery Barnが消えていた!)、グリニッジ・ヴィレッジへ移動した。初日から小雨が続いている。雨のマグドゥガル通り、文化人ゆかりのミネッタ・タバーンと、ボブ・ディラン伝説のカフェ・ワはすっかりさびれている。サン・レモはもうない(みたい)。
トマス・ウルフ、ギンズバーグやケロアックがこの道を歩いたのだ。さかのぼれば、H.ジェイムスやE.A.ポー、E.ウォートン, T.ドライサー、数えきれない何十人もの作家たちも。
カフェ・レジオでオリジナル・カプチーノを飲む。
ワシントン・スクエアを横切って、結婚写真撮影中のワシントン・ミューズを抜け、ジミヘンのスタジオ前を通って、西10丁目へ行った。この辺にM.トェインが住んでいたはず、、。キョロキョロしていると、同じように何かを探している婦人がいる。聞いてみた。
「すみません。マーク・トェインが住んでいた所を知っていますか」
「へえ、トェイン住んでたの。知らなかった。ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちなんだけど、、。私は知り合いの家を探しているの」
そうかじゃあねと手を振って100mほど歩き、車を洗っている男の人に尋ねると、
「隣だよ」
どうってことのない古アパートの壁に、プレートがはめ込まれている。
再び通りかかったニューヨーク生まれのアリス(別れ際に名前を聞いた)が
「あなた見つかったの。よかったわね」
と、そのプレートと私の写真(ブレまくり)を撮ってくれた。
トマス・ウルフ、ギンズバーグやケロアックがこの道を歩いたのだ。さかのぼれば、H.ジェイムスやE.A.ポー、E.ウォートン, T.ドライサー、数えきれない何十人もの作家たちも。
カフェ・レジオでオリジナル・カプチーノを飲む。
ワシントン・スクエアを横切って、結婚写真撮影中のワシントン・ミューズを抜け、ジミヘンのスタジオ前を通って、西10丁目へ行った。この辺にM.トェインが住んでいたはず、、。キョロキョロしていると、同じように何かを探している婦人がいる。聞いてみた。
「すみません。マーク・トェインが住んでいた所を知っていますか」
「へえ、トェイン住んでたの。知らなかった。ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちなんだけど、、。私は知り合いの家を探しているの」
そうかじゃあねと手を振って100mほど歩き、車を洗っている男の人に尋ねると、
「隣だよ」
どうってことのない古アパートの壁に、プレートがはめ込まれている。
再び通りかかったニューヨーク生まれのアリス(別れ際に名前を聞いた)が
「あなた見つかったの。よかったわね」
と、そのプレートと私の写真(ブレまくり)を撮ってくれた。
時間が足りないNY(第6次遠征隊#7) ― 2008/10/13
2日目の夜、今回の旅の仲間、夫がやってきた。
その後、ニューヨークでしたこと。
したいことはまだまだあったのに、時間が足りないニューヨーク。
次に行くのはいつ? また10年後では遅過ぎる、、。
その後、ニューヨークでしたこと。
- ハーレムでゴスペルを聴く Memorial Baptist Church
- セントラルパークを歩く
- ブロードウェイで The Lion King を見て泣く
- ウォール街、フェデラル・ホールに行く
- アメリカ・インディアン博物館へ行く
- サークルラインに乗る
- 中華街で飲茶
- オイスター・バーで生クラムを食べる
したいことはまだまだあったのに、時間が足りないニューヨーク。
次に行くのはいつ? また10年後では遅過ぎる、、。
ニュージャージー州2つの灯台(第6次遠征隊#8) ― 2008/10/13
9/30(火)ペン・ステーションからNJ Transitに乗ってマンハッタンを離れ、ニュージャージー州を大西洋沿いに車で南下した。
最初はマンハッタンから運転を始めようかとも思ったのだが、不器用でノロマな私には難しそうだ。レンタカー会社の営業所と駅を検索し、Iselinに予約を入れておいた。
ニュージャージー州には灯台が数多い。州観光局が送ってくれた資料の中には、"Discover Lighthouses"という小冊子もあった。
快晴。風が心地よい。120数マイル(約200km)をドライブした。18の灯台を全部見たいところだが、時間は限られている。北の端にあるSandy Hook灯台と、南端のCape May灯台の2つだけ見に行った。
Cape Mayの家々(第6次遠征隊#9) ― 2008/10/13
Cape Mayという町を、以前から知っていたわけではない。地図を広げてルートを考えた時、NJ州南端の町が目に入り、それから対岸のデラウェア州へ行くフェリーと大きなアウトレット・モールを発見し(デラウェアはsales taxが0%)、その後Cape Mayがビクトリア様式の建築で有名な町であることを知り、、という経緯だ。
静かな、美しい町だった。中高年のカップルが(私たちもね)、海辺やモールをゆったりと散歩していた。
小さなB&BSaltwood Houseに宿泊した。1906年築の建物だそうだ。オーナーのダンに教えてもらった、ワイン持ち込みOKのシーフード・レストランで夕食を取り、隣にすわったカップルと大統領選やイラクについて話した。"Palin is nothing."
翌朝、宿泊していた3組のカップルと一緒にテーブルを囲んだ。アジアへ旅行したことのある人はいない。ハワイへ一度行ったご夫婦が一組。ご主人が、あそこは日本なのか、と冗談を言う。こんな時、大クラッシュしたマネーマーケットの話はもちろんタブーだろう。
ダンの朝食は細やかで美味しかった。TripAdvisorへのコメント書き込みを依頼される。
ポーチでコーヒーを飲んでいたら、歴史地区を回るトロリーバスが通り過ぎた。
静かな、美しい町だった。中高年のカップルが(私たちもね)、海辺やモールをゆったりと散歩していた。
小さなB&BSaltwood Houseに宿泊した。1906年築の建物だそうだ。オーナーのダンに教えてもらった、ワイン持ち込みOKのシーフード・レストランで夕食を取り、隣にすわったカップルと大統領選やイラクについて話した。"Palin is nothing."
翌朝、宿泊していた3組のカップルと一緒にテーブルを囲んだ。アジアへ旅行したことのある人はいない。ハワイへ一度行ったご夫婦が一組。ご主人が、あそこは日本なのか、と冗談を言う。こんな時、大クラッシュしたマネーマーケットの話はもちろんタブーだろう。
ダンの朝食は細やかで美味しかった。TripAdvisorへのコメント書き込みを依頼される。
ポーチでコーヒーを飲んでいたら、歴史地区を回るトロリーバスが通り過ぎた。
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