年末小旅行2020/12/24

 旅行なんて書いたけど、何のことはない。60kmほど西の町に1泊しただけだ。
コロナ感染者急増中の東京(駅)を息を潜めて通り抜け、湾の向こうに到着した。主目的はトライアローグ展。横浜美術館では11月から2月末まで開かれている。前日に今年最後の授業を終え、カバン一つでやって来た。

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 愛知県美術館、富山県美術館と合わせて3館の所蔵品が、時代/テーマ3つのセクションに展示されている。時間予約のため人が少なく、館内は落ち着いていた。
ピカソは1902年の青から60年まで4枚の「女」、マティス、シャガール、ルオーなどは各1枚、油彩転写のクレー3枚。決して平穏ではなかった一年の締めくくりに、カンディンスキーやオキーフと静かに向き合えることを幸運と呼びたい。
 共同企画展は撮影禁止だ。横浜コレクションのほうには、デュシャンの大硝子→大鴉になった(ポーではない)らしい吉村益信作品など。こちらもよい。

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 大して重くもないカバンをホテルに置き、夕方の赤れんが倉庫へ向かった。クリスマスのイルミネーション、きれいですね。周りはほとんどが若い二人連れだ。この近所に住む友だちを誘おうかどうか直前まで迷ったものの、今の状況では迷惑に違いないと見送った。ぐるぐる一人歩き回る中高年。

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 いつの間にか旅行人格に入れ替わっているようだ。歩く、歩く。早足で中華街まで行き、中国東北料理の小さい店で夕食を取った。羊肉たっぷり、めえ〜。

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 観光気分で横浜を歩くとしたら、どこへ行くだろう?
翌日はガイドブック通りに建築物三塔巡り、山下公園、氷川丸見学、、
氷川丸の横には移転された白灯台(明治29年設立)があった。塩屋崎からちょうど一年たつけど、今年の灯台には登れません。

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 さらに歩き、港の見える丘公園から完成間近なガンダムを見下ろし、元町を通って中華街へ戻り遅めのランチ定食。お土産の肉まんを買い、JRに乗って東京を経由し帰宅した。

 100年ぶりの災禍に右往左往するばかりだった2020年も残りは1週間、
皆さま、どうぞお体に気をつけて、よいお年を。

塩屋崎灯台20192019/12/31

 
 
 

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 前回ここを訪ねたのは2012年の10月、震災後の復旧工事がまだほとんど手付かずだった時期だ。崖は崩れて、入り口で封鎖されていた。
あれから7年、灯台への階段は美しく整備されており、高さ190mの小高い岬を登った。灯台の上まではさらに103段のらせん階段だ。ぐるぐる、ふうふう。高い所があればいつも上まで行きたいと思うが、謙遜でなく冗談でなくそのうち登れなくなるのだろうと、しみじみ、じわじわ、ひしひし、思い至る。まあ、登れるうちに登りましょ。旅行もそう、行けるうちに行かなくちゃね。
 冷たい風に吹かれて太平洋を見晴らした。沖には白い船が一隻、流れる飛行機雲、遠い三日月、
2019年が過ぎていった。

キティホークへ(第18次遠征隊#4)2019/07/13

 もう一つのテーマはライト兄弟だ。49州目になるノースカロライナの地図を広げた時最初に目に入ったのが、ライト・フライヤー初飛行の土地キティホークだった。大西洋沿いに細長く砂州が連なるアウターバンクスにある。

 まず、ウィリアムズバーグのアウトレットを経由して、ジェームズタウン歴史地区へ行った。1607年、イギリスから最初の入植者がやって来た場所だ。
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 キャプテン・ジョン・スミスの像は、ジェームズ川を見渡す位置に立っていた。そして砦のこちら側に、ポカホンタスの像が置かれている。
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 出発前アウターバンクスの海沿いにホテルを探したが、ピークシーズンに一人で気軽に泊まれる所はない。150kmほど離れたノーフォークのモーテルを2泊予約していた。晩ご飯は車でpo-boyサンドなど買いに行く。
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 26日(水)午前、ライト兄弟メモリアルに到着。実際の所在地はキティホークでなく、少し南の Kill Devil Hills というすごい名前の町だ。悪魔を殺すほど強いラム酒を隠した丘、という意味らしい。
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Wilbur, steady and confident
Orville, impulsive and optimistic
 スミソニアンの航空博物館では、ウィルバーとオーヴィル二人の性格がこう表現されていた。静と動が助け合い補い合って、不可能を可能に。 "making impossible possible" という言葉は力強い標語のようだ。
 ライト・フライヤーのレプリカと小さな模型。本物の木製プロペラと翼に張られていた帆布もあった。
 初飛行の成功は、1903年12月17日。スタート地点と計4回の着陸位置に石碑が置かれている。
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 その当時、ここは一面の砂丘だったそうだ。今は草に覆われ、小高い丘の上に堂々とした記念碑が立っている。
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 アウターバンクスを南へ移動し(ランチはフィッシュ・タコス)、ボディアイランド灯台へ行った。本日のチケット完売なり。登れません。うーむ、やっぱり。
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 州道の外側、海沿いの道をゆっくり走ってみよう。穏やかに大西洋が広がる。もちろん海岸を歩いて貝殻を拾い、砂だらけになる。
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 27日(木)ノーフォークを出発してリッチモンドに戻りレンタカーを返却(走行距離は459マイル、約735km)、昼過ぎのアムトラックでボルチモアに向かった。
 と書くと順調そうだが、実は2時間の遅延だった。あー、やっぱり。
ベンチの隣にいた、こちらも遅延の70代ケイさんの身の上話を聞く。ヴァージニア州のタバコ農家に生まれ、これから娘の住むシャーロットに行くところ。夫とはずいぶん前に離婚し、下の息子が3年前病気で亡くなった。趣味は木彫り。そして美しい木彫り作品写真を見せてくれた。お話しできてよかったね、とハグして別れるアメリカン。こうした予想外の会話が一人旅の楽しさだろう。
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トランプ時代の、でも変わらないミネソタ(第16次遠征隊#4)2017/07/15

 去年の大統領選で周囲は全部共和党の赤で埋め尽くされたけれど、ミネソタ州は毅然と青い民主党色を誇っていた。友達は皆どんな思いで暮らしているんだろう。とは言え、外国人が無神経に政治の話を口にするものではない。ゆめゆめうかつに話題にしないようにしよう。出発前そう自分に言い聞かせていた。
 ところが、ブランチのテーブルで、夕食後にリキュール飲みながら、どこかからポロンとその名前が出ると、すごい勢いで皆が思いのたけを話し始めるのだ。胸の悪くなるようなニュースが続き、見たくも聞きたくもないが、彼が大統領なのだ。堪えるしかない。でも出口は探したい。

 ミネソタ州は美しい所だ。変わらない風景に気持ちが和む。一番美しいのは秋の紅葉だろうか。でも春も夏もよい。恐ろしく寒い冬も楽しい。

 友達のキャビンからほんの5分走れば、カスケード川州立公園がある。滝を見に、短いトレッキングコースを歩いた。ルピナスの群生地もすぐ近くだ。
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 湖にボートを出して釣りをしたり(釣れないので魚屋へ)、夫たちは(ボールがいくつ無くなるかを競う)ゴルフに出かけたり、グランマレーのギャラリーを回ったりして、よく話しよく笑い、3日間は瞬く間に過ぎてしまった。

 ミネアポリスへの帰り道、州のシンボルでもあるスプリットロック灯台を見に行った。あいにくの霧雨だったが、灯台好きには外せない。
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 帰国前日、スーザンたちとミネハハ滝近くのレストランに出かけた。Minnehahaはロングフェロー作「ハイアワサの歌」に登場するダコタ族の恋人の名前だ。ミネトンカ湖などから続く滝の水は、少し先でミシシッピ川へ流れ込んでゆく。
 ミネソタへは遅くても4年後にまた行くだろう。大統領は変わり(至極当然!)変わることのない風景と友達が待っているのだ。

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今回の走行距離 766マイル、約1,225km(6/23-30)

ヴィクトリア1日ツアー(第15次遠征隊#6)2016/07/10

 州都ヴィクトリアに行く方法はいろいろあるが、出発前、現地ツアーに申し込むことにした。検討して選んだのは往路が水上飛行機、復路はフェリーというもの。
 水上飛行機 seaplane のターミナルは、バンクーバー港に面したカナダ・プレイスにある。予約メール(体重を自己申告)のプリントだけで大丈夫?とやや不安だったが、個人参加型のツアー内容はきちんと伝達されており、搭乗券と帰りのフェリー券入り封筒を渡された。さあ、出発だ。

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 しばらくすると、灯台が見えてきた!Lights by Map によるとウエスト・バンクーバーの Point Atkinson 灯台らしい(帰りのフェリーはガルフ諸島の Portlock Point 灯台付近を通過した)。海が美しい。島が美しい。
バンクーバーは曇りだったが、ヴィクトリアに近づくにつれていいお天気になった。
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 インナーハーバー到着後、ロイヤルBCミュージアムブリティッシュ・コロンビア州の歴史や First Nations についての充実した展示を見た。IMAXシアターのムービー "Living in the Age of Airplanes"も。ハリソン・フォードのナレーションが渋い(リンク先に素敵な予告編あります)。
それから街歩き。18世紀半ば、この Bastion Square ヴィクトリア砦の中心であり、ハドソンベイ・カンパニーの本社が置かれていたという。入り口に歴史資料がポツンと立っていた。
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 ヴィクトリアからのバスがそのまま、北のスワーツ湾でフェリーに乗り込む。乗客は船室でバンクーバー南のフェリーターミナルまでの時間を過ごす。着岸すると再びバスに乗り、バンクーバー中心部まで帰りは計約3時間。
正味滞在時間の短いツアーのため、有名なブッチャートガーデンには行けなかった(花より博物館)。州議事堂やエミリー・カーの家も時間切れだ。シアトルからのツアーもあるそうだし、またいつかね。
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バンクーバーの楽しみは(第15次遠征隊#5)2016/07/09

 旅の後半は初めてのバンクーバーだ。ブリティッシュ・コロンビア大学 UBC の人類学博物館、スタンレーパークのサイクリング、ギャスタウン、グランビル・アイランドなどを楽しみにしていた。小雨が降ったり、バスを乗り間違えたりしたが、ヴィクトリア1日ツアーも含めて、充実した4日間だった。
 バンクーバー美術館ではピカソ展が開かれていた。従来の時代区分ではなく、ピカソが関わった女性たちをテーマしたもので興味深かった。改装中のフロアもあり、カナダの先住民 First Nations と強い繋がりを持つエミリー・カーが見られなかったのはちょっと残念。宿題としよう。
街ではジャズ・フェスティバルも開催中で、迫力あるボーカルやギターを中心部の広場で聴くことができた。
 旅行では、食べ物・飲み物もおろそかにできない。せっかく行くからには、高級じゃなくても、その土地のものを試さなくちゃね。ワイオミングにはバッファロー・バーガーやハックルベリー・アイスクリームがあったが、ここではカナダ名物プーティン、ジャパドック噂の大根おろしドッグ、やっぱり薄い Tim Hortons のコーヒー、シーフード、fish & chipsなどを味わった。けっこうジャンク。

 ホテル1階のアイリッシュパブは、ユーロサッカー観戦で連日大騒ぎだった。
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 ひとつひとつゆっくり眺めたい、UBC人類学博物館。ハイダ族、ヌートカ族、クワクワカ'ワク族、、太平洋沿岸部の先住民資料をまとめようと思っている。
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 観光客が蒸気時計を取り囲んでいる、ギャスタウン
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 いい声だなあ、お名前はまだ調べてません。
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 スタンレーパーク入口近くに貸し自転車屋が並んでいる。ここは3−5時間18ドル、ヘルメット付き。
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 走り始めて数分の所有名スポット、トーテムポール群。
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 灯台好き、喜ぶ。Brockton Point Lighthouse
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 約2時間で公園をぐるりと一周後、イングリッシュベイのイヌクシュクまで足を伸ばした。古代イヌイット文化の石積みがバンクーバー・オリンピックのシンボルとして使われ、今では友好や歓迎を意味するものになった。
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春のポルトガル旅行#32015/04/11

 5泊目のリスボンまでに行った場所を、備忘のためざっと書いておこう。
ナザレの海岸沿いには店が立ち並びにぎやかだが、季節のせいか砂浜にいる人はほんのわずかだ。わたしは一人で波打ち際まで歩き、小石と貝を拾った。

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 ペドロとイネスの悲恋で有名(らしい)アルコバサの修道院(世界遺産)の前で、蚤の市が開かれていた。美しいファルセットのアヴェマリアを聞き、古い蹄鉄をひとつ買った。確か幸運のお守りだよね。

 ファティマのバシリカは、聖母出現の奇跡で知られているという。イースター直前の週末、大勢の信者がお祈りに訪れていた。
 それからバターリャの勝利の修道院(世界遺産)、未完の礼拝堂は500年以上屋根がない。王の回廊を通って衛兵の交代が行われていた。
 城壁に囲まれたオビドスの村は、散策が楽しかった。古城ホテルのポサーダでランチを取り外に出ると、青空が広がっていた。
 シントラ(世界遺産)を経由し、さあいよいよロカ岬だ。
強い風に吹かれて、遥か遠くまで広がる大西洋を見晴らす。灯台も美しい。北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸最西端到達証明書をいただいた。

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CabodaRoca