アンドリュー・ワイエス作品なら ― 2026/05/14
東京都美術館で7月5日まで開催中の『アンドリュー・ワイエス展』に出かけた。
既に初夏のような日差しの上野公園だ。さつきフェルティバルというイベントの横を通り抜けて美術館へ急ぐ。

もし「好きなアメリカ絵画は?」と聞かれたら、間違いなくワイエスのSoaring「飛翔」を5本の指に入れるだろう。10年近くを費やしたという作品は、ヴァーモント州シェルバーン博物館の美術館にある。2014年の秋その前に立った瞬間、しばらく時が止まったように感じた。
今回、完成作は来ていないものの、入り口からすぐ自画像の先にその習作下絵が掛けられていた。あ、あった!
確か旅行記にも書いたはずだが、シェルバーンにある作品はこれ↓
(都美術館は最上階以外撮影禁止だった。)
代表作とされる「クリスティーナの世界」(MOMA所蔵)も来ていないが、メイン州のオルソン家を中心とした作品群から、ワイエスらしい心安らぐ静けさが漂っていた。
他サイトから拝借した「冷却小屋」(Cooling Shed)

「ゼラニウム」(Geraniums)は撮影OKだった。
オルソン家の窓から赤い花が見え、その奥の暗がりにクリスティーナが座っている。

12年前の旅行時には、ボストン美術館でアンドリュー・ワイエスの息子、ジェイミー・ワイエスの展覧会が開かれていた。笑い合う父子の写真が素敵だ。
アンドリューの父 N.C.ワイエスは著名なイラストレーターだった。地方のいくつかの博物館で、冒険物語やインディアンが登場する開拓時代の挿絵など、西部を描いた作品を見たことがある。N.C.は不慮の事故により60代で亡くなり、この写真のような晩年を迎えられなかった。
アンドリューは美術学校ではなく、父の教えを受け、画家になったという。つまり、代々続くアーティストの家系なのだ。写実的な筆致は受け継がれているが、もちろん時代の世相が自ずと表現に違いをもたらしている。ジェイミーはアンディ・ウォーホルの親しい友人だった。

父親よりもどこかエネルギッシュな息子の作品「クレバーグ」(Kleberg)
JFKの肖像画、友人ウォーホルの肖像画がよく知られるジェイミーには、犬を描いた絵も多い。

そして、ボストン美術館には、アンドリューの「砂嘴」(Sandspit さし:海沿いに砂が堆積してできた土地)にすわる若々しい妻ベッツィ(ジェイミーの母)もあった。これも代表作のひとつだろう。波の音が聞こえてきそうだ。

3月のシニア4人組ダナン旅行 ― 2026/04/03
3月中旬、同年代の友人3人とベトナム中部のダナンへ行った。
3月は乾季に入るというガイドブックその他の案内を信じて4泊5日の旅程を組んだのに、滞在中はずーっと曇天、雨が降ったりやんだりしていた(翌週からは晴天だったらしい。)
宿泊はミーケービーチ沿いのペニンシュラ、うふふ、高級ね、と思いきや、これが何とそういうネーミングの別ホテルだった(ということを、出発前日に知った。)
つまり本家本元は"The Peninsula"なのだが、予約したのは"The"なしのペニンシュラだったのだ。びっくり!
でも一応5つ星、アフタヌーンティやスパサービスつきの、リーズナブルで居心地のよいホテルでしたよ。ロビーやレストランは、中国・韓国からの宿泊客でかなりのにぎわい。ダナンが韓国人に人気なのは、数年前、K-POPのスターたちが訪れた時の(宣伝)画像が広く評判を呼んだから、とのこと。
雨の5日間、何度もグラブを利用して町の中心部に出かけ、世界遺産のホイアンに足を伸ばし、現地ツアーで古都フエにも出かけた。霧で何も見えないロープウェイに乗り、白く霞んだバーナーヒルズのゴールデンブリッジも歩いた。
ベトナム料理にハズレなし。世界一のバインミー、シーフード色々、数回のフォーと特徴あるベトナムコーヒーを味わい、4人並んでホット・ストーンのスパでうとうとし、、、気のおけない仲間同士で話題の尽きない、なかなかよい旅行でした。
年末のチェンマイ2025 ― 2026/01/20
10月の旅行帰りのアブダビ ― 2025/12/20
備忘録の追加
帰路はエティハド航空、アブダビでの乗り継ぎ時間が14時間もあった。となれば、観光しない手はない。
早朝の空港からシェイク・ザイード・モスク行きのバスに乗り込むと、隣りには旅好きの台湾女子が座っていた。この日、市内の主要スポットを難なく回れたのはチェンさんのおかげだ。その後の丸一日を一緒に過ごした。多謝。
世界最大級の敷地を持つシェイク・ザイード・グランド・モスク。
大理石とゴールド、セラミックの壮大なイスラム建築、オイル国家の桁違いの豊かさに驚嘆する。
世界一大きなペルシャ絨毯は、1,200人の女性が昼夜交代で9枚のパーツを数年かけて織り上げ、それを40人の職人が数ヶ月がかりで縫い合わせたものだという。約5,630平方メートルあり、ここで7,000人以上が礼拝できる。
豪華な美しいモザイクの内装を見上げる。
ホールの一角に歴史的文書・書籍の展示があった。各国からの贈り物を収めた部屋には、日本からの鎧兜が置かれていた。
ルーブル・アブダビ。古代エジプトから現代アートまで、美術品の数はそう多くないが、建物が素晴らしかった。
プリツカー賞を受賞したフランス人建築家ジャン・ヌーヴェルによる巨大ドーム。
砂漠の都市に、天井から光の雨が注ぐ。
白い長衣のアラブの人々が、高級ブランドの並ぶモールでゆったりと買い物をしている。iPhoneのバッテリー切れを親切に救ってくれた香水売り場の男性店員二人は、シリアの出身だった。
10月のセゴヴィア、アヴィラ、トレド ― 2025/12/04
マドリードからの小旅行は(各1日)
1、セゴヴィア&アヴィラの現地バスツアー
2、電車でトレドへ、旧市街の散策
どこも以前から興味のあった場所だ。写真を少し置いて、備忘録としよう。
ローマの水道橋はSegoviaの町の入り口にある。すごいですね、古代ローマ人。
セゴヴィアの大聖堂

セゴヴィア名物は、Botinで食べられなかった子豚の丸焼き(コチニージョ・アサード)ね。

アヴィラの城壁
スペイン国鉄 Renfe でトレドへ。
駅からどんどん歩く。テージョ川にかかるアルカンタラ橋を渡る。
そこからは過酷な坂道が待っていた。

サンタ・クルス美術館

トレイン・ヴィジョンで町を一回り。

これを観るため

ほらね!
どこかの広場に続く階段。
その先に迷路のような細い道(高低差あり)が続いていた。

サント・トメ教会のエルグレコ
エル・グレコ美術館のトレド風景
トレド名物のマジパンとコーヒーでひと休み

さようなら、トレド。この日は12km歩き、22階分の階段と坂道を登った。
もう限界です。

帰りのレンフェ。高速列車Avantなら、マドリードのアトーチャ駅までほんの40分足らずで着いてしまう。

10月のマドリード美術散歩 ― 2025/12/04
ダブリン4泊後、マドリードに移動した。ドイツに戻るCさん夫妻は、前日の夕方
「次はどこに行きましょうか」と言っていた。
去年のナポリもダブリンも楽しかったし、都合が合えばまた集合できそうだ。
マドリードではこんなAirbnbに6泊した。小さなキッチン、冷蔵庫、エアコン、Wifi、トイレ&シャワールーム付き。アトーチャ駅から徒歩数分、そして何とすぐ裏手がソフィア王妃芸術センターなのだ。

でも、到着日はソフィア王妃が休館だったため、まずは プラド美術館 へ行くことにした。
入り口に続く長蛇の列は何?と尋ねると、終了2時間前からは無料になるのだそうだ。それならと、30分ほど並んで入場することにした。

ラス・メニーナス の前も、ボスの 快楽の園 の周りも人で溢れかえっている。この美術館は撮影禁止だ。ゴヤ、エル・グレコ、ラファエロ、カラヴァッジョ、ルーベンス、レンブラント、ブリューゲル、、、オーディオガイドを聴きながら彷徨い、歩き疲れたけれど物足りない。もう一度来るとしよう。
グルメツアーではない。ブランドショッピング・ツアーではない。絵を観にきたのだ。美術館近くの生ハム博物館(という名前の店)で質素な晩ご飯を取り、カルフールに立ち寄って翌日の朝食他を買い込みAirbnbに戻った。

2日目の朝、ソフィア王妃芸術センター の開館を待つ。

マドリードに行ったのは、ちょっと大げさだが、人生3度目の、恐らく最後のゲルニカを観るためだった
1978年にNYCのMOMAで、2007年にここで観て、確か旅記録も書いている。18年前は撮影禁止だったが、いつからか撮影自由になったらしく、大勢がスマホを向けていた。あれからナショナル・グラフィック制作の『ジーニアス・ピカソ』(アントニオ・バンデラス主演)があり、バンクーバーで画期的な「ピカソと女性たち」展に行った。バルセロナのピカソ美術館でラス・メニーナス・パロディ集に笑い、MOMAでキュビスムの出発点とされる「アヴィニョンの娘たち」も観た。日本の関連展覧会にも何回か足を運んでいる。けれど、ゲルニカは格別だ。圧倒的な力の前に、しばらく立ち続けた。
数多くある「泣く女」のモデル(当時の恋人)ドラ・マールが記録したゲルニカ制作過程の写真が、後ろの壁に掛けられていた。これは「ハンカチを持つ泣く女」

その後「ヘミングウェイが食事した」Botin (世界最古のレストラン)に足を伸ばしたが、以前とは大違い。年内は予約で一杯だと門前払いになり、仕方なく数件先の店で遅いランチを取った。美味しいパエーリャだけど、食べ切れません。一人旅の困った点はこれね。半分お持ち帰り。マヨール広場周辺を回ってジェラートでひと休みし、AirBに戻った。

翌日、プラドの少し先にある ティッセン=ボルネミッサ美術館 に行った。ここがまた素晴らしい、のだけど、そう、訪問の翌週から現在も「ウォーホル&ポロック展」を開催中なのだ。残念、少し日程がずれていればねえ。

鉄鋼業で成功をおさめたハインリッヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵の美術コレクションは、プラドとソフィア王妃を補足するようなものになったようだ。中世の作品もあったが、特に印象派以降や20世紀美術が充実している。
ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、青騎士派、エゴン・シーレやドイツ絵画もあり。E.ホッパーやオキーフ、ワイエス、リヒテンシュタインなどのアメリカ美術に驚いた。
どこにいても静かなホッパー

珍しく鮮やかなオキーフ

海外の美術館では、よくこんなふうに校外学習中の先生と生徒たちを見かける。

must-go のサン・ミゲル市場に足を伸ばした。

にぎやか、美味しい。シーフード・フライとビールを楽しんでから、ピンチョス数種を持ち帰った。

もう一つの must-go は日曜のフリーマーケット、エル・ラストロ蚤の市だ。
他と比べられない大きな規模で、無数の店が軒を並べている。面白すぎて、丸一日いてもよかったのだけど、考古学博物館に割ける時間はその日の午後しかない。

地下鉄を乗り継ぎ、急いで 国立考古学博物館 へ。
歴史的遺物だけでなくデジタル展示物が素晴らしい。アルタミラの壁画がその年代や地図とともに映像で見られる。こうしたデジタル資料はアテネでもイスタンブールでも国立博物館に置かれていたのに、なぜ日本では作らないのだろう。上野の国立博物館(今年も外国人学生を案内した)は少々退屈なのでは?

古代イベリアの彫刻エルチェの貴婦人(BC4ー5世紀)
古代ローマに支配される前の謎に満ちた(未だ解明されていない)文化らしい。

最終日、エティハド便の出発は夜だったので、スーツケースをAirBに預け、再びプラド美術館に行った。初日はふわふわ興奮していたけれど、この日は落ち着いて迷子にならず、名画と向き合って3時間余りを過ごした。
よい旅行だった。
10月のダブリン文学散歩② ― 2025/12/01
4日目午前、聖パトリック大聖堂の前でCさん夫妻と待ち合わせした。
12世紀に建てられたゴシックのカセドラルはイギリスの宗教改革などを経て、16世紀にアイルランド国教会になったが、長い複雑な歴史を持つようだ(正直なところ、ほとんど理解していない)。
聖パトリックは、もちろん、アイルランドにキリスト教を広めた守護聖人、緑色のクローバー(シャムロック)がシンボルですよね。

『ガリバー旅行記』で知られるジョナサン・スウィフトは、18世紀前半この大聖堂の首席司祭だった。大聖堂内の彼のお墓には、妻ではない不思議な関係だったステラも一緒に埋葬されている。数年前に考古学者と科学者たちが、彼らの生前の姿を再現した。なかなかのナイスカップル。

ヴァイキングの砦跡に建てられたダブリン城は、17世紀後半の大火事で被害を受けた後に再建され現在の建物になった。何世紀もの間イギリスの支配下にあったアイルランドの独立は1922年。独立運動の中心人物マイケル・コリンズがここで調印を行い、城は権威の引き継ぎ/自由独立という歴史的な意味を持つことになった。
(旅行後にリーアム・ニーソン主演の映画『マイケル・コリンズ』を見た。闘争に挟み込まれるエイダン・クインとジュリア・ロバーツとの三角関係が余分かも?)

さかのぼれば、アイルランド独立戦争の始まりは1916年のイースター蜂起だった。
義勇軍本部の置かれた中央郵便局GPO内の博物館に行ってみた。

市民軍の指導者マルキエビッチ伯爵夫人について、係員が熱く説明している。蜂起は失敗に終わり、首謀者コノリー達は処刑されたが、独立への流れは加速した。
マルキエビッチ夫人はのちに政界に出て、ヨーロッパ初の女性大臣になったという。

ダブリンに来たら、アイリッシュ・パブに行かなくちゃ。そしてエールを飲んで、音楽を聴かなくちゃ。わたしたちの入った店では、若い頃のディランに似た青年がハーモニカとギターで懐かしいフォークソングを歌っていた。

一番有名なのは、この赤いテンプルバー、ここは昼間でも120%の満席だ。のぞいてみたら、大勢の立ち見客がギネス片手にアイリッシュ音楽のバンド演奏を聴いていた。
一番の繁華街グラフトン通りには、あちこちにストリート・ミュージシャンがいる。エド・シーランの"Perfect🎵"が始まると、女の子たちが数人集まってきて一緒に歌い出した。ジョイスの『ダブリナーズ』でも、二人の若い男がこの通りをぶらぶら歩いていたっけ。





























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