秋の中欧旅行①ベルリン2023/10/20

 ここ何年か、次はどこへ旅行したいの?
と聞かれるたびに、んー、ベルリンかな、と答えていた。実際のところコロナ後に行ったのは別の場所だったけれど、さあそろそろ出かけなくてはね。
9月15日からの中欧一人旅(16泊18日)備忘録です。

 成田からトルコ航空利用、つまりイスタンブール経由で到着は夜11時過ぎ。
遅延のため、ホテルの最寄駅までの直通電車は終了していた。直通電車があるから選んだホテルなのに、、。
 初めて利用するSバーンとUバーン、チケット購入も手間取る。が、幸い、同じ方向へ行く親切な女の子18歳が乗り換えまでを手伝ってくれた。長すぎて言いにくいゲズントブルンネン駅に着く。暗い駅前道路をできるだけさっさと歩き、静まり返ったホテルにチェックインした。
初ベルリンは4泊(観光は正味3日間)だ。  青字リンクしてます。

 <観光1日目>
 まずはここへ行くのだ。
長い間ベルリンという言葉から真っ先に思い浮かべていたのは、このブランデンブルク門 Brandenburg Gate だった。
過去の様々な時代の絵や映像や写真を、これまでに数多く見た。ナポレオン、ナチスの旗、前を遮るベルリンの壁、そして壁の崩壊、、
 感慨にふけりながら広場を歩き、クアドリガと女神を見上げ、門をゆっくり正面からくぐり抜けた。(と、この日は平穏だったが、翌日夕方ここを通った時には、環境団体による抗議の塗料吹きつけ事件が起きていた。)
brandenburg

 そこから虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Denkmal für die ermordeten Juden Europas まで、徒歩10分ほどの距離だ。
見渡す限りに2,700余りの石碑が並んでいる。
memorialj
 
 西の公園を斜めに通り抜け、絵画館 Gemäldegalerie と現代美術館 Neue Nationalgalerie を回った。
レンブラント、ホルバイン、フェルメール、カラヴァッジオ、そしてキルヒナー、ベックマン、、
初日の午前中そんなに急いでどうする?と自問しつつも、気が急いてしまう。
 ベルリンは美術都市でもあるのだ。オンラインで入手しておいたミュージアムパス Museum Pass Berlin 有効期限は3日間、30ヶ所もある博物館/美術館のうち、一体いくつ訪ねられるだろうか。走り回らずゆっくりと作品を観たい、でも気持ちは前のめりになっていく。

  気がつけば、午後2時を過ぎている。
 ヴィム・ヴェンダース 『ベルリン・天使の詩』 の頃とは全く違うポツダム広場を抜け、モール・オブ・ベルリンのフードコートで名物カリーヴルストを注文した。ふーん、これなのか。
curryw

 そして、テロのトポグラフィ Dokumentationszentrum Topographie des Terrors 
topo

 さらに、冷戦時代の境界線を象徴するチェックポイント・チャーリー Checkpoint Charlie へ。
大勢の観光客が交代で写真を撮っていた。
checkc

 既に夕方だ。
この日行った場所はどれもブランデンブル門から南北/東西2、3kmの範囲にあるのだが、美術館内の歩行を入れればかなりの距離を歩いたことになる。疲れてきた。
土曜日のうちにホテル近くの大きなスーパーで水などを買う必要もあり(翌日曜は休み)、ようやく分かりかけてきた地下鉄Uバーンで戻ることにした。

 <観光2日目>
 博物館島へ行く。これはヴェンダースの2作目にも出てきた旧国立美術館 Alte Nationalgalerie だ。さびれていた映画の場面とは違い、入館者の列までできていた。クリムトの展覧会が開かれていたからだ。
altenationalm

 博物館島には5つの大きな国立博物館がある。1日で全部回るなんてとんでもない。
あらかじめ3つに絞込み、ミュージアムパスに加えてtime passが必要なペルガモン博物館 Pergamonmuseum にはオンライン予約を済ませておいた。
 バビロンのイシュタール門、何という美しさだろう。ペルガモンの大祭壇は改修工事中だ。そしてこの10月23日から、博物館全体がしばらく休館になるという(ダスパノラマは公開)。
pergamonm

 ペルガモンから新博物館 Neues Museum に移動した。
有名なネフェルティティの胸像、この周囲だけは写真撮影が禁止されている。膨大な数の所蔵品に、頭がクラクラしてきた。
neuesmuseum

 旧国立美術館で主に常設作品を観て(実はなぜかクリムトが苦手なのだ。ウィーン世紀末ならエゴン・シーレとココシュカのほうが好き)、博物館島入り口のジェイムズ・サイモン・ギャラリー2階のカフェで遅いランチをとった。
 それから橋を渡り、川沿いで行われている週末のフリーマーケットをぶらぶら歩いてから、ドイツ歴史博物館へ行った。が、本館は工事中のため休館中だ。イオ・ミン・ペイ設計のガラス新館で(1989年のベルリンの壁崩壊を起点に過去へ遡る)ROADS NOT TAKEN という企画展と、全く知らなかったドイツのシンガーソング・ライター Wolf Biermann 展を見た。薄っぺらだった自分のベルリン観に、ほんのわずか厚みが加わったような気がする。

 この日と翌日は、バス地下鉄トラム共通の1日チケット(現在€9.50)を利用した。目抜通りウンター・デンリンデンの国立歌劇場前からバスに乗り、(無料だが)時間予約済みの国会議事堂へ向かった。
 Reichstagsgebäude 予想以上の素晴らしさに目を見張りながら、ガラスドーム内の通路をぐるぐる登っていく。上からベルリンの街を一望した。
reichstagsgebäude

 <観光3日目>
 must-seeはイーストサイド・ギャラリーだ。ベルリンの壁 Berliner Mauer は部分的に保全され、シュプレー川沿いの壁には100以上のグラフィティが描かれている。
最も有名な独裁者のキス(ブレジネフとホーネッカー)前には人だかりができており、観光ボランティアが気づかないうちにこんな新聞を作って手渡してくれた。
berlinwallN

 白水社の『若きWの新たな悩み』を読んだのは70年代、東西冷戦の頃だった。ライ麦畑的Wの悩みは、記憶が正しければ、USA製のジーンズをいかに入手するか、なのだった。
 映画『グッバイ・レーニン』はしばらく前に、旅行を決めてから『善き人のためのソナタ』とヴェンダース2作品を見た。戦争関連の映画や映像の世紀なども。
 肩の上につい天使カシェルを探してしまう戦勝記念塔 Tiergartenバスはぐるりと円柱を回って南へ進んだ
siegessäule

 カイザー・ヴィルヘルム記念教会 Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche の前でバスを降りる。1943年イギリス軍によるベルリン大空襲で、大きく破壊された教会だ。その横の新教会の壁は、2万枚以上の青いガラスで作られている。心落ち着く静かな空間だ。
kaiserwilhelm1

kaiserwilhelm2

 ベルリン・ユダヤ博物館 Jewish Museum Berlin はポーランド生まれの建築家ダニエル・リベスキンドの設計だ、ということを教師仲間だったN先生が出発前に教えてくれた。
 ジグザグ鋭角の複雑な建物の中に、印象深い展示物が収められている。急な階段を上り下りし角を曲がりながら、ユダヤ人の経た困難な時代を辿っていく。顔のように見える丸い鉄片をザクザクガシャガシャと踏んで歩くこの空間では、誰もが沈黙してしまう。
jewishmuseum

 夕刻だ。ベルリン大聖堂 Berlin Cathedral に入り、椅子に座って、しばらくの間見事なドーム天井のモザイク画に見入った。
それからアレクサンダー・プラッツまでトラムに乗り、Uバーンでゲズントブルンネン駅に戻った。慣れた頃には次の目的地へと移動なのだ。
berlinerdom


秋の中欧旅行②ドレスデン2023/10/22

 わたしをドレスデンに運んだのはカート・ヴォネガットである。

 1945年2月連合国軍によってドレスデン爆撃が行われた時、22歳のカート・ヴォネガットは地下の食肉貯蔵庫に囚われた捕虜の一人だった。二昼夜にわたった爆撃後、数万に及ぶドイツ市民の焼死体をくすぶり続ける廃墟から掘り起こすため、生き残った様々な国からの捕虜たちが集められた。20数年経って彼はようやく、その壊滅的な光景を(奇妙な乾いたユーモアを用いて)書くことができた。
 SF小説『スローターハウス5(第五屠殺場)』の中で、主人公ビリーは時間の渦に解き放たれ、「そういうものだ」(So it goes.)とくり返す。欧州屈指の美しかった街は完全に破壊され「月の表面みたいだった」。
想像を絶する大量殺戮というトラウマ体験を、ヴォネガットは『国のない男』その他の作品の中でも、常に断片的に切り取り語っていた。

 WWⅡ以前の壮麗なドレスデンと爆撃ニュースの映像を、出発前にYouTubeで見た。
 ドイツ国鉄特急でベルリン中央駅から2時間ほど、
ドレスデン中央駅前でGoogle mapの指示通りトラムに乗れば、黄色いトラムは途中から予想外の方向に曲がってしまい、あわてて降りて石畳の道をおよそ5ブロック、ガッタンゴットンとスーツケース引いて歩くはめになった。
 苦労が報われたか、旧市街中心部にあるホテルの(屋根裏)部屋は聖母教会の真向かいだ(ヒルトンの隣り)。
窓から見下ろす広場では、にぎやかにオクトーバーフェストが開かれていた。
dresden1

dresden3

 思い入れの強かったドレスデンだが、何のことはない。来れば気分は単なる観光客だ。ビジターセンター(i)でミュージアムカード2日間€25を購入(翌日から使用)、いつものように歩き回った。
 その後2日間に行った場所を幾つか列記しておこう。

君主の行列
奇跡的に戦禍を免れた19世紀の壁画は、マイセンの磁器タイルで作られている。
dresden2

 エルベ川を見下ろすブリュールのテラス
dresden11

到着日の夜、管弦楽を聴きに行ったオペラハウス ゼンパー・オーパー
dresden4

ツヴィンガー宮殿 Dresdner Zwinger
dresden5

宮殿にあるアルテ・マイスター絵画館
dresden7

シュロスプラッツ(広場)
左はカトリック宮廷教会、右がドレスデン城 Residenzschloss
城の中に緑の丸天井 Grünes Gewölbe などの博物館がある。
dresden6

少し離れたアルベルティーヌム Albertinum には
ピカソ、クレー、ゴーギャン、ゴッホなども。

シニアチケットを買い、聖母教会の塔へ石段280段余りをふうふう登った。
dresden8

 戦争による破壊から、数え切れない都市が(広島にせよ東京やベルリンにせよ)人々の大変な労力の末に復興し発展しているわけだが、このドレスデンとワルシャワなどは可能な限り元通りに修復再生されたという。
旧市街の街並みは80年前と変わらない姿で美しい。そのことに感嘆する。

 ドレスデン城の隅に、修復過程の写真が展示されていた。
dresden9

dresden10

秋の中欧旅行③プラハ2023/10/24

 2012年の初夏、友人と3人で「プラハ、チェスキー・クルムロフ&ウィーン」個人手配ツアーに出かけた。あの時1日だけど市内を歩いたから、だいたいの地理は覚えているよねと、ホテルに荷物を置き、気楽に旧市街広場まで歩いて細い横道に入ったら方向がわからなくなった。周辺の道路は狭く、複雑に入り組んでいるのだ。
こういう場合、わたしはしばしば、むやみに動いてGoogle mapを混乱させてしまう。急ぐわけではない。勘に任せよう。

 しばらく歩いたところでジェラートを買い、食べながら日の沈む方角へ進むと、エルベ川、チェコではヴルタヴァ川、またはモルダウ川に出た。川岸でストリート・ミュージシャンが歌っている。カレル橋を目指して北へ向かうと、プラハ城が近づいてきた。
美しい夕暮れだ。
prague1

 その後3泊の滞在中に行ったのは、
もちろん、観光客で大混雑のプラハ城 Prague Castle
ここもにぎやかだったユダヤ人地区 Prague Jewish Quarter 
それから 国立博物館 National Museum このホールで撮影された映画があるらしい。
ドームへ上って、ヴアーツラフ広場を見下ろした。
prague2

そして、フランツ・カフカ博物館  The Franz Kafka Museum
薄暗い館内に、カフカの生涯と作品の展示が並ぶ。読んでも読んでも先に進めない『城』の動画が流れている。
カフカのKはまだ彷徨っている Kafka’s K is still wandering.というフレーズが頭に浮かんだ。
prague3

そして、自由の象徴として、いまや世界数カ国にあるというレノンの壁 Lennon Wall
prague4

ペトシーン展望台タワーは、ケーブルカーで登った丘の上にあるタワーから眺めるプラハの町の美しいこと!
prague5

prague6

 ストラホフ修道院 入り口から図書室「哲学の間覗き込む絵画館は閉まっていた。
prague17

市民会館スメタナ・ホール Obecní Dům へ Music from Movies というコンサートを聴きに行った。ボヘミアン・ラプソディが素晴らしかった。
prague10

 映像の世紀バタフライエフェクトなどが、この町の歴史を教えてくれた。
民主化革命が滑らかに行われるために、人々がどれほどの迫害と弾圧に耐えなければならなかったか。初代大統領ハヴェルとルー・リードの交流にも胸を打たれた。
それは"Walk on the wild side"より後なのか、、とついさっき関連事項を調べていたら、クリントン時代、ホワイトハウスでハヴェルのために開かれた晩餐会の席にはカート・ヴォネガットも招待され、ルー・リードの演奏を聴いたらしい。みんな揺れ動く歴史の中にいるのだ。
 移動日の週末、旧市街広場ではウクライナ支援の集まりが開かれていた。