2019年秋の教室 ― 2019/10/26
課末テスト中のY校、研究クラス

ケータイが生活の必需品になって10年、留学生たちも肌身離さずスマホを持ち歩いている。授業中に言葉の意味を調べるなど便利ではあるが、こっそりゲームやSNSに興じる者もいなくはない。使用をどの程度自主性に任せるのか、授業中は一切使用禁止したほうがいいのではないか、、検討されつつも結論は出ないまま過ぎている。
が、アジア系のY校今学期からのルールがこれ。
「テスト中はケータイを預けよう」
教務の先生方が考案したボックスを使うことになった。
2年ほど前、AirDropでテストの正解を配布した再履修の学生がいたっけ。解答ファイルはたまたまAirDropをONにしていたわたしにも届き、思わず吹き出したものだ。その労力を勉強に使いたいよね。
ここ最近、中上級以上のクラスを教えることが多くなった。日本語能力試験JLPTのN1、N2文法や、大学進学を目指す学生の日本留学試験EJU試験対策を担当している。首都圏だけでなく地方の大学も留学生を積極的に受け入れるようになり選択の幅は広がったが、増え続ける学生数にどの大学の倍率も高い。大学入試には日本語だけでなく、一通り勉強しなくては解けないレベルの総合科目の試験もあって、日本語学校だけでなく塾に通う学生も少なくない。受験シーズン開始の秋だ。しっかり取り組んで、明るく卒業できますように。
9月のミャンマー ― 2019/10/14
先月半ば、ミャンマーのヤンゴンと、今年7月世界遺産に登録されたばかりの古都バガンへ行ってきた。日本語学校には数年前からミャンマー人の学生がおり、真面目に勉強を続けている。個人的な感想だが、ミャンマーにはベトナム、ネパール、スリランカ、タイの出身者と比べて、地味な努力家が多いように思う。
また、スーチーさんに関するニュースやロヒンギャ問題を見聞きするにつけ、統制の厳しい薄暗い国のような印象を持っていた。けれど、出かけてみれば、明るく素朴な仏教国なのだった。
ヤンゴンで最も大きいシュエダゴン・パゴダでは、誕生曜日の神様にお参りする。
ここは水曜の午後、牙のない象。年齢に1を加えた回数だけ水をかけるってなかなか大変、、ちょいと飛ばしちゃおう。

チャウタッジー・パゴダの寝釈迦仏は穏やかなお顔

帰国している卒業生たちに、典型的なミャンマー料理の店へ連れて行ってもらった。初めての野菜、初めての味、苦い、辛い、おいしい。

バガンへの移動はプロペラ機

アーナンダ寺院

ニャウンウー市場
女性たちは顔に白くタナカ(木の樹液)を塗っている。

内部のフレスコ画が美しいスマラニ寺院、

最も高い仏塔はタビュニ寺院

ビューイングタワーからの眺めは息をのむ美しさだった。
遠くまで立ち並ぶ仏塔の数は3,288。大きなものは王様や権力者から、小さなものは平民によって寄進されたという。11世紀からの王朝の歴史と仏塔にまつわる物語、馬車で巡る村と遺跡群、牛ガエルの大合唱、、忘れられない(いつもそう、でも細部は忘れちゃう)旅になった。
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映画「ハリエット」 ― 2019/08/27
日本上映は未定だが、アメリカでは11月に映画「ハリエット」が公開されるようだ。
IMDb インターネット・ムービーデータベース Harriet
見たい!何とか見られないものか。とない知恵を絞っているが、今のところ手段は見当たらない。しくしく、、、
ハリエット・タブマンは幾度も死を賭して、希望のない土地から大勢の人々を救い出した。アンダーグラウンド・レイルロードを含む彼女の物語はどの本を読んでも(絵本でさえ)、心を動かすものだった。
恐らく紙幣発行(予定)に合わせた映画製作のはずだから、公開への期待感は大きく削がれてしまったかもしれない。が、根源的な力強さに変わりはない。どんな映画になったのだろうか。
小柄なハリエットを演じているシンシア・エリヴォはイギリス出身、カラーパープルでトニー賞を受賞した女優だそうだ。オプラ・マガジンに記事をひとつ見つけた。
・Oprah Magazine Color Purple Vet Cynthia Erivo Says Harriet Tubman "Means the World to Me"
IMDb インターネット・ムービーデータベース Harriet
見たい!何とか見られないものか。とない知恵を絞っているが、今のところ手段は見当たらない。しくしく、、、
ハリエット・タブマンは幾度も死を賭して、希望のない土地から大勢の人々を救い出した。アンダーグラウンド・レイルロードを含む彼女の物語はどの本を読んでも(絵本でさえ)、心を動かすものだった。
恐らく紙幣発行(予定)に合わせた映画製作のはずだから、公開への期待感は大きく削がれてしまったかもしれない。が、根源的な力強さに変わりはない。どんな映画になったのだろうか。
小柄なハリエットを演じているシンシア・エリヴォはイギリス出身、カラーパープルでトニー賞を受賞した女優だそうだ。オプラ・マガジンに記事をひとつ見つけた。
・Oprah Magazine Color Purple Vet Cynthia Erivo Says Harriet Tubman "Means the World to Me"
機内誌のポー特集 ― 2019/08/16

まずエディターズ・ノートが、大鴉"Nevermore”の詩人ポーを文学世界のパイオニアとして紹介する。続いて20ページにわたり、その文学的遺産が様々な角度から解説されていた。
ジョイス・キャロル・オーツ曰く
「一体、ポーに影響を受けなかった文学者などいるのだろうか」
コナン・ドイル,レイモンド・チャンドラー、ジョン・ル・カレ、そして江戸川乱歩、マラルメ、ヴェルレーヌ、ドストエフスキー、さらには音楽界のドビュッシー、ラフマニノフ、ビートルズ(I Am the Walrus)、グリーンデイへの言及もあった。
ヴァージニア大学に入学したものの養父からの学費が足りずギャンブルに手を出したポーは、結局多大の借金を抱える羽目になり、養父から縁を切られてしまった。困窮し叔母を頼って移り住んだボルチモアで、年若いヴァージニアと結婚した。その後数年、借金取りから逃れるため次々と移り住んだ家で、片手に酒瓶、片手にペンを持ち、「アッシャー家の崩壊」「黄金虫」「モルグ街の殺人」などの名短編を書き上げたのだという。原稿料はわずかであり、その後もポーが生活苦から抜け出すことは生涯なかった。
機内誌Beyondの文化度は高い。去年の春利用した便で特集「レイモンド・カーヴァー」に感心し、今年3月号の「バウハウス」特集は持ち帰らせていただいた。
まだ読んでいないが、1月号「セザンヌ」、7月号「ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」も要保存だ。
JALやANAの機内誌もネット上、または指定のオンライン書店で閲覧/購入ができる。ただ正直なところ旅行情報が中心で、Korean Airほど読み応えのある記事はほとんど掲載されていないようだ。
不安定な日韓情勢に戸惑う今日この頃。でも、政治を離れれば、同じように文学や美術を心の糧として暮らす人々がいる。こうした穏やかな共感が揺らぐことはないのだと思う。
ボルチモアを歩く(第18次遠征隊#5) ― 2019/07/13
旅行も終盤だ。アムトラックの遅延で27日は何もできず(ベトナム料理店でフォーを食べたけど)、28日から1日半ボルチモア市内をバスと徒歩で巡った。
must-seeはボルチモア美術館コーン・コレクションのマティス。ゆっくり時間をかけたい、至福の時だ。ピンクヌードとブルーヌードがある。500点もの作品を買い上げてマティスを支援したコーン姉妹は、G.スタインの友達でもあった。コレクションには、ピカソやミロ、セザンヌ、ジャコメッティ他作品も含まれている。

考えるロダンのホールには、美しいAntiochモザイク画がぐるりと貼られていた。シリア国境に近いトルコの地方から発掘されたという。

バスに乗り、レキシントン・マーケットの有名シーフード店 Faidley へ。言うまでもなくクラブ・ケーキを注文した。確かに別格の味だ。raw barで新鮮な肉厚の生クラム(ハマグリ)も。
ランチタイム後の暇な時間帯。魚売り場の黒板に"raccoon"とあったので、ラクーンってシーフードじゃないけど食べるんですか?と聞いたら、そうだよ、見たいかい
?と、皮を剥いだカチカチのアライグマを冷凍庫から出して見せてくれた。アリゲーター、フロッグも書いてあったなあ。

マーケットから数ブロック歩けば、40歳で謎の死を遂げたポーのお墓がある。

ポーの家は、せっせと歩いて到着したら既に閉まっていた。閉館時間まで30分あったのに。ドアの貼り紙を読んでいたら、隣人(シャツを着ていない黒人男性)が顔を出し、「誰も来ないから、スタッフはさっき帰ったよ」と教えてくれた。ポーが1831年から3年ほど住んだこの小さな家には、家具と展示品が少々置かれているそうだ。
通行人はほとんどいない。バス停まで数ブロック歩く。治安の悪い地区らしいことを後で知った。

インナーハーバーを散歩しよう。全米屈指のナショナル水族館に行く時間はないけど。この帆船はUSSコンスティレーション。

29日(土)朝、オリオールズ球場とベイブの像 、
ベイブ・ルース博物館にも足を伸ばした。帝国ホテルのハッピが、ベイブお気に入りのナイトローブとして展示されていた。それはFLライト建築の旧帝国ホテルだ。USチームのジャパン・ツアー動画には戦前の日本が映し出されていた。

オスカー・ワイルドの自筆メモがある『ドリアン・グレイの肖像』や、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』初版本などが飾られていた。

この日の午後、再びアムトラックで(今度は遅延なし)レーガン国際空港に近いアレクサンドリアに移動した。翌30日(日)朝の飛行機に乗らなければならない。
アレクサンドリアのオールドタウン、ウォーターフロント公園からポトマック川を眺めた。美しい夕暮れだ。
第18次の備忘録はこれで終了としよう。残るはアラスカ、、!

キティホークへ(第18次遠征隊#4) ― 2019/07/13
もう一つのテーマはライト兄弟だ。49州目になるノースカロライナの地図を広げた時最初に目に入ったのが、ライト・フライヤー初飛行の土地キティホークだった。大西洋沿いに細長く砂州が連なるアウターバンクスにある。
まず、ウィリアムズバーグのアウトレットを経由して、ジェームズタウン歴史地区へ行った。1607年、イギリスから最初の入植者がやって来た場所だ。

キャプテン・ジョン・スミスの像は、ジェームズ川を見渡す位置に立っていた。そして砦のこちら側に、ポカホンタスの像が置かれている。

出発前アウターバンクスの海沿いにホテルを探したが、ピークシーズンに一人で気軽に泊まれる所はない。150kmほど離れたノーフォークのモーテルを2泊予約していた。晩ご飯は車でpo-boyサンドなど買いに行く。

26日(水)午前、ライト兄弟メモリアルに到着。実際の所在地はキティホークでなく、少し南の Kill Devil Hills というすごい名前の町だ。悪魔を殺すほど強いラム酒を隠した丘、という意味らしい。

Wilbur, steady and confident
Orville, impulsive and optimistic
スミソニアンの航空博物館では、ウィルバーとオーヴィル二人の性格がこう表現されていた。静と動が助け合い補い合って、不可能を可能に。 "making impossible possible" という言葉は力強い標語のようだ。
ライト・フライヤーのレプリカと小さな模型。本物の木製プロペラと翼に張られていた帆布もあった。
初飛行の成功は、1903年12月17日。スタート地点と計4回の着陸位置に石碑が置かれている。

その当時、ここは一面の砂丘だったそうだ。今は草に覆われ、小高い丘の上に堂々とした記念碑が立っている。
アウターバンクスを南へ移動し(ランチはフィッシュ・タコス)、ボディアイランド灯台へ行った。本日のチケット完売なり。登れません。うーむ、やっぱり。

州道の外側、海沿いの道をゆっくり走ってみよう。穏やかに大西洋が広がる。もちろん海岸を歩いて貝殻を拾い、砂だらけになる。

27日(木)朝ノーフォークを出発してリッチモンドに戻りレンタカーを返却(走行距離は459マイル、約735km)、昼過ぎのアムトラックでボルチモアに向かった。
と書くと順調そうだが、実は2時間の遅延だった。あー、やっぱり。
ベンチの隣にいた、こちらも遅延の70代ケイさんの身の上話を聞く。ヴァージニア州のタバコ農家に生まれ、これから娘の住むシャーロットに行くところ。夫とはずいぶん前に離婚し、下の息子が3年前病気で亡くなった。趣味は木彫り。そして美しい木彫り作品写真を見せてくれた。お話しできてよかったね、とハグして別れるアメリカン。こうした予想外の会話が一人旅の楽しさだろう。

リッチモンドの黒猫(第18次遠征隊#3) ― 2019/07/12
6月24日(月)から4日間レンタカーを利用した。空港営業所なら早朝深夜も開いているが、市内は9am-17pmが多い。以前ボストンで車が返却できず四苦八苦したこともある。今回はバスや電車の発着時間を考慮し、リッチモンド市内の営業所から借り出した。赤いKIA、燃費よく滑らかに走る。ドライバーは相変わらずモタモタ道を間違えるけど。
セント・ジョンズ教会 St.John's Church
1775年ヴァージニア植民地の指導者パトリック・ヘンリーが、名演説 "Liberty or Death!"(自由を与えよ、然らずんば死を)を行ったのはここ。独立戦争当時の衣装を着たスタッフが、たった一人の観光客をフルートで迎えてくれた。木の陰にエドガー・アラン・ポーの母エリザベスのお墓がある。

リッチモンド・ホワイトハウス White House of the Confederacy
南北戦争時に分離独立した連合国の大統領ジェファソン・デイヴィスの官邸。
1時間のガイドツアーに参加した。リー将軍が降伏した1865年、南部の首都リッチモンド入りしたリンカーンがここへやって来た。暗殺の2週間ほど前のことだ。

ヴァージニア州会議事堂 Virginia State Capitol
トマス・ジェファソン設計、1788年完成。
南のバンク・ストリート入口から地下の通路を通って行くと、

議事堂中央にジョージ・ワシントンの像がある。

25日(火)
エドガー・アラン・ポー博物館 The Poe Museum
リッチモンドで最も古い家に、ポーの生涯と作品にまつわる様々なものが展示されている。詩人、推理小説/SF小説の始祖、ピクチャレスク・ゴシック怪奇小説作家、不運な子供時代、謎の死、
G.スタインやダリ、ヘンリー・ミラーなどもここを訪ねたらしい。

スタッフが「中庭に黒いのがいるけど、気にしないでね」と言うので「えっ、大鴉 おおがらす Raven?」と驚いたが、nevermore! でなく、猫だった。
にしても、ポーの庭の黒猫、、、ちょっとゾクゾクする感じがいい。

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