リッチモンドの黒猫(第18次遠征隊#3) ― 2019/07/12
6月24日(月)から4日間レンタカーを利用した。空港営業所なら早朝深夜も開いているが、市内は9am-17pmが多い。以前ボストンで車が返却できず四苦八苦したこともある。今回はバスや電車の発着時間を考慮し、リッチモンド市内の営業所から借り出した。赤いKIA、燃費よく滑らかに走る。ドライバーは相変わらずモタモタ道を間違えるけど。
セント・ジョンズ教会 St.John's Church
1775年ヴァージニア植民地の指導者パトリック・ヘンリーが、名演説 "Liberty or Death!"(自由を与えよ、然らずんば死を)を行ったのはここ。独立戦争当時の衣装を着たスタッフが、たった一人の観光客をフルートで迎えてくれた。木の陰にエドガー・アラン・ポーの母エリザベスのお墓がある。

リッチモンド・ホワイトハウス White House of the Confederacy
南北戦争時に分離独立した連合国の大統領ジェファソン・デイヴィスの官邸。
1時間のガイドツアーに参加した。リー将軍が降伏した1865年、南部の首都リッチモンド入りしたリンカーンがここへやって来た。暗殺の2週間ほど前のことだ。

ヴァージニア州会議事堂 Virginia State Capitol
トマス・ジェファソン設計、1788年完成。
南のバンク・ストリート入口から地下の通路を通って行くと、

議事堂中央にジョージ・ワシントンの像がある。

25日(火)
エドガー・アラン・ポー博物館 The Poe Museum
リッチモンドで最も古い家に、ポーの生涯と作品にまつわる様々なものが展示されている。詩人、推理小説/SF小説の始祖、ピクチャレスク・ゴシック怪奇小説作家、不運な子供時代、謎の死、
G.スタインやダリ、ヘンリー・ミラーなどもここを訪ねたらしい。

スタッフが「中庭に黒いのがいるけど、気にしないでね」と言うので「えっ、大鴉 おおがらす Raven?」と驚いたが、nevermore! でなく、猫だった。
にしても、ポーの庭の黒猫、、、ちょっとゾクゾクする感じがいい。

DCからリッチモンドへ(第18次遠征隊#2) ― 2019/07/11
今回のDC滞在は2日間。猛烈に活動的だった初日の後、残るタスクはナショナル・ギャラリーだけだ。ゆっくりとチェックアウトを済ませて荷物を預け、数ブロック南へ下った。日曜11時の開館をドアの前で待ち入場。
(左利きのハンサムおじさん、初期フィレンツェ時代1478年頃の作品。ウォルター・アイザックソン作の評伝『レオナルド・ダ・ヴィンチ』に、輪郭をぼかすように描くスフマート技法や歪像の解説があった。わずかな笑みが30年後のモナリザへと繋がっていく。肖像画の裏には月桂樹と椰子のリースが描かれている。)

そして3人の大統領たちも、さっきまでしかめっ面で議論を戦わせていたに違いない。

広い館内には、見応えのあるヨーロッパ絵画が続いている。3時間あれば十分と思っていたのに、現代絵画の東館は今回も急ぎ足になってしまった。ナショジオ・ドラマ『ピカソ』でちょっとした山場だったサルタンバンクの家族がある。この奥にはセザンヌ、ブラック、マティス、そして最近少し解りかけてきたドイツ表現主義作品が架かっていた。
ところで、ギャラリーの案内地図に印刷されているゴッホの自画像は一体どこだろう。外に出てから見ていないことに気づき、見逃してしまったのかと焦ったが、調べてみるとロンドンのテート美術館に貸し出し中なのだった。なあんだ。
午後2時過ぎホテルへ荷物を取りに行き、メトロでユニオン駅へ向かった。今回は一人旅だし、東海岸は交通機関が発達していることもあって、バスで楽に安く移動することにしたのだ。ヴァージニア州のリッチモンドまで、Megabusで2時間半の距離だ。
ユニオン鉄道駅の駐車場奥に、グレイハウンドなどのバス乗り場が並んでいる。

リッチモンドのメインストリート駅は人影まばらだった。少し離れたホテルまで、初めてのUberで移動した。6/23

国立アフリカ系米国人歴史文化博物館 (第18次遠征隊#1) ― 2019/07/09
ワシントンDCのスミソニアン博物館群は無料で自由に入場できるが、3年前に開館したNational Museum of African American History and Cultureだけは時間指定券が必要だ。特に夏期ピークシーズンの週末はtimed entry passなしの入場不可。当日の早朝6時半にネット予約が開始される。ということを、出発2週間前に知った。
DC到着翌日(6/22土)5時半のアラームで目を覚まし、6時半ぴったりにsame-day onlineを開いた。が、何も始まらない。サイトを出たり入ったり、、と10分後、やにわに表示が変わり、おおっと30分枠のひとつをクリックした。でも、先に進もうとしてもはねられてしまう。アクセスが集中しているのだ。別の枠を選んではねられる、また選んではねられる、を繰り返す。そうこうしているうちに小一時間たち、非情にも全時間帯はsold outになってしまった。撃沈意気消沈、、はるばる太平洋を渡ってきたというのに。もう、二度寝しちゃうぞ。でも眠れるわけない。
第18次遠征隊は、出だしから主目的のひとつがこんな調子だった。うなだれて出かけたフォード劇場。

1865年4月14日にここで起きた歴史的暗殺事件の解説を、皆熱心に聞いている。貴賓席は当時のままだ。背後からリンカーン大統領を撃った(俳優)ジョン・ブースは手すりを乗り越えて舞台に飛び降り、驚愕する観客の前を横切って、馬で逃走したのであります。地下には様々な資料、実際の拳銃も展示されていた。興味深い。でも、気持ちは晴れない、、。
解説が終わりかけた頃、ふと思いついてスミソニアン・サイトに繋いでみた。と、いくつかの時間枠が緑に変わっている。えいっ、正午の枠を確保!

首都は青空、たちまち気分は晴れわたり、気温30度の中モール沿いの道をスタスタ移動した。チケットなしで並ぶ列を横目に、セキュリティを通る。受け入れ人数の調節で、指定券を持たなくても運がよければ入館できるのかもしれない。
夏休みとあって、この後足を運んだどの博物館も、親子連れや校外学習の生徒たちでたいそう混雑していた。とは言え、アフリカ系アメリカ博物館の混み具合はケタ違いだ。
L4カルチャー・ギャラリーのMusical Crossroads、サッチモやマイルス・デイビスのトランペット、エラ・フィッツジェラルドのドレス、サム・クック、ジミヘン、レイ・チャールズ、クインシー、プリンス、カラー・パープルのウーピー衣装、およそ人間のものとは思えないダイアナ・ロスとホイットニーの服、、、
L3コミュニティ・ギャラリーのアリ、カール・ルイス、ジョイナー、野球やバスケットボール他の数えきれないほど多くの名選手たち

リチャード・ライト、ジェイムズ・ボールドウィン、トニ・モリスン、ニッキ・ジョバンニ、、

こうした人々がアメリカの音楽、映画、スポーツ、文学を驚くほど豊かな厚みのあるものにしてきたのだ。アフリカ系アメリカ人を抜きにこの国の文化は語れない。その圧倒的な才能と力に胸が熱くなった。
C1ー3の歴史ギャラリーに入るには、まるで上野の美術館のような、長い列に並ばなければならない。

C3 Slavery and Freedom 1400-1877 には時代に沿って奴隷船や奴隷市場、独立戦争、南北戦争当時の資料が並んでいた。ナット・ターナーの聖書、ジョン・ブラウンやフレデリック・ダグラスの手紙、そしてハリエット・タブマンのショールに見入った。

そこからC2 the Era of Segregation 1876-1968へ移動すれば、隔離政策時代のシットイン・カウンターや電車が置かれ、もちろん公民権運動のMLキングやローザ・パークス、マルカムXが続く。そしてC1の A Changing America 1968 and beyond。"Black is beautiful."を経て、オバマ大統領やオプラ・ウィンフリーの登場は着実な象徴的変化であっただろう。
ラングストン・ヒューズの "I, too, sing America."が、出口スロープの壁面に大きく書かれていた。
午後後半は、息子へのお土産を買いに Wizards shop(八村グッズはまだ、ドラフト数日後で当たり前)、航空博物館のライト兄弟コーナー、それからアメリカ美術館と肖像画美術館(夜7時まで)
タブマン紙幣の行方 ― 2019/06/20
アメリカで2020年に発行予定だったハリエット・タブマンの20ドル紙幣が延期されるという発表があったのは、5月後半のことだ。オバマ政権時の2016年、奴隷解放組織アンダーグラウンド・レイルロードの活動家だったタブマンの肖像が採用されると決まった時には、初のアフリカ系アメリカ人、そして女性であることの歴史的意義が晴れやかに語られたものだ。それから3年、前大統領の決定を次々と翻すトランプ氏が、タブマンは2ドル紙幣でいいじゃないか、と発言したらしいが、先月のムニューシン財務長官説明は、(偽造防止の技術的問題が理由にこじつけられ)2026年まで新デザイン札の発行はないだろうという歯切れの悪いものだった。
ハリエット・タブマン紙幣は実現するのだろうか。現在のアンドリュー・ジャクソンを裏面に追いやって?
地下鉄道の「女性モーゼ」コンダクター、ハリエット・タブマンは、一説では300人以上の奴隷を北部へ導いたとされる。上の画像はメリーランド州から自由州のフィラデルフィアまで、タブマンの辿った道を訪ねる州観光局のガイドブックだ。アメリカの小中学校で必ず取り上げられる人物の一人であり、出版物も数多い。
興味を持ち調べ始めたのは、10年ほど前だろうか。雨の中、ボストンのタブマン・スクエアへ歩いたことがある。シンシナティの国立地下鉄道自由センターにも、タブマンの写真は大きく掲げられていた。
紙幣発行を期待/記念して、今年日本でも関連の本が3冊出版されている。
・ハリエット・タブマン—「モーゼ」と呼ばれた黒人女性 上杉忍 新曜社
・自由への道: 奴隷解放に命をかけた黒人女性 ハリエット・タブマンの物語 ヒューマン・ノンフィクション 池田まき子 学研プラス
・自由への道―逃亡奴隷ハリエット・タブマンの生涯― キャサリン・クリントン 晃洋書房
旧Yahooブログの引っ越し ― 2019/06/07
Yahoo!ブログ終了に伴う移行ツールの提供開始、という案内が来た。しばらく放っておいた旧ブログは、いつだったか覗いてみた時には読み込み不可になっており、もう消滅したものとあきらめていたのだ。が、説明に沿ってデータ移動を試したところ、あら不思議、2005年から1年半ほどの記録が数日で復活した。
引っ越した旧「恐ろしべき」日本語教室(書庫)を読み返すと、あれもこれも愉快でたまらなかった新米教師の高揚した気分が蘇る。教えることは相互作用であり、初めて出会うどの学生とのやりとりも各々異なっているはずだ。その新鮮な意欲がすり減っていないだろうか。はい、摩耗してます、正直に言えば。
旧ブログには、アメリカ全州ドライブを開始した頃のことも書かれていた。2006年1月のメモだ。
「長田先生方式で、時々飛んではドライブしたら、60才くらいには終わるかな」と書いた13年前のわたし、いや、もう少し長くかかっているよ。おそらく、来年にはね。
春の旅行 アムステルダム ― 2019/05/01
26日(火)
ブリュッセル南駅からアムステルダム中央駅まで、タリスで約2時間。
トラムで移動しミュージアム地区のホテルにチェックイン。いそいそとゴッホ美術館へ行ったが当日券売り切れで入れず。ごめん、アムステルダムを甘く見てました。ここも観光都市なのだ!国立美術館ロビーのwifiで翌日からの予約を取る。

27日(火)
国立美術館に朝早く並び、没後350年のレンブラント展、常設のフェルメールも。
トラムで「アンネの家」、オンライン予約は翌月まで空きなしだったが、入口の案内係が「一人なら」と入れてくれた。心からありがとうございます。
夕方、運河クルーズ。


28日(水)
シンゲルの花市場、ムントの塔、ベギンホフ礼拝堂、ウォータルー広場蚤の市、、
午後はキューケンホフ公園へ。


29日(木)
ホテルチェックアウト後、荷物を預け市内散策。午後はかろうじて予約の取れたゴッホ美術館へ(写真撮影不可)、D.ホックニー展も開催中だった。
夜の便で帰国。
中身のぎっしり詰まった2週間だった。連休に入っても旅行の余韻が続き、関連の本をゴロゴロしながら読んでいる。
春の旅行 ブリュッセルとブルージュ ― 2019/05/01
3月の旅後半はブリュッセルとアムステルダム各3泊だった
もたもたしている間に、時代が変わってしまった。
簡単にメモ
23日(土)
タリスでパリ北駅からブリュッセル南駅へ、約1時間半
グランプラスに近いホテルに荷物を預け、マグリット時術館と王立美術館

24日(日)
グランパレスから小便小僧の道を15分ほど歩き、ジュドバル広場の蚤の市
南駅付近のサンデーマーケット、ビール博物館、王の家の市立博物館も


25日(月)
快速電車で約1時間のブルージュへ
ミンネワーテル公園、ベギン会修道院、聖母教会、マルクト広場、もちろん運河クルーズ


26日(火)
アムステルダムへ
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