アパッチの族長コチーズとジェロニモ ― 2020/10/09
暇にまかせて、次から次へとAmazon Primeビデオや録り溜めした映画を観ている。Primeには名作映画が豊富に揃っているのがありがたい。
そうだ、ヒッチコック!と思いついて『バルカン特急』『ロープ』を見たところで、まあ、やっぱりジェームズ・スチュワートって素敵ね!と『グレン・ミラー物語』『砂塵』『折れた矢』へ流れ、おお、ネイティヴ・アメリカン!で『ジェロニモ』を見始めたら、あれこれ気になることが出てきた。本や資料を引っ張り出し、ネット検索している。
『折れた矢』『ジェロニモ』両作品は、19世紀後半アパッチ族の物語だ。白人入植者・軍隊とネイティブ`アメリカンとの間で長く続いたインディアン戦争のうち、最も激しかった2つの争いのひとつ、アパッチ戦争(1851-86年)が舞台になっている。
(もうひとつの大きな争いは大平原のスー族との紛争。クレイジーホースやカスター将軍の第七騎兵隊がよく知られている。)
何気なく見始めた『折れた矢』だったが、ジミー・スチュワート扮するトムの言葉にはっ、と背筋を伸ばした。アパッチの少年を救ったことで町の人々から責められたトムが、「命を救うのに人種は関係ない」と言い切るのだ。
そして族長コチーズの元へ、郵便馬の安全確保を依頼するため単身乗り込んでゆく。シンソアレイとの恋はいかにもハリウッド的、とは言え1950年公開のこの映画、wiki解説に
フロンティア精神を背景に、タフな主人公(ヒーロー)が無法者やインディアンを倒すという、それまでの西部劇の図式を覆し、インディアン側の視点から平和を求める彼らの姿を描いた画期的な作品
とあった。
金鉱を求めて東部からやってきたトム(トーマス・ジェフォーズ)も、彼と友情を結んだチリカウア・アパッチの族長コチーズも実在の人物だ。名将ハワードと平和条約が結ばれ、戦いは鎮静化した。
が、この条約を受け入れずその場を立ち去った部族の長こそ、最後の戦士ジェロニモである。1993年の映画は若い白人将校マット・デイモンの回想録の形式を取り、ジェロニモ投降までの凄まじい戦いを描いていた。
ナンタンルパンとして尊敬されたクルック将軍(ジーン・ハックマン)、老斥候シーバー(ロバート・デュバル)と名優が揃い、赤茶けたアリゾナの風景とライ・クーダーの音楽が美しい。辛口評論家だったロジャー・エバートも高評価をつけていた。
ジェロニモの独白:
この広い土地になぜ我々の安住の地がない?
我々の信じる神がなぜ、この土地を白人に奪い取らせたのか分からない。
やつらがあれほど多くの銃と馬を持っているのはなぜなんだ?
同じような問いを何かの本で読んだことがある。そうそう、ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』の冒頭に出てくるニューギニア人ヤリの質問だ。と、あちこちに繋がり散らかってゆく。
映画のほうは、1954年制作の『アパッチ』、フロリダへ護送されるジェロニモたちのグループから逃亡したマサイの話に進んでいる。関連作品はまだまだ数多いだろう。
ところで、話はぐるりと戻るけれど、『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生』でアメリカの良心を体現したとも言えるジミー・スチュワートは、生粋の共和党員だったそうだ。リンカーンの思想が受け継がれていた時代の。
放送大学科目:南北アメリカの歴史 ― 2020/10/26
西部劇からネイティブ・アメリカン文化に流れ、そう言えば、録画したままの放送大学教材があったっけ、と思い出した。
「南北アメリカの歴史」は2014年開講の科目で全15回。前書きに、アメリカ大陸全体の歴史を大きな文脈で捉えようとしたものだ、とある。太古の文明から先住民、ヨーロッパからの征服者そして入植、奴隷制、、、北アメリカだけではなくラテン・アメリカ諸国の歴史も丁寧に論じられる。
さて、掘り出したテキストを片手に録画を見始めたはいいが、精鋭教授たちの講義に全くついていけない。いかんせん基礎がないのだ。世界史を学んだ(はずの)高校時代は遥かに遠い東西冷戦の頃だし、知識などカケラも残っていない。うろたえつつ、薄暗闇を歩く浅学の徒である。その混乱をよそに、最近の研究と学説に裏打ちされた授業が、画像を交えなから淀みなく進んでゆく。ヨーロッパ史がいきなり、当然のように挟み込まれる。
「せんせ〜、ちょっと待ってくださ〜い」 映像を止めてはwiki、世界の歴史大図鑑、子供たちが使った世界史図説をめくった。笑わぬ東大教授陣の中で、高橋先生のお茶目な口調にほんの少しくつろぐ。
落ち着いて考えれば、理解を助けてくれる手がかりがわずかにあった。テオティワカンのピラミッド、リスボンのエンリケ航海王子、アルハンブラ宮殿、ネルソン記念塔、プリマス・ロック、独立記念館、、、晴れていたり曇っていたり、その日の風や光(や食べ物)を含んだ風景が記憶に残っている。せかせかとむやみに歩き回った場所が、この講義を通して有機的に結びついてゆくようだ。
これは、どこにも行けない今だからこそできる勉強なのだろう。立ち止まることがなければ、相変わらず物見遊山に、気ぜわしい旅行を続けていたに違いない。2020年の抗えない流れに、むしろ自分なりの意味が見い出せたような気がする。
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