旅の始まりは(第10次遠征隊#1) ― 2011/10/10
9月23日、夕方のニューヨーク直行便に乗った。今回の同行者は大学時代のサークル仲間Hさんだ。ベトナムやエジプトなどにも一緒に出かけている。優秀な親孝行お嬢さんから航空券をプレゼントされたHさんがビジネスクラスにゆったりと落ち着いた後、エコノミーな私はぞろぞろ並んで後方の座席に座った。
離陸10分後、何気なく見始めた映画に口をあんぐり...うひゃあ、これは何?
パリに滞在しているオーウェン・ウィルソンが夜の通りで1920年代にタイムスリップし、こんな人々に出会うのだ(いきなりのネタばれ、ごめんなさい)
ゼルダとスコット・フィッツジェラルド、本当にそっくり。
そして、ヘミングウェイとガートルード・スタイン。5分刈りのガートルードはキャシー・ベイツだ。ほら、スタインのサロンの壁には、例のピカソのスタイン肖像画が架けてある。
何と言う偶然だろう。今回の遠征隊の項目には、スタインおばさん像を見に行くことも含まれているのだから。
映画にはピカソやダリ、マチス、マン・レイ、コール・ポーター、T.S.エリオットなども次々に登場する。あまりのうれしさに、小さなモニター画面をせっせとカメラで撮りまくった(ただし、上の画像は別サイトのもの)
後で知ったが、この作品はウディ・アレン監督の"Midnight in Paris"(日本公開未定)で、今年のカンヌ国際映画祭のオープニング映画だった。サルコジ大統領夫人カーラ・ブルーニが、ガイド役で登場することも評判だったようだ。
オーウェン・ウィルソンの恋人役はレイチェル・マクアダムス、というのも偶然のひとつだろうか。09/17のブログに書いた映画"Morning Glory"で、公園のスタイン像横にいたのはレイチェルなのだ。
予告編はここに。
少し文学的ニューヨーク(第10次遠征隊#2) ― 2011/10/13
行きたいところばかりなのに、時間は限られている。JFK空港からマンハッタンへ来る時、NY滞在は4日間だけだが、メトロカードの1週間パス($29)を購入しておいた。到着した金曜夜の雨は上がって、翌朝はいい天気になった。さて、まずはハーレムだ。
メトロで北に上がった。NY公立図書館の分室であるションバーグ・センターで、マルコムXの資料展示会Malcolm X: A Search for Truthが行われている。求道者のようなマルコムX、突き進めば敵は増えていったことだろう。そういう時代だった。きりりとした表情の若いモハメド・アリが、マルコムの横にいた。
そのままマルコムXブルヴァード(大通り)を下って、127丁目の角へ行く。ハーレム・ルネッサンスの中心人物の一人だったラングストン・ヒューズは、1920年頃からこの辺りに住んでいたという。彼はジャズのフレーズそのままの詩を書いた。デンゼルと同じくらいハンサムと言ってもいいこの詩人のポートレートを、私はずっと机の上に置いている。
街角の写真を撮って、散歩を続けた
。
と、小さな教会から音楽が聞こえてくる。覗いてみると、どうぞお入り下さいと手招きされた。教会の中いるのは1家族だけ。短い賛美歌が終わると、女性牧師が説教を始めた。私たちはいつでも心を開き、世界中の人々を歓迎するというような内容のものだった「中国の人も、
韓国の人も」、、日本の二人は感謝の意味で軽く頭を下げ、退席した。
少し歩いてにぎやかな125丁目の角を西へ行くと、有名なアポロ劇場がある。行き交う人を眺めた後、バスに乗って次のポイント、コロンビア大学へ向かった。
続・少し文学的ニューヨーク(第10次遠征隊#3) ― 2011/10/13
今回宿泊したのは、ユニオンスクエアから3ブロックほど入った小さなHotel 17で、ヨーロッパからの旅行者が多かった。帰国後ホテルに関するニューヨークタイムズの記事を読んで、またまたびっくり。ウディ・アレン監督の映画ロケに使われたことがあるのだとか。色々つながるものですねえ。
滞在中は毎朝、ホテルの近くにあるグラマシー・カフェへ行った。
トルティーヤ・オムレツもワッフルも、1人前を二人で分けるとちょうどいい。通り過ぎるニューヨーカーをガラス越しに見ながら、気持ちのいい朝食だった。
その少し先の角にあるのが、Washington Irving(1783-1859)の像だ。the first man of letters アメリカ最初の作家は、スリーピーホローなどを含む『スケッチブック』や『アルハンブラ物語』などを書いた。友人に言わせると「かわいい顔のおじさん」だ。
そしてもちろん、ブライアント公園へも足を運んだ。ガートルード・スタインの像はカフェ横の木立を背に、こんな風に座っていた。
この公園は、9月に書いた通り、公立図書館の裏にある。
図書館では五番街に面するランドマーク的メインビルディングの完成100年を祝って、"Celebrating 100 Years"が行われていた。ディケンズのペーパーナイフ、ヴァージニア・ウルフの散歩用杖、ヘミングウェイのノーベル文学賞受諾演説原稿などにひたすら見入った。
話が前後するが、コロンビア大学の散歩もよかった。ウィークデイであれば、visitor centerでガイド付きツアーに参加するか、セルフガイドツアー用の地図をもらえただろう。週末のためそれは無理だったが、そこにいるというだけで心弾む時間だった。L.ヒューズ、サリンジャー、ギンズバーグやケルアック、アシモフやマッカラーズなどなど、数えきれないほど多くの文学者が学んだのだ。スペイン内乱に倒れた若いロルカも、短い留学生活を送ったという。
*太字いろいろリンクしています(主にwiki)
少し芸術的ニューヨーク(第10次遠征隊#4) ― 2011/10/14
「ブロードウェイ・ミュージカルは何を見ようか」と尋ねると、友人から「劇団四季でやっていないもの」という答があり、Billy Elliotのチケットを予約しておいた。
円高のおかげで、前から3列目の中央席である。
ステージ全てに圧倒された。その日NYデビューのマイルズ君
(PLAYBILL.COM記事)の何と素晴らしかったこと。
さらに、
贅沢かつ幸運な休日だったと思う。
続・少し芸術的ニューヨーク(第10次遠征隊#5) ― 2011/10/14
その結果、あの絵がMETだったのかMOMAか、頭はもうぐるぐる...
1枚だけ絵を貼付けておこう。いいですねえ、マチスの金魚鉢。彼はどうして金魚があんなに好きだったのかしら。そして、これはどこで見たんだっけ?
観光的ニューヨーク(第10次遠征隊#6) ― 2011/10/15
その他、今回のニューヨークでしたこと
・ウォール街、トリニティ教会、バッテリー・パーク付近を散策
ものものしい警備
数日後に活発化した金融界への抗議デモの前触れがあったようだ
・ブルックリン橋を渡った
メトロでブルックリン側に行き、マンハッタン方向へ歩いた
その後、ここでも10月初旬に大規模なデモがあり、数百人が逮捕された
・ロックフェラーセンターの70階展望台Top of the Rockに上った
日没時間に合わせてチケットを予約しておいた
これぞNYというような夕暮れと夜景
北側にセントラルパーク、南にエンパイア・ステート・ビルが見える
ニューイングランド・ドライブ(第10次遠征隊#7) ― 2011/10/16
5日目の朝、グランドセントラル駅からメトロノース線で、コネチカット州まで移動した。10数両の電車は40分ほどで郊外の町スタムフォードに到着、駅前のHertzでレンタカーを借りる予定だ。
しかし、TripAdvisorのクチコミにあった通り、車の台数が少ない。予約の数くらいは揃えておくべきだと思うが、海外で日本的几帳面さを期待するのは無理というものだろう。係のフィリピノおじさんと話している間に、カーナビ付きの白いToyota RAV4がどーんとやって来て、コンパクトカー料金で借りることになった。
「youはマニラに行ったことがあるから、サービスする」
その昔マラカニアン宮殿でイメルダの靴コレクションを見たことが、こんな時に役に立つとはね。
海沿いに東へニュー・ヘイブンまで行き、北へ上がってハートフォードに着いた。最初の目的地は、マーク・トゥエイン (1835-1910)の家だ。
この家での17年間(1874–91)は、おそらくトウェインの最も幸福な時期だったろう。一目で恋に落ちた美しいオリヴィアとの結婚は、1870年だった。この屋敷で子供たちが生まれ、代表作のトムソーヤー、ハックルベリー・フィンなどが書かれたそうだ。
この日の午後はOld Sturbridge Villageの入り口を経由、一部ロードアイランド州の道路を通ってマサチューセッツ州に入り、夕方からWrentham Village Premium Outletで買い物をした。
18世紀前半の生活を再現した村Old Sturbridge Villageには、大昔、16歳の夏に訪れたことがある。時間が足りず、今回は中に入らなかった(買い物優先?いいえ、歴史村は翌日の予定に)
レンサムのプレミアム・アウトレットは比較的規模が大きく、170の店が入っていた。「遠征隊」という名称にふさわしくないけど、ドライブのルートには必ずアウトレット・モールを組み込むことにしている。Coach, Gap, Fossil, Bass, Eddie Bauerなど、全米中どこにでもある店を回った。
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