アラモ砦(第9次遠征隊#1) ― 2011/01/02
新年のご挨拶
こちらを覗いてくださる皆さま、2011年おめでとうございます。
健康に気をつけて、楽しく一年を過ごしたいですね。
USAドライブ計画は第9次で計32州になりました。だんだん行き先がディープになり、仲間を探すのが難しくなっています。聞いたこともない場所に行ってみたい方、ぜひご連絡くださいね。
さて、忘れないうちに遠征隊記録を書きましょ。
こちらを覗いてくださる皆さま、2011年おめでとうございます。
健康に気をつけて、楽しく一年を過ごしたいですね。
USAドライブ計画は第9次で計32州になりました。だんだん行き先がディープになり、仲間を探すのが難しくなっています。聞いたこともない場所に行ってみたい方、ぜひご連絡くださいね。
さて、忘れないうちに遠征隊記録を書きましょ。
テキサスは広い。と書いて、実際の面積を調べたら69.6万キロ平方kmだそうだ。
日本は確か約38万平方kmだから、テキサスの平地の広大さは想像を超える。これは実際に走ってみるしかないだろう。
サンアントニオを目的地に選んだのは、もちろんアラモ砦を見るためである。とは言え、私のうろ覚えアメリカ史の中で、固有名詞アラモおよびデイビー・クロケットが同じフォルダに入っているというだけだ。それらは一体何?
今回、12月21日から7泊9日の第9次遠征隊には、同じ町に住むNさんが同行してくれた。航空会社勤務・アメリカ在住経験ありの良識人だ。絵を見ることとショッピングが好きという共通項がうれしい。
クリスマス休暇で帰国するらしい兵士たちが優先されたため、ダラス空港での入国審査には時間がかかった。私たちの周りには韓国人の旅行者が多い。いらだつアジア人乗客たち(含む、我々)。
結局予定していた乗り継ぎ便には乗れず、アメリカン航空のカウンターに行くと、
「飛行機は男と同じです。一人行ってしまっても、また次がやって来る」
余裕の中年男性係員が、約1時間後のサンアントニオ便を発券してくれた。そうか、追いかける必要はないのね。
サンアントニオ空港でアラモ・レンタカーを借り、午後2時過ぎ、ホテルにチェックイン。早速、町の中心部にあるアラモ砦へと歩いた。
もともとは18世紀前半に、スペイン修道会によって造られたmission(キリスト教伝道所)だ。 カリフォルニアだけでなく、テキサスにもEl Camino Real(王の道)と呼ばれる布教のための道が残っている。カーメル・ミッションで見たキュートな前髪のセラ修道士を思い出した。太字はwiki他にリンクしています。
有名なアラモの戦いは1836年だ。180人のアメリカ人と1,600人のメキシコ軍との絶望的な戦いだった。
デイビー・クロケットがここに居合わせたのは、宿命というものだろうか。
"Remember the Alamo"は、その後サム・ヒューストン将軍がテキサス軍を鼓舞するために掲げたスローガンだ。
ところで、アメリカ史における悲劇的戦いとしてアラモ同様に語られるのが、対アメリカン・インディアン戦争の第7騎兵隊だ。1876年リトルビッグホーンの戦いで、カスター将軍率いる200名の部隊が1,800人を超えるスー族シャイアン族に全滅した。サウスダコタ州には、既に英雄とは呼ばれなくなったこの人物を記念した、興味深いカスター州立公園がある。
長い第一日目の夕方、私たちは眠気と絶望的に戦いながら、IMAXシアターでアラモの映画"The Alamo - the Price of Freedom"を見た。しっぽのあるクロケット帽、かわいいね。
それからリバーウォーク沿いのレストランでマルガリータを飲み、エンチラダ他を食べ、マリアッチを聴いた。メキシコ料理がおいしい。テキサスですなあ。
サンアントニオあれこれ(第9次遠征隊#2) ― 2011/01/02
魅力的な町だ。川沿いのリバーウォーク、メキシカン・マーケット、周辺には5つのミッションも点在している。
温暖で、安全で、食べ物がおいしい。
アメリカ国内では人気のある観光地のようだが、日本から訪れる人は多くないかもしれない。Nさんは「もっとここに来ればいいのにね」と残念がっていた。確かに。
Mission Espada、それから昼と夜のリバーウォークの写真を貼っておこう。
夜のリバークルーズは、クリスマスのイルミネーションが美しく、ガイドの説明も楽しかった。
付記:
インターステート35号線を30分ほど北東に走ったサンマルコスには、TangerとPremium二つのアウトレットが並んでいる。
合わせた店の数はいくつだろう? 日本では見たことのない規模に目を回す私たち。もっと時間があればねえ。いや、なくて幸いだったか...
「こちらヒューストン」ありきたりなセリフだが(第9次遠征隊#3) ― 2011/01/02
サンマルコス・アウトレット(の誘惑)を抜け出し、ヒューストンへ走った。ガレリア地区のホテルに着いたのは23日の夕方だ。実はその後、巨大ショッピング・モールthe Galleriaでもちょっとお買い物したけど。
ふと気になって、今(アウトレットではない)全米ショッピング・モールの規模を調べてみた。現在店舗数が一番多いのは、やはりミネソタのモール・オブ・アメリカで522店だ。ガレリアの375店は、第3位のようだ。
さて、翌24日の朝、ヒューストンから南東へ40分ほどの所にあるNASAスペースセンターへ向かった。
ここには10のアトラクションがある。シアターの入り口に、シャトルのミッションごとのチーム写真が掛けられていた。日本人宇宙飛行士たちを探した後、NASA Tram Tourのトラムに乗った。
90分のツアーで、飛行士訓練施設やジョンソン宇宙センターの歴史的ミッション・コントロールセンターなどを見ることができる。つい「こちらヒューストン」と言いたくなるのは、アポロ世代だから?いえ、ジェミニも知ってます。
サターンロケットの大きさにも驚嘆した。
ビジター棟に戻り短いムービーを見てから、実際の宇宙飛行士の体験談を聞いた。
Brian Duffyさんは、若田光一さんも一員のミッションSTS-72とSTS-92で船長を務めた、経験豊富な飛行士だ。映像を示しながら、国際宇宙ステーション(International Space Station)にドッキングしたSTS-92(2000年)について語ってくれた。
Brian Duffyさんの話:
STS-92はシャトルとISSを結合する初めてのミッションだった。
取り付けが無事終わりハッチを開けると、先頭にいた宇宙飛行士が
ぼくに言った「船長、お先にどうぞ」
なんていいやつなんだ "What a nice guy!”
でも考えてみたら、ぼくは炭坑のカナリヤ canary in a coal mineだったんだね。
ヒューストン美術館(第9次遠征隊#4) ― 2011/01/03
あわただしかった旅行の中に、しんと静かな1時間半がある。ヒューストン美術館the Museum of Fine Arts Houstonで過ごした時間だ。
本当はもっと長くいたかったが、あいにくクリスマス・イヴのため閉館が早い。私たちは急いで、それぞれ興味のある展示室に向かった。
マチス、ミロ、カンディンスキーの部屋を、一人ゆっくり歩く。
シャガール、モジリアニ、ピカソの中央に、一人座ってみる。
絵を見る楽しさとは何だろう。乾いた気持ちが水分を含んで、柔らかくなっていくようだ。
ちょっと怖い「キュクロプス」ルドンの、優しい後期作品を知ったのは収穫だ。
ゴヤに出会って、うれしいがちょっと驚く。
シカゴやフィラデルフィアに次ぐ、かなり規模の大きい美術館だそうだ。
別の棟には、アジアやアフリカのアート、ネイティブ・アメリカンのアートも展示されている。プエブロ族の陶芸家、マリア・マルチネス作品の何と美しいこと。
帰りがけに女性職員に声をかけられた。
「中国美術、よかったでしょ」
「はい、よかったです。私は日本人だけど」
なぜか妙に受けて、遠ざかりながら笑い続ける彼女の声がしばらく響いていた。
ニューオリンズへ(第9次遠征隊#5) ― 2011/01/03
25日は移動日だ。
google mapで作ったmy mapTX&LA上で確認してみると、テキサス州ヒューストンのホテルからルイジアナ州ニューオリンズのホテルまで最短距離インターステート10号線を東に進めば、355マイル(568km)で所要時間は約6時間。
が、私たちは州都バトンルージュから12号線に入り、湖に架かる長い橋を通って北からニューオリンズに入ることにした。こちらのルートは379マイル(606km)あり、googleによれば6時間30分だ。
このポンチャートレイン湖(Lake Pontchertrain)という名詞を私たちはまじめに覚えていなくて、しばらく「ポント何とか」と呼んでいた。後で調べたら、ポンチャートレイン湖コーズウェイ(Lake Pontchartrain Causeway)は23マイル(38km)もあり、世界最長の橋だそうだ。すごいですね。
はい、ポント何とかに架かる橋の入り口。TAGは日本のETCのようなシステムだろうか。通行料金は3ドルだった。(クリックで拡大)
おとなしく湖を表示するナビ子(カーナビ)
フレンチ・クォーターのホテルに到着し荷物を部屋に置いた後、ニューオリンズ観光に車は不要なので、お世話になったヒュンダイを空港のアラモ支店まで返しに行った。21日から25日までの全走行距離は、754マイル(1,206km)だった。
ホテルへ戻るシャトルバスに乗る時、運転手が言った。
「へえ、荷物はないんだ。身軽な旅なのか、無くしたのか?」
ニューオリンズでした5つのこと(第9次遠征隊#6) ― 2011/01/04
1.プリザベーション・ホールでジャズを聴く
Preservation Hall 726 St.Peters Street
12月26日は Tommy Sancton's New Orleans Jazz Band
3.欲望という名の電車に乗る
実際にそういう名前のストリートカーはなく、これはガーデン地区へ行く
セントチャールズ線
テネシー.ウィリアムズ作の戯曲"A Streetcar Named Desire "は、
ビビアン・リーとマーロン・ブランド主演で1951年に映画化された。
4.ケイジャン、クレオール料理を食べる
ガンボスープ、クロウフィッシュ(ザリガニ)サラダ、ジャンバラヤ、
シュリンプ・クレオール、ポーボーイ、ワニのソーセージ、
バイユーダックのブロイル、クラブケーキなど
飲み物はハリケーン!!
5.プランテーション・ツアーに参加する
映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の撮影が行われたそうだ。トム・クルーズなので見ていないけど。
アメリカのアジア人(第9次遠征隊#7) ― 2011/01/05
今回の備忘録はほぼ終了だが、旅をしていて気づいたことがある。
10年前、アメリカを走るアジア車と言えばトヨタ、ホンダ、ミツビシ、スバルであり、空港のテレビはSONYかTOSHIBAだった。
ところが、2010年のフリーウェイを走っているのは日本車に匹敵する数のHYUNDAIやKiaであり、空港でニュースを映し出しているのは近未来的なパネルのSAMSUNGだ。
アジアの国々のアメリカ進出には、頼もしいほどのスピード感がある。人に関しても然り。空港で出会う韓国人の多さに驚くし、色々な場所で隣り合って話した台湾人やベトナム人、カンボジア人の言葉に教養と前向きな明るさを感じる。
この状況をどう捉えればいいのだろう。日本という国のあり方について、大げさだけど、
あれこれ考えています。
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