エジプト&トルコツアー#12010/10/13

 10月3日から10日まで、某Tのエジプト&トルコツアーに参加した。旅の仲間は同年代の友人2人。定刻という概念がないかもしれないエジプト航空機は、特に説明もないまま1時間半遅れで出発した。
 カイロは遠い。13時間半の飛行時間の後、バスでナイル川を渡り、深夜0時ギザ地区に到着した。四つ星なのに、電気つかない、掃除してない、タオルのないホテルに呆れつつ、ベッドに転がり込んだ。
 翌朝、3大ピラミッドとスフィンクスを見物した。

giza1

 子どもの頃から、一度は見たいと思っていたスフィンクスである。ただし、彼女は広大な砂漠の中にいるのではなく、周りを塀で囲まれ、その正面、数100m先にはKFCとピザハットがある。
 岩からの彫り出しとしては世界最大の像だそうだが、ラシュモア山の大統領たちより小柄な印象だ。長さ73m、高さ20m、幅は6m。
 
Sphynx

 横顔をしばらく眺めた。4500年前からじっと動かず、ここに座り続けるスフィンクス、、
エジプトの商業主義を笑う必要はない。KFCとピザハットはいずれ別の何かに取って代わり、ほかの施設も次から次へと移り変わっていくだろう。通り過ぎて行くのは、言うまでもなく、私たちのほうなのだ。

エジプト&トルコツアー#22010/10/17

 今回のツアーはエジプト航空利用のため、大まかに書くと
成田→カイロ(ギザ)→イスタンブール→カッパドキア→イスタンブール→カイロ→成田
というルートで組まれていた。
 そこに4カ所の世界遺産見物(1、プラミッドとスフィンクス 2、カイロの旧市街イスラム地区 3、イスタンブール歴史地区 4、カッパドキア)とホテル及び全15回の食事がついた、日本人ならではの効率重視ツアーである。注意事項を守り添乗員の後をついて行けば、流れ作業のように旅の時間が過ぎて行くだろう。でも、それだけじゃつまらないよね。自由時間にはせっせと歩き回った。

カイロ&ギザ>
 写真は、ナイル川ディナークルーズ(ツアーに付いてます)
印象の薄いお料理だったが、激しくベリーダンスを踊るダンサーが話題になった。(胸はホンモノか? お腹がホンモノ過ぎる!)

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 そして、世界中から観光客が押し寄せる考古学博物館。外国語を話すガイドたちが、それぞれの言語グループを引き連れて行く。ぞろぞろ。
 ツタンカーメン関連の展示物は必見だ。

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 自分たちでタクシーを交渉し、ハン・ハリーリ市場にも出かけてみた。そして、やっぱりボラれました。

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エジプト&トルコツアー#32010/10/17

<イスタンブール>

 イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで、西はヨーロッパ側、東はアジア側に広がる街だ。ガラタ塔から、金角湾の向うに旧市街が眺められる。(画像はクリックで拡大)

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 ヨーロッパ側旧市街には、素晴しいイスラム建築物が点在している。ガイド(アンカラ大学日本語学部卒)の淀みない説明を聞きながら、トプカプ宮殿、ブルーモスク、地下宮殿を歩いた。
  写真は壮麗なるブルーモスク内部。青いタイルとステンドグラスが美しい。

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 ホテル到着後、雨の中を路面電車に乗り、ツアーでは外から見ただけのアヤソフィアへ足を伸ばした。もともとは、キリスト教の大聖堂だったという。
 重厚なミナレットのある大ドームを見上げている時、「Laraは日本語でどう発音するのか」と日本好きな若者が話しかけてきた、同じ音「らら」だと答えると、蘭丸という名前の由来は?などと質問が続く。テキトーな答えに、解せぬ表情のトルコ蘭丸君。ついでにモザイク画の場所を教えてもらった。(クリックで拡大)

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<カッパドキア>
 行きはアンカラ・イクスプレスの寝台車で10時間、帰りはカイセリまでのバスと国内便で3時間、と移動に時間をかけたわりには、期待していたような「息を飲む」景色を見られなかった。
 旅番組で人気の地下住宅に降りて行く。眺望スポットでトルコアイスを、洞窟レストランで日本人向けお魚コースをいただく。ふーむ、、(この画像もクリックで拡大)

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ボスポラス・ポンポン船クルーズ(E&Tツアー番外篇)2010/10/17

 トルコ旅行経験のあるHさんのお嬢さんとうちの娘のアドバイスにより、オプションのボスポラス海峡クルーズには申し込まなかった。現地で何とかしよう。


 夕方にはカイロへ飛ぶ6日目の朝、雨の中を路面電車でエミニョニュ駅まで行き、桟橋へ歩いた。聞いていた通り、客引きが近づいて来る。"I am a captain." 小柄な船長の話を聞いた。手帳を見せながら、カタコト英語で一生懸命説明している。

 手帳に書かれた日本語の文「この船長は親切です」「ボスポラス海峡クルーズは楽しいです」は、これまでの日本人客に頼んで書いてもらったものだろう。

経産省役人の名詞なども貼付けてある。クルーズは1人50USドルだそうだ。

手帳のページ曰く「船を見てから、決めて下さい」

そうしようか。傘をさし、3人で船長について行った。


 白い大きな船をいくつも通り過ぎた先に、小さな船がある。船長が私たちを船に案内した。うーん、小さいけど、まあ、いいんじゃない。

 と思いきや、さらに船内をずんずん通り過ぎ、その船につないである、それまで隠れて見えなかった小舟を示した。

えっ、そ、それ?「ポンポン船」じゃないの。忘れかけていた名詞が蘇った。


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 雨は強くなっている。風も出てきた。どうしようどうしようと迷っている友人たちに「この際、何でもしてみようよ」

そうだねその代わり、と二人は円とトルコリラ、ドル、ユーロの複雑なレートを計算し、船長に一人30ドルのディスカウントを要求した。さすが日本の主婦である。

ポンポン船に渡った。(写真の後ろに見えるのが普通のクルーズ船)


 出港時間間際に、男性グループ2組、計5人が乗り込んで来た。もちろん私たち3人だけでは、商売にならなかったのだろう。

男性たちはお互いにエジプト人だと紹介し合い、私たちにhelloと挨拶した。

 クルーズ時間は約1時間、金角湾出口に近いガラタ橋の西から出て、ボスポラス海峡を北へ進み、第一ボスポラス大橋で折り返すコースだ。出航。ポン、ポンポン。。


 揺れる。雨が激しくなり、ビニールの幌から吹き込んで来る。 寒い。その上、雷が鳴り出した。はっきり言って何も見えません。近くを普通のクルーズ船が通ると、また大きく揺れる。

 エジプト人男性が話しかけてきた。

「ツアーですか」

「はい、そうです」

「他の日本人たちはどこですか」

「さあ、わかりません」

「きっとこの波の下ですね」

あはは。どうか私たちが波の下になりませんように。

揺れる。雨が吹き込む。稲妻が光る。雷が鳴る。また揺れる。 

ponpon2


 数十分後の私たちである。はいっ、写真を撮りましょ。ようやく安心し明るい表情だ。

和やかに話をしたエジプトの男性たちは

「僕たちは日本の国や技術が好きなんですよ」

「日本の女性も、ですよね?」

付け加えると、もちろん!と皆が笑った。

「ご一緒できて楽しかったです」


 面白かったねー、カトンボがいないととてもこういう経験はできないよねー、という友人たちの感想を喜ぶべきか、、?


 以上でエジプト・トルコツアー備忘録完了。

10月期に考える2010/10/29

 今年も残りは2ヶ月余り、時間はますます加速度を増してゆく。気忙しい秋学期だ。

 K校では2つの初級クラスと漢字クラスを、Y校では中級後半と初級クラスを教えている。
 言うまでもないことだが、教えるための準備には毎日それなりの時間がかかる。文型に合わせてプリント類を組み合わせ、時間配分を考えて授業を組み立ててゆく。その手順は、冷蔵庫内の肉、魚、野菜で何とか整える晩ごはん作りに似ていなくもない。手持ちの材料でメリハリをつけ、滋養となるものをきちんと入れ、おいしいところをどこに並べるか、、。
 今期の学生たちが、今までのメニューを喜ぶとは限らない。
気難しい学生、神経質な学生、完璧主義者、お気楽なやつ、おしゃべり、その場しのぎ、お調子者、協力的な学生、堅物、切れ者、、、メンバーの顔を思い浮かべて、ペアワークやグループワーク、タスクやゲームを選ぶ。

 この間の旅行で勉強になったことがある。カイロとイスタンブールの現地ガイドはどちらも本当に日本語が上手だったが、その仕事ぶりは?
 もちろん、ツアー客の案内は彼らにとってルーティン・ワークだろう。次から次へと訪れる日本人観光客相手に同じ話をし、同じ冗談を言って毎日が過ぎてゆく。しかし、前方に座ったままツアー客の反応も見ず、淡々と原稿を読んでいるかのような案内が面白いわけはなかった。その土地に憧れて遠方からはるばるやって来た外国人に対して、もっと柔軟で楽しい案内はできないものか。
 今思えば、春の北京・西安旅行の薛さんは名ガイドだった。こちらの興味を引き出し、中国人学生からは聞けないような、政治や社会システムについての質問にも丁寧に答えてくれた。

 私が注意しなくてはいけないのは、まさにこの点なのだと思う。教えるという仕事が、ルーティン・ワークにならないように。一人一人の学生の顔をきちんと見て教えること。
何度も教えている「みんなの日本語」も、それぞれの学生にとっては初めて学ぶものなのだからね。がんばりましょ。