旅行というもののまっとうな動機2021/12/16

 8回契約のオンライン・プライベート授業が、今日終わった。
関西地方で2年間のJETプログラム参加経験があるAさんはJLPT N2合格済みであり日本文化にも詳しい。どんな教材を使えばいいのか、毎回ない知恵を絞った。N1レベルの聴解問題、語彙、使えるN2文法、短文作成、ディクテーション、マンガサイト利用の漢字ゲーム、速読、そして読解。

 使用した上級学習者向け読解問題の中に、村上春樹の『辺境・近況』の一節があった。読んだはずだが覚えていないこんな部分。

=========問題============= 
指示語を問う

 ポール・セローのある小説の中で、アフリカにやって来たアメリカ人の女の子が、なぜ自分が世界のあちこちをまわりつづけることになったかについて語るシーンがあった。
(中略)
本で何かを読む、写真で何かを見る、何かの話を聞く。でも私は自分で実際にそこに行ってみないと納得できないし、落ち着かないのよ。たとえば自分の手でギリシャのアクロポリスの柱を触ってみないわけにはいかないし、自分の足を死海の水につけてみないわけにはいかないの。
(中略)
そして彼女はそれをやめることができなくなってしまうのだ。エジプトに行ってピラミッドに上り、インドに行ってガンジスを下り、、、そんなことをしてても無意味だし、キリないじゃないかとあなたは言うかもしれない。でもさまざまな表層的理由づけをひとつひとつ取り払ってしまえば、結局のところ<それ>が旅行というものが持つおそらくはいちばんまっとうな動機であり、存在理由であるだろうと僕は思う。

<それ>は何を指しているか。
1 自由になりたいという欲求
 旅を続けたいという欲求
 現実的な感触への欲求
 無意味な行動への欲求

========問題 ここまで=========

 コロナ時代、どこへも行けない旅好きなわたしたちの飢餓感は、つまり、現実的な感触への欲求が本や写真や話では満たされないことによるのだろう。
ミシシッピ川の源流ミネソタ州アイタスカ湖の冷たく澄んだ水と、河口にあるニューオリンズの泥んこ水に手を浸して、なぜあんなにも深く満足したのか、
飛び続けていた時には振り返る暇もなかったけれど。


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