最近のシニアな読書 ― 2021/09/01
年齢に抗わない
怯むことなく、堂々と老いさらばえよ!
NHK100分de名著、7月はボーヴォワール『老い』だった。講師は上野千鶴子さん。上記の2行は、そのテキストの表紙に書かれた言葉だ。
おう!
思わず腕を振り上げたくなるものの、上野さんのおっしゃる通り、他者の経験ではない自らの老いという現実を受容するのは生やさしいことではない。
著名な作家、学者、政治家のネガティブな老いの実例が語られる。寿命が伸び多くの割合を占めるようになった高齢者たちを、文明社会はどう処遇するのか。老いてゆく自分にわたしたちはどう向き合うのか。全4回をまだ一度しか見ていないが、考え続けるべき大きな課題だ。なにしろ、刻々と老いているのだから。逃げ場などないのだから。
というわけで、汗または冷や汗をかきながら読んだ本は、シニアの生活と意識に関連したものが多かった。
・おひとりさまの最期 上野千鶴子 (朝日新聞社) 再読した。
最新刊『在宅ひとり死のススメ』はまだ。図書館予約順位 248番
・養老先生、病院へ行く 養老孟司・中川恵一 (エクスナレッジ)
自分の死、一人称の死は考えたって意味がない
・気がつけば終着駅 佐藤愛子 (中央公論新社) 大人物 だいじんぶつ
『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』は予約順位 70番
・老人初心者の覚悟 阿川佐和子 (中央公論新社)
同い年阿川さんの日常感覚
婦人公論連載中に毎月図書館で読んだはずだが、あまり覚えていなかった。
同じ婦人公論連載ものの、同年代伊藤比呂美さん著
『ショローの女』もリクエスト中 予約順位 18番
気持ちを柔らかくする少し遠い国の本も、並行して読んでいた。
・ミッテランの帽子 アントワーヌ・ローラン (新潮クレストブックス)
ペギー・グッゲンハイムの美術館 ― 2021/09/13
Prime Videoで『ペギー・グッゲンハイム:アートに恋した大富豪』を観た。
楽し過ぎて二度観た。
鉱山で成功したグッゲンハイム家の父は、ペギーが13歳の時タイタニック号の沈没事故で亡くなった。裕福な親族たちと比べれば財産に恵まれなかったペギーは、21歳の時ニューヨーク市の前衛書店The Sunwise Turnで働き始め、そこで出会った人々(フロスト、ドス・パソス、フィッツジェラルドなど)との交流が、彼女をパリへ運ぶことになる。美術、音楽、バレエ、芝居、「あらゆる芸術革命が花開いた」とコクトーが述べる、1920年代のパリである。
デュシャン、マン・レイ、レジェ、ピカソ、G.スタインとトクラス、キキ、J.ジョイス、E.パウンド、そして、ベケット、、、名前を書き連ねるだけで心が躍り出す。
マン・レイの撮った、若い日のペギーが素敵だ。
『優雅な生活が最高の復讐である』の著者C.トムキンズもインタビューに登場する。まさに、ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』の時代だ。
富豪一族の反逆者、やっかいもの black sheepだったペギーは、1921年から38年のパリで夢のようなボヘミアン・ライフを楽しんだ。
その後ロンドンでグッゲンハイム&ジューヌ画廊を開いたが、ほどなく大戦が始まり、自力で作品と共に帰国した。ニューヨークでは欧州から脱出しようとする芸術家たちを救い、また同時期、彼らの作品などを(幸運にも)安価に購入することができた。ダリ、キリコ、タンギー、マグリット、ミロ、ジャコメッティ、モンドリアン、ロスコ、、、書いているとさらに気持ちが弾んで、あらすじをまとめたくなるけれど、以下印象深い部分と感想を。
ペギーはシュールレアリスムと抽象表現主義をアメリカに持ち込んだ先駆者であり、ヨーロッパとアメリカのモダニズムを結びつけた。NYCの今世紀の芸術画廊(1942-47年)における前衛的な数々の展覧会は、戦後のアメリカ美術界に確かな功績を残している。
そして、運河の水の美しさに魅了されて購入したベネチアの白いパラッツォ 邸宅に、1951年ペギー・グッゲンハイム・コレクションを開く。それは主要な20世紀画家たちの作品を集めた、イタリアでは他に類を見ない美術館となった。
彼女が現代美術に果たした役割は、その寛大さにおいても比べるものがない。(モンドリアンの助言もあって)ポロックを発見し、住まいと生活費を提供することで、モダンアートの傑作が生み出された。
俳優ロバート・デ・ニーロの両親も画家であり(デ・ニーロ・シニアとV.アドミラル)、少なからずペギーの援助を受けたという。
話は前後するが、戦時中カンディンスキーがペギーにNYCの(伯父ソロモン)グッゲンハイム美術館への紹介を依頼した時、ペギーを好ましく思わない初代館長はけんもほろろにその頼みを断った。対するペギーの返事、
「わたしの目的はお金ではなく、芸術家を助けることです」
そんな経緯の後に、F.L.ライト設計のあの白い螺旋形の(ペギーは駐車場みたいと言った)美術館が、多数のカンディンスキー作品を所蔵することになったとは。
ペギーは晩年、ソロモン・グッゲンハイム財団に邸宅とコレクション全てを譲渡する取り決めをした。
ペギーの憑かれたような情熱はどこから来たのか。
彼女にはスタインのような優れた直感や洞察、審美眼、ましてや表現力はなかっただろう。彼女はself-made な人だったという。デュシャン他を師として最先端の芸術を学び、夢中になれるものをひたすら追い求めた。
飽くことなく繰り返される、大勢の芸術家との束の間の情事、7年で終わった最初の結婚生活、次の夫エルンストの側に愛情はなかった。
グッゲンハイム一族としての自尊心を持ちながら、実は内気な世間知らずだったペギーの空虚な心、欠落感を埋めてくれるのはアートだけだった。そうして、自由な美術世界の媒体とも言えるコレクターとしての大きな成功が、人生に深く幸福な意味を与えたのだろう。
3年半前初めてのベネチアで美術館を訪ねた。広くはない中庭、ジャコメッティの像の少し先に、14匹の愛犬と共に眠るペギーのお墓があった。
パラッツォはグランカナルに面しており、バルコニーの前をサンマルコ広場方向へのヴァポレット 水上バスやゴンドラが行き交っていた。
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