受難の物語をなぜ読むのか2020/07/04

 数日前、タブマン紙幣の続報がCNNに出ていた。

tubmanBLM
 20ドル札の表にハリエットが登場するのは、すいぶん先になりそうだ。現政権下での発行は、言うまでもなく、あり得ない
 
 コロナ禍でやむにやまれずやみくもに開始されたZoom授業に翻弄され、ヘロヘロになりながら過ごした数週間だった。それぞれの場所にいる誰もが、初めて経験する劇的な環境の変化に疲れているだろう。出口は一向に見えてこないのだし。
 気ままな teach&fly 教えて飛んで生活がいかに幸せなことだったか、ひしひしと感じている。stay home 期間の収穫は、積ん読の山がだいぶ小さくなったことだろうか。ヴァーチャル美術館、クオモ兄弟、一ヶ月だけのNetflixでミシェル・オバマとマリッジ・ストーリー、近所の友だちと数回の海岸散歩、、、そうこうしているうちにBLM運動が激しくなった。

 テネシー州メンフィスの国立公民権博物館(ロレイン・モーテル)、アラバマ州モントゴメリーとバーミンガム、ジョージア州アトランタで、M.L.キング関連の公民権博物館を巡ったのは09年だ。それ以降もボストンの黒人歴史博物館、アーカンソー州リトルロック高校、シンシナティの地下鉄道博物館、スミソニアンのアフリカン・アメリカン歴史文化博物館など、何年もかけて、自分でも理解できない熱心さで足を運んだ。
学生時代のL.ヒューズから、ラルフ・エリスン、J,ボールドウィン、、マヤ・アンジェロウ、トニ・モリスン、、、コルソン・ホワイトヘッドも読んだ。そしてパンデミックの中のBlack Lives Matter、もう感情移入し過ぎて、胸が苦しくなるほどだ。これは一体なぜなのか?

 小野正嗣さんの文芸時評に答えがあった。朝日新聞の切り抜き(6月24日)は、同僚のY先生が講師室の引き出しに入れてくれたものだ。ありがとう、読書仲間。
「こうした黒人たちの受難の経験をなぜ僕たちは読むのか? たぶんそれらが、すべての<人間>につながる普遍性を帯びているからだ。
 警官に膝で首を押さえつけられ、母に救いを求めながら亡くなった人の姿に、僕たちが深く動揺するのは、彼が人種差別の犠牲者であると同時に、虐げられ辱められた者だからだ。彼の命とともに僕たちの中にある<人間>も辱められたと感じるからだ。 <文学>は、人種や言語の壁を越えたそうした普遍的な痛みをつねにその懐に宿し、決して忘れない。」