2018秋の旅行(1) ヘルシンキ2018/09/29

 目的は、いつかは行きたいと思い続けていたエルミタージュ美術館だ。
ロシアの観光ビザは個人では取りにくいと聞き、ツアーもいくつか検討したけれど、どうもピンと来ない。半年ほど前、フィンエアーで行く一人旅コースを見つけて申し込んだ。

 というわけで、9月のシルバーウィークに、まずヘルシンキへ飛んだ。
ヘルシンキ大聖堂、カウッパトリのマーケット・スクエア、オールドマーケット・ホール、エスプラナディ通り、カンピ礼拝堂とサンデーマーケットなどを、徒歩とトラムで見て回った。北緯60度、バルト海フィンランド湾に面した首都の街は秋が始まったばかり。有名観光スポットは某国人民団体ツアー客で大にぎわいだが、お散歩にちょうどよい落ち着いた街だった。

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 主に参考にしたのは【永久保存版】ヘルシンキに行く前に知るべき50のアドバイス!観光・旅行・スポットまとめ というサイトだった。ほのぼのとかわいい国際カップルによる現地情報だ。紹介されていたHSLモバイルアプリはとても重宝で、ヘルシンキ地区のバスとトラム、地下鉄が、簡単に安く利用できた。ありがとう。
同じようなチケット・アプリが東京にも欲しいところだ。
HSL

 今回のヘルシンキは、ホテルの目の前にあるハカニエミ・マーケットホールが補修工事中なのが残念だった。いつか北の地方へ行き、森や湖も見てみたい。この機会にムーミンシリーズ文庫本を数冊読み、ずいぶんと身近な国になった。
旅人スナフキン、ハッとさせるようないいことを言うんですよね。
  大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ
  「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ

2018秋の旅行(2) 日帰りタリン2018/09/29

 エストニアの首都タリンのことを教えてくれたのは、友達のアーティスト、マッキーだ。ヘルシンキからフェリーで行ける、小さくてきれいな中世の町だという。行ってみよう!
ヘルシンキは2泊しかしないけど、到着日の翌日に日帰りすることにした。(そうするとヘルシンキ滞在時間が短過ぎるので、3日目のサンクトペテルブルクへの飛行機を夕方に変更した。)

  バルト海クルーズは他にも何社かあるが、片道2時間のタリンク&シリヤラインを選んだ。ヘルシンキ・タリン間は1日に8往復だ。行きは午前10:30発、帰りは19:30発のチケットをオンラインで買っておいた。ゆったり豪華なメガスター号が、復路ディナーブッフェ付きで手頃な往復63ユーロだった。
 フィンランドから、物価の安いエストニアへ買い出しに行く場合も多いらしい。大きなスーツケースの人々含め、乗船率はかなり高い。

 昼過ぎ、曇り空のタリン港Dターミナルに到着
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 町の入口はふとっちょマルガレータと呼ばれる建物 Fat Margaret、16世紀前半に建てられた砲塔
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 聖オレフ教会の塔に登って、中世ハンザ同盟の建物がそのまま残る旧市街を見下ろした。道沿いに並ぶのは、14-15世紀の商人たちが集った組合ギルドの商館などだ。町を取り囲む城壁と見張りの塔も残っている。
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 石畳の Pikk通りを中心部のラエコヤ広場へと歩いた。旧市庁舎の建物内にある中世のスープ屋 3 Draakon の行列に並び、窓から差し込む光がフェルメールの絵のような薄暗い店で、スープとエルク(ヘラ鹿)のパイをいただいた。
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 教会、木製品、手編みなどの手芸品、親方のいる工房、琥珀の店、セーターの壁、ヨーロッパ最古の薬屋の一つなど覗きながら、歴史地区の通りと路地をぐるぐる歩いた。今ではIT先進国だというエストニアだが、旧市街のたたずまいはタイムトラベルのようだ。素朴な街並みはプラハなどと似ているようで似ていない。ここはバルト海沿岸貿易の職人と商人が住んだ町なのだ。

 4時過ぎ小雨が降り出し、Maiasmokkという150年前からのケーキ屋さんでひと休みした。すると、トーンペア城までの坂道を上る気が失せてしまった。調べておいた場所はまだ幾つもあったけど。残りは宿題にしておこう。
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・ヘルシンキの西港ターミナルは、中央駅付近からトラム7番で20分ほど
・タリンについてはずいぶんたくさんの観光資料がある

2018秋の旅行(3) サンクトペテルブルク2018/09/30

 8月半ば、中国人卒業生と会ってエルミタージュ美術館の話をしたら、
「おそロシア〜」と忘れかけていた駄ジャレがかえってきた。あはは、だけど実際にどんな街なんだろう?地下鉄に乗れる?と内心心配していたのだ。
 それが、行ってみれば何てことはない。ロンドン、ローマ、ニューヨークと同じようにバスや地下鉄で移動し、道がわからなければ通行人に尋ね、疲れればコーヒーショップに入ればよい、ごく普通の都会でありました。

 日曜夜8時、プルコヴォ空港に到着。あらかじめ頼んでおいた送迎車でホテルに着き、(キリル文字看板に迷ったけど)近くの店で夕食を取った
 翌月曜日は美術館がお休みのため市内を散策(午後から雨)、火曜日が念願のエルミタージュ・デイだ。短いけれど、充実した(3泊)2日間だった。備忘用写真をアップしておきたい。

 聖イサク大聖堂。サンクトペテルブルクはロマノフ王朝初代ピョートル大帝(1672-1725)の命を受けて、ネヴァ川デルタ地帯(沼地)に建設された人工都市だという。軟弱な地盤上の建設がいかに難工事だったか等々を、旅行前サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』小野文雄(中公新書)で読んだ。(池田理代子「女帝エカテリーナ」コミック3巻も。)
もちろんドームの展望台に登り、市内を見晴らす。
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 ネフスキー通りを歩く。「ズドラーストヴィチェ」こんにちは
今回使ったのは、これと「スパシーバ」ありがとう
それ以上は頭に入らない。
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 血の上の救世主教会、見事なモザイクの壁面と天井を見上げた。
アレクサンドル2世(1818-1881)はこの場所でテロに倒れた。農奴解放など改革の皇帝だったが。
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 ネフスキー通りの文学カフェに座る国民作家プーシキン(1799-1837)、決闘で命を落とすなんて。
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 カフェ壁面に飾られた作家の肖像画、ロシア的な色彩だ。
小学生のための世界文学全集で「スペードの女王」「大尉の娘」を読んでから半世紀。今では、あの3つの数字しか覚えていない。
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 ランドマークのひとつ、アールヌーヴォー様式のシンガー社ビル
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 さあ、火曜日。ついにエルミタージュへ。写真でよく目にする薄緑色の冬宮は横に長い建物だと思い込んでいたが、あにはからんや、ほとんど正方形なのだ。気の遠くなるような広さ!
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 行列の続く冬宮入口でなく、事前購入者専用口で開始時間を待った。ところが、旧参謀本部の新館を先に観たいなら、直接入ってもよかったのだ。(オンラインチケットのバーコードで入場。)
 朝の新館は人が少ない。印象派、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、カンディンスキー、、、そして、このマティスの部屋にたった一人で。
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 新館で贅沢な2時間余りを過ごし、本館に来ると、そこは別世界/俗世界だった。大混雑のヨルダン階段。ポチョムキンの孔雀時計をぐるりと取り囲む人々。各国のツアー客がガイドに連れられ、名画から名画へと団体で大波のように移動してゆく。
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 まあわたしも物見高い観光客だけど、人波の隙間をぬって、部屋番号を確かめながら館内を巡った。イタリア絵画はダヴィンチの聖母、ティツィアーノ、そしてラファエロの聖家族。カラヴァッジオは貸出中。オランダ絵画、スペイン絵画、、
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 本館も3時間歩いた。黄金の客間、真紅の間、、どの部屋も素晴らしいが、延々と続く人混みと豪華絢爛きらびやかな宮殿の装飾に疲労が溜まってゆく。古代ギリシャ、ローマ、東洋美術の区画はもう諦めよう。
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 地の底のように深いところにある地下鉄に乗って、ドストエフスカヤ駅へ行った。そこで文豪が待っているから。
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 ドストエフスキー(1821-1889)作品は父の愛読書だった。父の青年時代に、新潮社などから「ドストイェーフスキー全集」が出版されたようだ。それは例えば、わたしがサリンジャーを読むようなものではなかったかと想像する。作風は完全に異なるが、目を開かせる海外文学という意味合いで。
 ドストエフスキー博物館として公開されているのは、晩年の住まいだこの部屋で「カラマーゾフの兄弟」が書かれた。(不肖の娘は半分で挫折しました。ごめんなさい。)
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 参考までに(一人旅でも入りやすい)レストランのメモ
 ネフスキー通り周辺
 mamanadache カジュアルなロシア料理店 ママ・ナ・ダチェ
 Marketplace カウンターで選び作ってもらう、ロシア料理もパスタも
 Pelmenya ペリメニ ロシア風水餃子、飲茶もある