迷い込んだ家(プレーリー・ホーム)2017/07/23

 アイオワ州のメイソンシティでフランク・ロイド・ライト設計の Stockman House を探している時、2ブロックほど手前の角に似たような造りの家を見つけた。Google Mapのナビはまだ先を示していたものの、いつもの早とちりで「あー、あった」と道路ぎわに車を止め敷地に入り込んだのがこの家だ。
後で調べて判ったことだが、そこは(無名の)サミュエル・デイヴィス・ドレイク邸だった。中西部に数多く建てられたプレーリー派建築の一つだ。

drakehouse

 博物館にしては荒れた建物だとすぐ気づきそうなものなのに、"hello, hello."と言いながら裏まで回って無人の家のドアを叩いたのは(普段と全く違う大胆な)旅行人格によるものとしよう。本物のストックマン・ハウスを見つけた後(ただし既に閉館時間)、 Historic Park Inn に入って持ち帰ったリーフレットに気になる説明があった。メイソン市には他にもプレーリー派の家々が幾つもあるらしいのだ。
 検索してゆくと、プレーリー派建築を訪ねる旅サイトThe Prairie School Traveler に辿り着いた。2005年から12年にかけてパニング氏 J.A.Panning が協力者と共に集めた、プレーリー派関連の膨大な資料サイトだ。そしてそのデータの中に、旅先で迷い込んだ家があったというわけだ。

 上記PST「プレーリー派の家を巡る旅行サイト」(現存する家の索引)にはアメリカ39州と海外6カ国の建物地図と詳細リンクがあり、日本をクリックすればフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテルの建築に関わったアントニン・レイモンドの設計リストが現れる。できれば、遠藤新氏の自由学園明日館ヨドコウ迎賓館なども付け加えたいところだ。

 ドレイク邸発見の経緯:
PSTアイオワ州索引には200を超える建物リストが並んでいる。そして、特に数の多いメイソン市には地図リンクが張られている。
masonmap

西のインターステート35N線からこの地区に入り込み、どこをどう通ったのか、6月24日の午後を思い出しながら地図を移動して行くと、お、見事的中!
PSTdrakehouse

 Stockman Houseの資料には建築家 Einar Broaten の解説もあり、幸運なことに彼の作品例としてこの家が取り上げられていた。
教師、電報技師、駅職員として働いたドレイク氏がここに土地を購入したのは1915年のこと。建築にまつわる話には、さらに他のプレーリー派建築家名が書かれている。Walter Burley Griffin, Barry Byrne, ...
広大な中西部に文字通り水平に広がったプレーリー派について、もう少し読み解いてみるとしよう。よく知られた建築家リストは以下のページに。