スリランカ(1)シギリアは48階2017/04/30

 3月最終週にスリランカへ行った。学生のお父さんが案内してくれることになり、日本語教師仲間二人と(それぞれ別の便で)コロンボへ飛んだ。
写真を貼り付けて、思い出したことを少し書こう。
 (帰りにバンコクに立ち寄って帰国した翌日から新年度が始まり、久しぶりに風邪を引き、娘が10日ほど一時滞在し、後片付けやプリント作りに追われているうちに連休開始となったわけだ。慌ただしい一ヶ月だったなあ。)

 到着した翌日、スニール氏がまず連れて行ってくれたのは、古都アヌラーダプラ
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 気温は33度、仏塔を囲む木立には猿の群れがいて、時々キーキー走り回っている。白い服の信者たちが大勢裸足で歩いて行くが、えーっ、ここでサンダルを脱げって?焼け石のような石畳の上をピョンピョン跳んで移動しながら、お参りいたしました。足裏真っ赤にヤケド。用意のいい同僚たちはちゃんと靴下持ってました。スニールさん「アチチのお寺、きっと忘れませんね」はい。
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ゴータマ・シッタルダがその下で悟りを得た菩提樹の小枝が運ばれ、ここに植樹されたというスリ・マハ菩提樹もあった。色鮮やかな涅槃仏はイルスムニア精舎に横たわっている。

 ツアー2日目の目的地はシギリアスニールさんも一緒に登ってくれるという。
外国人観光客たちはこの先の道で現地ガイドたちに次々と話しかけられ、登り道の途中で親切に手を引いてくれる(実は高額)ガイドをつい雇ってしまうらしい。
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力強い手に頼りたくなる気持ちがわからないでもない。
iPhoneアプリのヘルスケアによれば、この上り階段は48階分もあったのだ。ひい。
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幸いにも曇りの午前中だが、すでに気温は高い。長い石段の向こう、狭いスチール階段が岸壁にへばりつくように延々と続いている。汗を拭きながら麗しいシギリアレディを眺め、ライオン門で一息ついてさらに登り、1時間ほどかけて頂上に到達した。

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5世紀後半、アヌラーダプラを離れこの天空に王宮を建てたのは、孤独なカッサパ王だった。
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スリランカ(2)中国がやって来た2017/04/30

 スリランカ中部の道路を車で走り抜けてゆく。名前を知らない町から町へ。アルファベット表記の国なら地図をたどる方法はあるが、シンハラ語クルクル文字は全く手がかりなし。どの町も商店が軒を連ね、人々が歩き、たくさんのトゥクトゥクが行き交っている。
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 高原の町キャンディは湖に沿って広がり、世界遺産の町の中心に佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)がある。4世紀初めにブッダの歯が運ばれ、幾つかの寺で祀られた後現在はここに納められているという。佛歯の扉が開かれるプージャの礼拝時(一日3回)にはたくさんの信者が訪れる。
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伝統のキャンディダンスを見る。最後の火渡りが圧巻だった。足裏の丈夫な人々。
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 「是非に」と言って、閉店間際のキャンディ・マーケットへ連れて行ってもらった。果物、野菜、豆、スパイス、ヤシ油、、暮らしの見える市場は本当に楽しい。水牛のヨーグルト、美味しいカード入りの陶器も重なっている。レンズ豆とレッドライス、ボール状のパーム砂糖を買った。
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夜キャンディのホテルに着いて、翌朝カーテンを開けると
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 そしてコロンボへ。初めて眺めるインド洋だ。ゴールフェイス・グリーン公園に国旗がはためいていた。
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 ツアーの道々、スニールさんにスリランカの歴史を簡単に教えてもらった。シンハラ人の国にインドからタミール人がやって来たこと。16世紀にポルトガル人がセイロンを植民地化し、次にオランダが、さらにイギリスが来て長い植民地時代が続いたこと。独立は1948年だが、その後もイギリス連邦自治領であったため、スニールさんの記憶にあるのは市中心部の白い建物を我が物顔に歩くイギリス人だそうだ。

 市北部のフォート地区に、コロンボ灯台がある。半分だけペイントされたこの灯台はイギリスが建てたもので、真下に広がるインド洋を見晴していた。
なぜ「見晴らしていた」なのかと言うと
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中国資本がやって来たからである。
灯台下の青い海はもうない。歴史も文化も景観もお構いなしに、中国が砂ぼこりを立てながら力ずくで埋め立て工事を進めている。かなり大きな中華街ができる予定だと聞いた。
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