ネイティヴ・アメリカンの小さな本2016/05/23


 乾いたアリゾナ州やニューメキシコ州に住んでいるのは、ナヴァホ族、ホピ族、ズニ族、プエブロ族などだ。子供向けの小さな本は、彼ら南西部インディアンのシンボルのステッカーになっている。イーグルは知恵と直感、バッファローは富と成功、サンダーバードは自由と神秘、何だかパワーをもらえそうで、かわいいステッカーをノートの隅に貼ってます。まあ、気分だけど。
 もう一冊の本には、ネイティヴ・アメリカンの言葉とともに、エドワード・カーティスの写真が収められている。100年前に撮られた酋長や勇者たちの顔がよい。こんな老人になりたいものだ。無理だけど。短い言葉も確かに何かを伝えてくれる。ただし、手のひらに載るほど小さくて、ちょっと読みにくい。

少しずつフランク・ロイド・ライト2016/05/29

 先週、友だちと池袋の自由学園明日館を見に行った。フランク・ロイド・ライト(1867-1959)設計の建物だ。
 FLライトという言葉を初めて聞いたのは、1970年サイモン&ガーファンクルの曲 "So Long, Frank Lloyd Wright" だが(わたしたち世代の共通項だろう)、それが著名な建築家の名前であること、アート・ガーファンクルが建築専攻だったこと、"so long"の意味は後からゆっくりやって来た。
 それからずいぶんと長い時間が過ぎ(本当に!)FLライトはいつの間にか気になる項目の一つになって、いくつかの場所を訪ねている。普通の人が目をパチクリするような、劇的な生涯を送った人物でもあるのだ。備忘メモをつけよう。

  2005年、シカゴのルッカリー(1888年建築)の前を通った(だけ)。映画『アンタッチャブル』の撮影にも使われたこの美しいビルは、1905年にライトがロビー部分の改装を設計したそうだ。The Rookery Light Court
Rookery

 2007年秋、シカゴ郊外オークパークの自宅とスタジオを見学した。
FLWstudio

自宅ライトが22歳の時建てたごく初期の作品だ。(1889年)
ここで6人の子供達が育った。中は撮影禁止だったが、工夫を凝らした楽しいプレイルームが印象に残っている。
FLW2


 2008年秋、NYC グッゲンハイム美術館内をカンディンスキーを探してぐるぐる歩いた。 Guggenheim Museum (設計は1945年頃、完成はライト没後の1959年history
FLW3

FLW4

 同じ旅行で、メトロポリタン美術館2階通路に窓の意匠デザインを見つけた。
window(1912年)The Met fifth Avenue Gallery
FLW5


 2012年秋、愛知県の明治村へ旧帝国ホテル(1923年完成)を見に行き、
FLW6

大谷石のタイルデザインを見上げた。
FLW7


 そして、先週の明日館(1921年完成)。帝国ホテルのために日本に滞在していたライトに、弟子の遠藤新が自由学園の創立者羽仁夫妻を紹介したという。
FLW8

FLW9

 深い庇、緩い勾配の屋根、光を取り込む連続した窓、仕切りの少ない広い空間、自然に溶け込む色合い、というプレーリースタイルは、シカゴ大火(1871年)後のシカゴ建築ブーム、鋼鉄のシカゴ派を経て生まれた真にアメリカ中西部的な建築だ。
ライトのステンドグラスや家具デザインはモダニズムそのもので、華美な装飾のない直線と図形からできている。バウハウス、ウィーン分離派、アールデコ、ル・コルビュジエ、20世紀のこの時代には各地で新しいものが次々と生まれた。どれも好きなスタイルだ。
 映画『ガタカ』の撮影が行われたカリフォルニア州のマリン郡庁舎(1957年、ライト90歳の作品)も、いつか見に行ければと思っている。