地球は平らじゃない_スタインの絵本 その12016/02/03

 『地球はまるい』"The World Is Round" 75周年記念版の本の中には、オリジナル版復刻のローズ色絵本部分の前後に、その出版をめぐる話が置かれている。
前書きは挿絵画家クレメント・ハードの息子、サッチャー(同じく挿絵画家)によるもので、地球は平らじゃない"The World Is Not Flat" というチャーミングな題のあと書きはクレメント・ハードの妻イーディス・サッチャー・ハード(絵本作家)によって1985年に書かれたものだ

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 1930年当時、子供の本はまだ19世紀の伝統から抜け出せず、読めるのはどこか遠い国のおとぎ話ばかりだったという。バンクストリート教育大学の“here and now”(ここで今)は、子供たちの毎日にこそ発見と驚きがあるのだという観点に立ち、新しい児童文学を作り出そうという運動だった。G.スタインの同窓生ルーシー・ミッチェルは教育大学の父兄であるスコット一家に実験的な児童書の出版を持ちかけ、ヤング・スコット・ブックスが1938年に創業された。マーガレット・ワイズ・ブラウンなどの新しい本は間もなく広く受け入れられ、絵本の出版ブームが始まった。

 数冊の本が成功した後、スコット兄弟とM.W.ブラウンは誰か大人の本の作家が新しい子供の本を書いてくれないものだろうか、と思い立ち、ヘミングウェイとスタインベックとG.スタインに依頼の手紙を送った。
ヘミングウェイとスタインベックは興味を示さなかったが、スタインからは喜んで書かせていただく、いや実はもう『地球はまるい』という本をほとんど書き終わっているという返事が届いた。アリス・B・トクラス後に出た本が好評だったとは言えず、前衛的な作品を引き受ける出版社を探しあぐねる時期でもあったようだ。

 届いた原稿を息を殺しながら読んだスコットたちは予想通りスタインの文体が子供にとって難しいのは確かだが『地球はまるい』にはどこか素晴らしいものがあると話し合い、出版を決めた。
ところが、出版の作業が進むにつれて幾つかの問題が起きた。まず、スタインからピンクの紙に青いインクで印刷せよという明確な指示が届いたことである。主人公ローズの色でなければならないし、スタインは青が好きだからというわけだ。当時の印刷技術には難題だった。
また、長年の友人である画家のフランセス・ローズにイラストを任せたいという希望が伝えられた。フランセス・ローズは後に『アリス・B・トクラスのクックブック』のイラストを担当したが、決して子供むきとは言えない。スコット社としては不本意な提案を受け入れたくなかった。候補者数人の試作品がフランスに住むスタイン宛に送られた。絵画輸入にかかる関税が問題になったが、スタインは挿絵を検討することができ、若いクレメント・ハードが選ばれた。

地球は平らじゃない_スタインの絵本 その22016/02/20

 税関事務所でわずかな時間クレメント・ハードの挿絵に目を通しただけだったにも関わらず、スタインは絵画に対するいつもの慧眼ぶりを発揮した。アメリカン・インディアンの少女っぽいローズをもう少しフランス風に描いてほしい、という要望が伝えられた。ハードは一年がかりで挿絵を仕上げた。

 ローズ色と青の本が完成した。1939年のことだ。出版時期に合わせて、ニューヨークのW.J.スローン百貨店から子供部屋用の小さな敷物も販売された。
さらに壁紙が作られるとスタインはたいそう喜び、「パリの家の二つの部屋には "Pigeons on the Grass, Alas" の壁紙が貼ってあるけれど、別の部屋を「地球は丸い壁紙とラグで飾りましょう」とハードに手紙を書いた。

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 この絵本に対する評判は様々だった。繰り返しの多いスタイン文体でからかう批評も多かった。しかしNYタイムズやNYヘラルド・トリビューンは、文章のリズムが子供たちの話し方に近いので声に出して読めば幼くても難なく物語を追えるだろう、と好意的だった。
ハードは確かな仕事をしただけでなく、スタインとの間に温かい関係を築いた。二人の手紙を、現在イェール大学の図書館資料Beinecke Digital Collectionで読むことができる。

 最も有名な"Rose is a rose is a rose is a rose." は本の扉と第26章に置かれている。1922年の"Sacred Emily"以来スタインが好んで何度か書き、しばしば引用されて広まったフレーズだ。扉では単語が丸い円を作り、第26章ではローズが自分の名前を木にぐるりと彫って「薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である」文が繋がっていく。わたしが知った最初のスタインのフレーズもこれだ。

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 1986年にはサンフランシスコの書店アリオン・プレスが、実際に丸い形の本を出版したそうだ。ポプラ社の翻訳『地球はまるい』も、オリジナルのローズ色と青の丸いイラストと落石八月月氏のリズミカルな翻訳が楽しい。

参考:
PaperBlog, Gertrude Stein: the World Is Round Francis Rose Illustrations

読み応えあり、西部劇研究書2016/02/27

 『捜索者ー西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』グレン・フランクル著(新潮社)の書評が日経新聞に載ったのは、去年の10月だ。切り抜いてファイルに入れ、本を図書館にリクエストした。順番が来るまでに捜索者(1956年)その他の西部劇映画を何本か見た。『駅馬車』『アパッチ砦』『黄色いリボン』『シェーン』『大いなる西部』『明日に向かって撃て』『デッドマン』など。ネイティヴ・アメリカンが映画ではどう描かれているのか、漠然とした興味はあったもののとりとめなく西部劇を見た。
 2月中旬ようやく本が回ってきた。500ページを超す大作だ。まずコマンチ族に拉致されたシンシア・アン・パーカーとその息子クアナ・パーカーについての史実が語られ、アラン・ルメイの小説に繋がる。そしてジョン・フオード監督とジョン・ウェインなどの、映画製作にまつわる様々な挿話が続いてゆく。アメリカ開拓とは、凄まじい殺戮と暴力と人種差別の歴史だったのだ。その渦の中に否も応もなく置かれた人々が、懸命にそれぞれの人生を生きていく。奥行きのある内容に圧倒された。

 楽しい話をふたつ。
1、
フォード監督はモニュメント・ヴァレーでの撮影を通してナヴァホ族を支援したのだが、撮影時には祈祷師ホスティーン(愛称デブおやじ)に天気を頼んでいた。ウィスキーを一杯飲ませてから翌日の希望を伝えると、謝礼15ドルでいつも芝居向きの天気が用意されたという。例えば青い空にふわふわ雲を3つばかり浮かべるとか。
2、
捜索者』はイギリスでも上映され人気を博した。ジョン・ウェイン(イーサン)のセリフ"That'll be the day"(ありえない/まさか)は1957年バディ・ホリーの曲になり、それを初レコーディングのA面にしたのがリバプールのロックンロール・グループThe Quarry Menだった。ザ・クオリーメンのメンバーから、数年後ザ・ビートルズが結成された。

 手元に子供向けFandexのこんなカードがある。確か2012年のクリスマスに雪で入場できなかったメサ・ヴェルデかアズテク遺跡の売店で買ったもので、インディアンの部族ごとに説明が書かれている。情け容赦のない馬使いコマンチ族のカードには、酋長クアナ・パーカーの写真が載っていた。本を読むまで気づかなかったけど。

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