セントルイスは西部への入り口(第14次遠征隊#2)2015/10/02

 猿谷要『西部開拓史』(岩波新書)は、大西部の始まりの町セントルイスを起点に語られている。その本を83年と2011年に(忘れていたから二度)買って読んだはずなのに、サム・ヒューストンもワイアット・アープもぼんやりしたイメージしか残っていなかった。∴ 三度目の新鮮な読書を経て、9月17日ミズーリ州の町に到着した。

 翌朝、まず町の中心部にあるフォレスト・パーク内のセントルイス美術館を訪ねた。入場料は無料だが素晴らしいコレクションだ。初期のオキーフが2枚、マティス、マグリット、エルンスト、ホックニーなど好みの現代絵画だけでなく、古代ギリシャ・エジプト、マヤやテオティワカン、ヨーロッパ美術、アジア美術、短時間ではとても回り切れない。キルヒナーなどドイツ表現主義の色も印象に残った。ネイティヴ・アメリカン・アートの充実ぶりに、この町らしさが表れているようだ
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同公園内のミズーリ歴史博物館も楽しかった。

 フローズン・カスタードのTed Drewesへ立ち寄り、たくさんの種類の中からルート66を注文した。新鮮濃厚牛乳のアイスクリーム、フローズン・カスタードはこことウイスコンシン発のファストフードチェーンCulver'sが有名だ。ルート66というのはルートビアにフローズン・カスタードが入ったものだった。甘い。おいしい。他にも様々なトッピングがある。小柄な日本人二人は小さなカップだったが、大きな人たちは全員が大きなカップで山盛りのアイスクリームを食べているのだった。そうしてさらに大きくなるんだね。
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 さあ、猿谷先生の言う「大西部への門」ゲイトウェイ・アーチに登らなくちゃ。天気は晴れ、秋の雲が浮かんでいるものの、かなり暑い。
Gateway Arch は完成から今年でちょうど50年だそうだ。例によって間が悪くWestward Expantion博物館の方は工事中で、今回ルイス&クラーク探検隊の資料は見られない。
 オンラインで購入しておいたチケットをすぐの時間に変更してもらって、小さな4人乗りのエレベーターに乗り込んだ。ガタゴト斜め上に登ること数分、頂上の展望窓からミシシッピ川を眺める。この辺りがミネソタ州にある源流のアイタスカ湖とニューオリンズの河口とのおよそ半分の地点になるのだろうか。
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トム・ソーヤーのフェンス(第14次遠征隊#3)2015/10/02

 正直に書こう。トム・ソーヤーとハックルベリイ・フィンは子供の頃に読んだきりだ。柴田元幸さんと村岡花子さん訳の新潮文庫をバッグに入れて持ち歩いていたが、旅行までに読めなかった。でも、まいいか。とびきり愉快な昔の印象はそのまま残っている。
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 3日目はドライブ・デイだ。セントルイスから170kmほど北上したミシシッピ川沿いの町ハンニバルに、マーク・トゥエインの少年時代の家と博物館がある。蒸気船の水先案内人だったサミュエル・クレメンズ時代からの展示物を通り抜けて、家の中に入った。どの部屋にも白いスーツ姿のトゥエインがいる。"Explore. Dream. Discover.” という名言を思い出す。外ではもちろん、フェンスにペンキを塗る写真を撮った。向かいにはベッキーの家、周辺にはハックの家や灯台、洞窟もあるが、全部を見る時間はない。数ブロック手前のビジター・センターには、ノーマン・ロックウェルの挿絵原画なども展示されていた。

 予定ではこの日オザーク湖を経由して南へ380km走り、マンスフィールドにあるローラ・インガルス・ワイルダーの家ロッキーリッジ・ファームにも行くつもりだった。が、博物館を見るには閉館時間の少なくとも1時間前に到着しなければならない。宿泊先までさらに200km近く走ることを考え、「大草原の家」は諦めることにした。安直な二人組は代わりにアウトレットモールへ行き、午後7時過ぎ州境の町ジョプリンに着いた。

カンザス州の旧ルート66(第14次遠征隊#4)2015/10/02


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 1950ー60年代に繁栄を極めたマザーロード、ルート66は、部分的にインターステートに吸収されたことによって置き去りにされた、という内容を東理夫『ルート66』(丸善ライブラー)で読んだ。片側一車線の道路はスーパーハイウェイの張りめぐらされたアメリカで、今いかにものどかだ。
 シカゴとサンタモニカの起点/終点付近と、アリゾナ、ニューメキシコに残る旧道の一部を走ったことがある。4日目の朝、ミズーリ州ジョプリンから州境を越えカンザス州のガレーナまで西へ数キロ走ってみた。州境サインの近くには、ホッパーの絵のような赤いフィリップス66のガソリンスタンド跡もあった。
時間が止まったままの古びたダウンタウンを、かつては車がひっきりなしに行き交ったのだろうか。町の中心で左折し、南のインターステート44Wに入ってオクラホマシティへ向かった。

カウボーイ博物館とチミチャンガ(第14次遠征隊#5)2015/10/02

 オクラホマシティでは何を見ようかと検索していた時、国立カウボーイ&ウエスタンヘリテージ博物館を見つけた。おお、これはいい。
何を食べようか調べていた時、TEX-MEXの店Albuelo'sを見つけた。おお、これもいい。おまけにそのすぐ隣には適当な中級ホテルもある。よし、これで決まりだ。

 4日目、カンザスからオクラホマ州に入ると天気が崩れ始めた。もや、小雨、強い雨、曇り、また雨。助手席のMが辞書でオクラホマを調べると「天気が変わりやすい」とある。いかにも。
「てるてる、がんばれ」
ここは自称晴れ女のM、別名てるてるに力を発揮してもらわねば。
ガレーナから約360km走り、午後2時半過ぎカウボーイ博物館に着く頃に雨は上がった。ちなみにこの旅行中、雨はこの一日だけだった。考えてみれば、これまで一緒に出かけたどの旅行でも傘をさした記憶はない。看板倒れじゃなさそうだね、てるてる。

 カウボーイ博物館の正面には、彫刻"End of the Trail"が置かれていた。インディアンの戦士が打ちひしがれ、馬の背に揺られている。これをどう解釈しよう。旅路の果て、もはや進むべき道はない。ネイティブ・アメリカンの過酷な歴史を表しているのだろうか。そんな単純なものではないかもしれないが。
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 館内には西部の町を再現した展示室、カウボーイの生活と歴史の展示室、そしてネイティブ・アメリカン文化、3つのセクションがあり、2時間がまたたく間に過ぎてしまった。
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 西部の生活を描いた絵画室の中に、Newell Convers Wyeth作品を見つけた。N.C. ワイエスはアンドリューの父、ジェイミーの祖父だ。去年のシェルバーン博物館とボストン美術館で見た絵が、ここに繋がっている。調べてみると、N.C. はサタデーイブニング・ポスト誌のイラストでキャリアを始め、出版社の求めで20世紀初めのオールド・ウエストやネイティブ・アメリカンの村を回ったらしい。ワイエス・ファミリーの絵には、いつもアメリカらしい光の色がある。
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 ところで、今回の旅行で是が非でも食べようと思っていたのがチミチャンガだ。
チミチャンガとは何ぞや?実は映画"Meet the Fockers"でバーバラ・ストライサンドが連呼していた食べ物の正体を、ずっと知りたいと思っていたのだ。
ブリトーを揚げチーズをかけたもので、グワカモレとサワークリームが添えられている。疑問が解けてよかった。写真は一人前の半分。いつも通りサラダもシェアした。飲み物は当然マルガリータだ。
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ついにダラスへ(第14次遠征隊#6)2015/10/02

 映画を何本か見たし、ウォーレン委員会関連を含むJFケネディ暗殺調査の本もスティーブン・キングのフィクションも読んだ。11/22/63、記憶にあるあの日の教科書ビルを実際に訪ねるのだ。背筋がぞくぞくする感じで、駐車場に車を入れる。
ダラス・ダウンタウンのディーリープラザ横にある狙撃現場ビルは、6階博物館 the Six Floor Museum というざっくばらんな名称の博物館になっていた。
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オーディオガイドを聞きながらゆっくりと、オズワルド犯人説に基づく展示物を見て回った。どの入館者も熱心に順序良く、ひとつひとつの映像や展示資料に見入っている。6階の窓から見下ろせば、オープンカーの通ったエルムストリートはすぐ真下なのだった。

 ダラスのmust-seeもう一箇所はダラス美術館、収蔵品の数はセントルイスより少ないものの素晴らしさに変わりはない。特にジェラルド・マーフィーの作品が2点ここにあることを知って楽しみにしていた。
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美術作品としての価値はよくわからない。けれど、『優雅な生活が最高の復讐である』(カルヴィン・トムキンズ著/新潮文庫)を読んで以来のファンなのだ。ピカソ、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドの友人として信頼されていたマーフィー夫妻の暮らし方をとても魅力的に感じる。このジャズエイジのニューヨーカー・カップルは長くフランスに住み、ロスト・ジェネレーションと呼ばれるグループの中心にいた。
(ジェラルド自身が後継だった)五番街マーク・クロス社金時計の精密機械内部を描いた作品には様々な解釈が成り立ち、60年代のポップアートに引き継がれたとも言われている。

家畜置き場、ボニーとクライド(第14次遠征隊#7)2015/10/03

 ダラスの西にあるフォートワースのことは何も知らなかった。が、旅行計画中にフォートワース観光局サイトを見て小躍りした。「テキサス」で思い浮かべる光景がそこにある!!
 
 ストックヤード(家畜置き場)地区には、大西部の町が残っていた。
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 一日に2回、ロングホーンという種類の牛の群れが町を通り抜ける。もちろんこの日のランチはステーキ。H3 Ranch H3牧場を選んだ。壁から牛の頭の剥製が突き出し、バーのスツールは馬の鞍でできている。
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 "Everything is BIG in Texas."テキサスではすべてがデカい、という言葉通り10万人収容可能30のバーカウンターがあるBilly Bob's Texasや、通りの両側に並ぶ帽子店ブーツ店、Cowboy Hall of Fameなど見て歩くだけで楽しくなる。
 そして、Stockyard Hotelには、何と本物のボニーとクライドが泊まった部屋があった。たいていの邦題は気に入らないけど、「俺たちに明日はない」ってクールだったね。忘れられないフェイ・ダナウェイとウォーレン・ビーティのラストシーン、あれは史実通りのようです。
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リトルロック中央高校と国立公民権博物館(第14次遠征隊#8)2015/10/03

 今回の旅行のもう一つのテーマは公民権運動だった。アーカンソー州を横切るなら、必ずリトルロック・セントラル・ハイスクールへ行かなければと思っていた。
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1957年9月の出来事について、今、様々な資料を読むことができる。ビジターセンターで記録フィルムを見てから、Little Rock Nineが怒号に包まれながら登った階段を見上げた。池の周りのベンチには9人の名前が記されている。それから58年。
下校時間になると校舎からは大勢の高校生がぞろぞろ飛び出して、ごく当たり前にスクールバスに乗り込んでいくのだった。

 メンフィスの国立公民権博物館は、MLキング牧師が暗殺されたロレイン・モーテルに造られている。2009年春に訪ねたことがあり迷ったが、てるてるMをエルヴィスのグレイスランドに送り、やはり足を運んでみた。
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行ってよかった。展示物がすっかり新しくなり充実していただけではなく、見る側も以前より少し理解が深まったように思う。映画 "Selma"公開前に読んだコレッタ夫人の自伝、iTunes Uの"the Road to Civil Rights" bookが受け皿を広げてくれたのだろう。胸が詰まるような気持ちで2時間を過ごした。