春のポルトガル旅行#12015/04/09

 ひょんなことからポルトガルへ行くことになった。某H○○の団体ツアーである。
参加してみれば、目が回るほど盛りだくさんな旅行だった。3月26日から6泊8日、ふなっしーの旗印をあたふた追いかけているうちに、8ヶ所の世界遺産その他の名所を回ってしまうとは、なんと日本的な効率の良さだろう。
ところが、帰国すると美しい建物と景色は頭の中でコラージュ状態になり、どこで何を見たのかまるで思い出せない。記憶のぐるぐる巻きをほぐして整理しなくては。

 フランクフルト経由ルフトハンザ便での到着は、北部の都市ポルトだった。一泊して観光初日の朝、旧市街(世界遺産)を散策した。

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 中心部にあるボルサ宮の横に、エンリケ航海王子の像が立っている。Prince Henry the Navigator!!(つい昨日のことだが、アリス・マンローの短編集『愛の深まり』を読んでいたら「したがってエンリケ航海王子は、自ら航海に出ることはなかったものの、ポルトガルの探検家たちを奨励・鼓舞した点において、重要なのである」という一節があった。いろいろ繋がっていくなあ。)

 午前中はまずサンフランシスコ教会へ、それからドウロ川をクルーズして両岸の街並みを眺め、ポートワインのワイナリーを見学した。試飲が楽しい。その昔、昭和の子どもがお正月に飲ませてもらったのは、「赤玉ポートワイン」だった。

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 タコのリゾットランチ後は、ギマランイス歴史地区世界遺産)のフラガンサ侯爵館、ブラガの大聖堂、さらに巡礼地ボン・ジェズスの教会を回った。この日だけで6つのポイント!! 個人旅行では、教会をひとつ探すだけで半日かかってしまうだろう。すごいですね。でも、スペイン系デパート、エル・コルテ・イングレス近くのホテルに戻る頃、記憶容量の少ない頭は既に混乱気味だ。

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春のポルトガル旅行#22015/04/10

 ポルト2泊後、グループ30人はいくつかの町を観光しながら、海辺の町ナザレへ向かった。アヴェイロでアズレージョ・タイルの美しい旧駅舎と運河の小舟を、コインブラでヨーロッパ最古の大学のひとつ名門コインブラ大学(世界遺産)を、トマールではキリスト修道院(世界遺産)を見学した。

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 トマールの修道院はテンプル騎士団によって建設された、と聞いてフリーメイソンという単語が浮かぶのは、もちろん『ダヴィンチ・コード』の影響だ。ロマネスク、ゴシック、マヌエルなどの様々な建築様式が興味深かった。
 ところで、コインブラ大学を出た所で非組織型人間二人(わたしと同行者の友人)がツアーの仲間を見失い、バスでレストラン近くの警察署に送り届けてもらったことを書いておこう。団体行動って難しいよね。

 名所旧跡もさることながら、旅行の楽しみはお料理と街歩き、特に地元の市場だろう。今回もナザレの朝市を歩くことができた。
 夕食は海岸近くのレストランで、魚介類たっぷりのポルトガル鍋カルディラーダを注文した。タコサラダはタコ皿だ。
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春のポルトガル旅行#32015/04/11

 5泊目のリスボンまでに行った場所を、備忘のためざっと書いておこう。
ナザレの海岸沿いには店が立ち並びにぎやかだが、季節のせいか砂浜にいる人はほんのわずかだ。わたしは一人で波打ち際まで歩き、小石と貝を拾った。

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 ペドロとイネスの悲恋で有名(らしい)アルコバサの修道院(世界遺産)の前で、蚤の市が開かれていた。美しいファルセットのアヴェマリアを聞き、古い蹄鉄をひとつ買った。確か幸運のお守りだよね。

 ファティマのバシリカは、聖母出現の奇跡で知られているという。イースター直前の週末、大勢の信者がお祈りに訪れていた。
 それからバターリャの勝利の修道院(世界遺産)、未完の礼拝堂は500年以上屋根がない。王の回廊を通って衛兵の交代が行われていた。
 城壁に囲まれたオビドスの村は、散策が楽しかった。古城ホテルのポサーダでランチを取り外に出ると、青空が広がっていた。
 シントラ(世界遺産)を経由し、さあいよいよロカ岬だ。
強い風に吹かれて、遥か遠くまで広がる大西洋を見晴らす。灯台も美しい。北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸最西端到達証明書をいただいた。

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CabodaRoca

春のポルトガル旅行#42015/04/11

 最終目的地リスボン、夕方着いて2泊、ということは正味1日の短い滞在だ。ホテル到着後、調べておいた庶民的なレストランで居心地よく夕食を取った。
翌日の午前中、市内の主要スポットをバスで回った。ベレンの塔、発見のモニュメントジェロニモス修道院(世界遺産)、それからテージョ川の4月25日橋を渡ってクリスト・レイ。発見のモニュメントは、先頭にいるエンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられたという。バスコ・ダ・ガマやマゼランたちが後ろに続いている。大航海時代の先駆者たち、凛々しいですね。
 観光中にガイドさんの解説してくれたポルトガル現代史がよかった。サラザール政権からカーネーション革命、EU加盟、、ポルトガルの穏やかな発展は国民気質によるところも大きいのだろう。
とは言え、さすがに首都は人が多い。ここまでののんびりした気分が一変した。通りも店も活気があり楽しいが、同時に気が抜けない。
 
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 午後から半日のフリータイム。和服姿の友人M(去年の13次遠征隊から同行、毎回着物を着ることがテーマ)とおじさん化した(M曰く)わたしは28番の路面電車に乗って街を巡り、旧市街を歩き、サンタ・ジェスタ・エレベーターの長い列を見ながら(登るのは断念)ピザを食べ、古いアズレージョの店へ行き、ファドのコンサートを聴き、小皿料理とワインを楽しみ、地下鉄に乗って駅から数回道を尋ねながらホテルに戻った。
 旅行後、3年前にやはりツアーでポルトガルを旅行をしたアメリカ人の友人からメッセージが来た。"Don't you just love Portugal?"
うん、ポルトガルはいいよね。Obrigada!!

リスボンの忘れ物が戻った2015/04/16

 置き忘れに気づいたのは、空港に着いてからだ。自宅近くのアウトレットで買ったスカーフだから大したものではないが、気に入っていた。出発間際に追加のお土産を買い、荷造りが終わっていたスーツケースに押し込んだ時、巻いて帰るつもりだったスカーフを脇に置き、そのまま部屋を出たことを思い出した。あ〜。
 帰国後ホテルのアドレスを調べ、まあダメもとだよね、と思いつつメールを書いてみた(忘れ物の画像付き)。反応がないので、さらに3日後メールを再送した。すると翌日「見つかったから送る。送料は必要だけど」という返事が来た!!

 というわけで、本日無事にペイズリー紺色スカーフがはるばる到着。ブランドものや高級カシミアじゃなかったことが幸いしたのかもしれないが、おお、よく戻ってきたね。ありがとう。
ポルトガルは親切な国だ。断言しておこう。

日本語学校、流転す2015/04/25

 2002年に二つの日本語学校で教え始めた。非常勤で週二日ずつ出かけて行くのは、現在も「同じ」学校なのだが、

 この4月総武線の亀戸駅から浅草橋駅に移転したY校は、通い始めた頃習志野市にあり、その後中央区へ移転して学校名が変わり、社長が多角経営に乗り出して同じ地区の別校舎へ引っ越し、それから横浜の日本語学校の東京分校になって亀戸へ移転したわけで、数えてみたら今回5回目のお引越しなのだった。
K校のほうも、かつては英語学校Gの関連校で九段下にあったが、経営者が代わり現在の水道橋校舎に移転している。

 その間に震災の影響で外国人学生が激減した時期があり、一年間新大久保の韓国人留学生の学校で教えた。またどの学校でもスタッフが数回入れ替わり、学期ごとに常勤非常勤の先生方が何人も出たり入ったりした。日本語能力試験に変更があり、教科書副教材も変わった。教授法にもコミュニカティヴからcan-doやピア・ラーニングなど、変化/流行の波が押し寄せた。やって来る学生たちの国籍も欧米系は以前から様々だが、アジア系は中国/韓国からモンゴル、ネパール、ベトナム、スリランカ、ミャンマーへと地域が広がった。

 日本語学校、流転す。言うまでもなく、どの業界も絶えず変化しているに違いないが。そして移り変わるからこそ、その時そこに居合わせる人々との関わりはなかなか刺激的なわけだが。