中欧旅行#1 プラハとチェスキー・クルムロフ2012/07/13

 学期休みに、友人2人とチェコ&オーストリアへ行った。

 ロンドン経由でプラハに到着した翌朝、1日交通券を購入して地下鉄に乗り、旧市街へ出かけた。入り組んだ細い石畳の通りを、火薬塔から始まる「王の道」に沿って歩いた。旧市庁舎の時計を眺め、塔に昇り、世界遺産に登録された歴史地区を見下ろした。
 さらに歩くと、モルダウ川ヴルタヴァ川)にかかるカレル橋に出る。川の左岸にプラハ城がそびえ立っている。夏のプラハだ。それにしても暑い!
なぜか30度を超す猛暑のプラハを、中年おばさん3人はふうふう言いながら歩く。
(クリックで拡大)
Charles Bridge


 プラハ城の中にある黄金小路、この青い家はカフカの仕事場だった。ザムザよ、リンゴのめり込んだ傷はまだ痛むかい?
 ゴシック様式の城は、長い時間をかけて15世紀に完成した。その後この小路には錬金術師などが住んだことが、通りの名前の由来らしい。
Kafkahouse


 3日目の昼過ぎ、小さな町チェスキー・クルムロフへバスで移動した。
バロック様式のクルムロフ城にある塔から、美しい町を見晴らす。澄んだ風と光、眼下のモルダウ川から、ボートで川遊びする人たちの笑い声が響いてくる。この景色を表現できる言葉があるだろうか。(クリックで拡大)
CheskyKrumlov


 ここは、夭折した画家エゴン・シーレの母親の出身地だ。しかし、評伝によると、因習的な町の人々は若い画家とその恋人を歓迎しなかったという。
次の朝、友人たちが買い物している間に、一人でひっそりした美術館を訪ねた。
egon

中欧旅行#2 旅程と参考書2012/07/14

旅程
6/29(金)成田発ブリティッシュ航空便でロンドン経由
          プラハ着22:15
   30(土)プラハで一日自由観光
7/01(日)午後1時のバスでチェスキー・クルムロフへ(約2時間半)
   02(月)午前11時発シャトルバスでオーストリアのリンツ駅へ(約1時間半)
          電車でウィーンへ(約2時間)
   03(火)ウィーンで一日自由観光
   04(水)ウィーン空港発19:15 ヒースロー空港着20:35
   05(木)ロンドンで一日自由観光
   06(金)ヒースロー空港発13:30
   07(土)成田着9:05

ホテルと航空券のセットされたツアー中欧7日間(朝食付き)に、ロンドン2泊を追加した。各都市での移動シャトルバスなどは、旅行社のオプションに申し込まず、自分でオンライン手配した。ロンドンのホテルはExpediaで。と、いつものエコノミー・ツアー。


参考書
 中欧の国々には、謙遜でなく、何の知識もなかった。旅行が決まった頃から、何冊かの本に目を通し、関連の映画を見直してから出かけたが、果たして知識はわずかなりとも増えたのかしら。

<本>
・ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書 フレデリック・ドリューシュ総合編集 (東京書籍)
・世紀末ウィーンの美術 千足伸行 (東京美術)
・ハプスブルク家『美の遺産』を旅する (家庭画報)
・カレル・チャペックのごあいさつ カレル・チャペック
 その他、子供たちの高校歴史教科書・図説など

<映画>
・存在の耐えられない軽さ 1988  長い。でもよい。
・アマデウス 1984  始まりの交響曲第25番が印象的
・クリムト 2006  ジョン・マルコヴィッチ、クリムトに似てますねえ。
・恋人までの距離 Before Sunrise 1995
  一番ハンサムだった頃のイーサン・ホークが、
  電車で出会ったジュリー何とかと一晩中ウィーンの町を彷徨う。

中欧旅行#3 ウィーン12012/07/14

 リンツ駅からウィーン西駅行きの電車に乗った。くつろいで30分ほどオーストリアの田園風景を眺めていると、検札係がやって来た。
「すみませんが、このチケットでは乗れません」
「えー、どうして?」
行き先は間違いないよね。乗れないと言っても、乗ってしまったものはどうすればいい?
英語が流暢ではない女性検札係はうまく説明できないらしく、しばらくすると男性乗務員を連れて来た。
 彼の説明によると、私たちが乗ったのは私鉄電車で、チケットはオーストリア国鉄のものだという。戻るわけには行かないし、彼の提案は二つ:A 私鉄チケット代を払って、このままウィーン西駅まで行く。B 途中駅で国鉄に乗り換える、この場合料金は要らない。
私たちは、ありがたくB案をお願いすることにした。
 乗換駅が近づくと、女性検札係と男性乗務員は後続の国鉄電車の時間とプラットホーム番号を知らせに来て、こんなふうに私たちを見送ってくれた。Danke!!

austriatrain


 親切なオーストリアは、しかし、プラハ以上に暑かった!!
ホテルに到着後ヴェルベデーレ上宮へ行ったが、この先クリムトの名画「接吻」を見るたびにあの暑さを思い出しそうだ。34度。

 翌日も暑い。シュテファン広場から王宮へ、旧市街を歩いた。ホーフブルク王宮では銀器コレクション、シシィ(皇妃エリザベート)博物館、皇帝の部屋を見た。
vienna1

 王宮から環状道路リングを挟んだ外側に、美術史博物館がある。
ブリューゲル「バベルの塔」に感動する。フェルメールの前では、老夫婦が静かに座っていた。
vienna2

 友人たちが小休止の間、レオポルド美術館へも足を伸ばした。生誕150年のクリムト特別展、ココシュカもウィーン工房デザインもよい。でも何より、身を切り刻むようなエゴン・シーレに引きつけられる。

中欧旅行#4 ウィーン22012/07/14

 夕方、ウィーン・レジデンス・オーケストラを聴きに行った。
観光客向けの軽いコンサートではあるが、ストラディバリもバレエも十分に楽しかった。
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 チェコもオーストリアもビールが美味しい。プラハではザウアークラウトとクネドリーキ添えの肉料理を、ウィーンでは柔らかいウィンナーシュニツェルをいただいた。
 そして外してはいけないのが、本家ザッハのザッハトルテだ。
有名過ぎるとあれこれ難くせをつける人も多いようだが、私たちには美味しかった。ただし、やはり甘いので3人で1皿ね。
sacher


 ロンドンへの移動日に、郊外にあるシェーンブルン宮殿へ行った。
世界中から大勢の観光客がやって来ている。アジア人も韓国、台湾、中国からのツアー客が旗を持ったガイドに先導され、集団で声高に通り過ぎて行く。時期的なものなのか、日本人はごくわずかだ。
 マリア・テレジアもモーツァルトも、マリー・アントワネットもナポレオンもここにいたのだ。ハプスブルク家の栄華に驚嘆し、宮殿の外に出た現代の中年日本人。グロリエッテの丘を上って、宮殿を見下ろす。それにしても、暑い...
vienna4

中欧旅行#5 帰りにロンドン2012/07/15

 オリンピックまで3週間余りのせいか、ウインブルドン開催中のせいか、観光客であふれかえるロンドンである。
 トラファルガー広場から、予約しておいたオリジナル・ツアー観光バス The Original Tour Sightseeing Bus に乗り込んだが、どこへ行ってもディズニーランド状態だった。
 各バス停でも、しばしば待たされる。赤いオリジナルツアー・バスより、ライバル社のえんじ色ビッグバス・ツアーのほうが台数が多いのではないか、というのが友人たちとの共通意見だ。ご参考までに。

  まずは、テムズ川クルーズ。
towerbridge

 そして、ロンドン・アイ。
長蛇の列も我慢するしかないだろう、この眺望のためならば。
ビッグ・ベン、ハイドパークなどロンドン市街を一望する。(クリック)
londoneye

 それから、バッキンガム宮殿とウエストミンスター寺院を経て、ピカデリー・サーカス。
遅いランチの後、ここからリージェント・ストリートを北へ歩き出したのは、今思えば大きな間違いだった...
piccadilly

 時間の配分を誤って、ナショナル・ギャラリーと大英博物館には行けず、ロンドン塔も回れず、ましてやAbbey Roadに足を伸ばす余裕などなく、尻切れとんぼのロンドンとなった。
うう。いつも何かしら宿題が残るなあ。次に行けるのはいつだろう?

じりじりと夏学期2012/07/31

 夏学期の気忙しさは、休み時間ホールにあふれる学生たちの数によるのか、教材準備コピー室の順番待ちのためなのかよくわからないのだが、
実際のところ、担当クラス数はいつもの学期と同じなのだった。

 Y校が週3日半日、それぞれ別クラス。
K校は週2日、午前初級会話クラス、午後の漢字クラスと初級クラス。
教材カード、活動用プリント、出席簿他を抱えて教室を移動する。これもいつものことだ。

 なのに、いやはや頑張りましたねえ、と自分をねぎらいたくなるのは、ヘンテコリン学生が少なくないこと(サウジのアハメド&モハメド2人組とか、異星人T君とか、愉快ではある)、そして新年度から幾つかのレポート提出が講師に課せられたためだろう。

 自己評価シートに続く、自分の授業ビデオ分析内省レポートの締め切りは月末まで。
情報交換しつつ、励まし合いつつ、ぼやきつつ、何とか7月が終わった。
 しかし、夏はまだまだ続くんだよね...