ホーチミン・シティ2008/03/23

 友人を誘って、4泊6日の駆け足格安ベトナム&アンコールワットツアーに参加した。
 1日目、土曜日の夕方便でホーチミンに到着するのは夜の11時。2日目に市内を観光し、3日目の午後にはカンボジアのシェムリアップに飛ぶ。4日目はアンコールワット・サンライズの後、遺跡群の有名ポイントを巡り、夜にはハノイに移動。5日目は世界遺産ハロン湾を船で遊覧し、成田行き深夜便に乗って、6日目の朝6時に「ただいま〜」という内容である。この効率の良さは、さすが日本人。

 予習する時間はなかったが、Fog of Warを見てから出かけたのはよかった。ベトナム戦争当時国防長官を務めたロバート・マクナマラの、意味深い映画だ。

 人民委員会を背に立つホーおじさんの像。聖母マリア教会は、結婚式の記念写真を撮るのに人気のスポットだそうだ。この日も清々しいカップルが記念撮影をしていた。
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 ホーチミンと言えば雑貨、だったんですね。ドンコイ通りや市場などで、手の込んだかわいいものがとても安く買える。友人は帰りのスーツケースがひとつ増えていた。
 そしてもちろん、やさしおいしいベトナム料理。ベトナムお好み焼き、パリパリのバインセオがすっかり気に入った。333(バーバーバー)ビールによく合う。
 2年前にN校を卒業し今は日本のメーカーで働いているケチ君が、昼休みのわずかな時間にバイクで来てくれた。一緒にランチを取りながら「アン デップ チャイ クァ」(ハンサムですね)ようやく暗記したベトナム語で言ったけど、全然通じなかった、、。外国語はつくづく難しいのだ。

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アンコールワット2008/03/23

 夜明けである。蝉が鳴いている。鳥がバタバタと羽ばたいたと思ったら、ヒンドゥーの遺跡の向うに太陽が現れた。この美しい光景の中で、人は自然に祈りを捧げたくなるのだろう。

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 気球に乗って上からシェムリアップを見渡し、アンコールトムの遺跡で象に乗り、バイヨンで石像の神々の慈愛に満ちた顔を眺め、象のテラスや樹木のからむタ・ブロム寺院跡を歩いた。ツアーに含まれるこれらのアクティビティは、ガイドによって滞りなく進められる。ベルトコンベア上の商品になった気分だが、この国を自分で見て回るためには2倍以上の時間がかかるに違いない。
 観光客は秩序正しい日本人、堂々と割り込む韓国人、声の大きい中国人のアジアンパワーが70パーセントだった。残りがフランスやドイツなどの欧米人だ。それぞれの言葉を話すガイドが、数人から10数人の観光客を先導してゆく。
 顔を削られた石像など、内戦の跡が至るところで目に入る。修復にはまだ長い時間がかかりそうだ。

 観光の合間に、カンボジア・シクロ(オートバイ荷台タクシー)を頼んで、一人でオールドマーケットへ行ってみた。
 カンボジアシルクのスカーフ数枚を値切り、ガイドに連れて行かれた土産物屋の半値以下ね、とほくそ笑んだけど、よく考えたらシクロ代しっかりボラれてました。

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 この日は35度、午後のアンコールワットもせっせと歩く。ガイドのワンナさんが「海がミルクになってかき混ぜて魚もミルクになって不老不死の薬ができる」話をしてくれたけど、あれはちっともわからなかったねえ、と後で友人が言っていた。

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 綿織物クロマーは、頭にかぶる、首に巻く、腰に巻く、物を入れて背負う、いろいろな使い方ができる便利な布だ。キャディっぽい?
 夕暮れのアンコールワットには、トンボがたくさん飛んでいた。

ハロン湾2008/03/23

 交通ルール無法地帯をライトバンがゆく。ぎゃー、危ないっ!最初は肝を冷やしていたが、1時間も乗ったら慣れてしまった。ハノイからハロン湾までは3時間、オートバイ自転車2人乗り3人乗りと乗用車トラック乗り合いバスが、センターラインの消えた信号のない道路をそれぞれの目的地に向かって、絶え間なく追い越しをかけつつ、交差点では絶妙のタイミングで4方向に、クラクション鳴らしながら走り抜けてゆくのだ。ホーチミンで信号を見たのは数回、首都ハノイですら信号は主要道路にしか設置されていなかった。太っていては生きてゆけないだろう。ベトナム人は機敏で逞しい。

 ハロン湾の港には、大小数多くの遊覧船が停泊している。大勢の観光客が到着してひしめき合っていたが、30分後にはそれぞれ契約の貸し切り船に乗せられていた。正午過ぎ、船着き場から一斉に遊覧船が出て行く。ベトナム人には皆、混沌をうまく処理する能力があるに違いない。

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 海の桂林は、聞いていた以上に美しい。しばらく船のデッキで風に吹かれた。大小の岩の間を、船はゆっくりと進んで行く。水上生活者の小舟や水上学校が見える。
 鍾乳洞のある島まで行く間に、船の中で調理された昼食をいただいた。途中で別の船から渡された揚げ春巻きも、スズキのトマトソースかけも、地味だがおいしかった。
 ダウゴー島に到着した観光客は、並んで階段を上る。規模の大きい鍾乳洞ティエンクン洞窟は、アジア的色彩でライトアップされていた。

 ところで、ハノイからはチン君に電話した。驚かせようと思っていたのに、彼もケチ君と同じで
「あー、Sせんせー、フン君に聞いたよー」
出発前に私が電話番号を尋ねた、まだ日本にいる学生から、親切に連絡が入ったらしい。
 チン君はハノイから3時間の町に住んでいるため会えなかったが、楽しく話ができてよかった。3年前の教室で「わっからないよう」を連発した素頓狂なやつだ。大人になったね。

 ベトナム航空の機内誌に、この国の簡単な歴史が載っていた。
 フランスの植民地統治を経て、ホーチミンがベトナム社会主義共和国の独立を宣言したのは1945年。それから対フランスの独立戦争があり、アメリカ戦争(ベトナム戦争を彼らはこう呼ぶ)があった。
 ミネソタの高校に、サイゴン陥落直後のベトナム難民ボートピープルの子どもとして、大阪の難民センターで生まれた生徒がいたことを思い出す。カンボジアを逃れた小柄なモン族移民の子どもたちも、きちんと大学を卒業しただろうか。